第15話.朝
翌朝。女王と話したこと、冥界の軍、そのことが頭の中をぐるぐると巡り続けたために眠れなかったウルは、寝不足の酷い顔でぼんやり寝台に座っていた。
目覚めたシヴァは、寝返りを打って座っているウルを寝ぼけ眼で見上げて、くすっと笑う。
「ひでぇかお……」
「そう……」
ウルの返答にシヴァは笑みを深めた。すると寝起き特有の危険な色気が増して……しかし今のウルにそれを気にする余裕はないので彼は、藍色の目を細めて自分を眺めるシヴァを放置する。
「おまえ、どうしたんだ……」
「あとで話すよ。その様子じゃ二度手間になりそうだから」
「なんだよ、それ……くくっ」
少しかすれた声。長髪が夜絹の房の様にはらりと肩を滑り落ち、彼はいやにゆっくりと目を瞬く。
「……君、寝ぼけているの、珍しいな」
「おれは、ねぼけてなんかないぜ……」
「いーや、寝ぼけてるね」
ウルがそう言うとシヴァは気に入らなそうに目を細めた。ただ、まだ明らかに寝ぼけていてすぐにその表情は緩い笑みに変わる。
「どっかのだれかさんが、よなかにへやをぬけだしたからじゃないかな……」
彼がぽんやりと喋るせいで、ウルはまるで幼子を相手にしている気分になった。
「……あの時起こしちゃった?」
「ん~? たぶんな……」
「それは、ごめん……」
ウルが素直に謝ると、シヴァはまたもや喉を鳴らして笑う。それから翼をぐーっと伸ばして震わせた。
「だからねむい。もうすこし……ねる……」
「うん、分かった」
答えたときにはシヴァの意識はなく。ウルは少し肩をすくめる。
至高の宝玉の様な瞳は目蓋に隠され、長いまつ毛がその白い頬に繊細な影を落としていた。
(……シヴァは、僕のことを信頼してくれているんだろうな。水の都での朝なんて酷かったもの。寝たふりしてて、僕、びっくりして背中から落ちたっけ)
思い出してふるっと身を震わせたウルは寝台を下り、食堂で朝食をいただくために部屋を出た。
――――………
ウルが食事を終えて、シリエール特産だという深緑のお茶を飲んでいるところへ、ようやく目を覚ましたらしいシヴァがやって来た。
どうやら彼は寝惚けていた間の記憶をしっかりと保持している方らしい。
「君、すごかったな」
「……やめてくれ」
頬を少し赤くして顔をそらした彼を、ウルはしばらくからかった。
最初はなるべく気にとめるまいと努めて朝食を食べ進めていたシヴァだったが、次第に我慢できなくなってきたのか、唐突にじろりとウルを睨む。
「お前は一昨日の寝言が酷かった」
「え?」
「何だっけなぁ、ああ確か「兄上、肉球ですよ……むふふ」とか他にも―――」
「だっ、駄目、それ以上はっ」
「ははん、散々人のことをからかっていたんだからな、まさかやり返されると思っていなかったのか? この俺が、やられっぱなしになるとでも?」
「あ、うぅ……」
シヴァはにやりと笑みを深めて続きを言ってやろうと口を開いた。
その時食堂の扉が開いて、相も変わらず惨憺たる有り様の頭をしたレイが現れる。
食堂を見渡した彼は、シヴァとウルを見つけるとその麗顔にほわりとした笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。
「おはよう二人とも。今いいかい?」
「いいよ!!」
ウルはかなりの勢いでレイを歓迎する。来てくれてありがとう、という言葉がその顔にありありと浮かんでいた。
反対にシヴァはつまらなそうな顔をしていたものの、レイの手にあるものを見て表情を変えた。
「あ、気づいた~?」
「もうできたのか。助かる!」
「ふふ、どうぞ」
こてんと首を傾げるウルの前で、レイが何やら焦茶の革でできた何かをシヴァに渡す。
「おお……流石、器用だな」
「うふふ。でしょう?」
「ねえ、二人とも。それ、何?」
ウルは二人の間に頭を突っ込んだ。
「弓を腰の後ろに固定できるようにする物だよ」
「へぇ~……」
「本当は背中に着けるんだけど、シヴァは羽があるからねぇ」
レイはほけほけ笑って言う。彼の白い服の上にも焦茶の革の帯でできた弓掛けがあり、その背中には深緑の風竜の弓――裂牙弓があった。
「レイが作ったの?」
「そうだよ~。私、針仕事は得意だからねぇ」
そう言って彼は頷く。そのふわふわを通り越して鳥の巣のごとき様相を呈している金の頭と、針仕事が得意という器用な印象は上手く合致しない。
「さあ私はもう行かなきゃ。陛下から見回りを強化するよう言われているからね」
「ああ……」
その理由が分かるウルは頷き、まだ話を聞いていないシヴァは小首を傾げた。
「君には後で話すよ」
「分かった」
レイはひらひらと手を振って食堂を後にした。
さて、とウルはシヴァに向き直る。
「ええと、昨日の夜の話なんだけど……」
そして彼は昨夜女王の鏡で見たことをシヴァに話して聞かせた。
――――………
ウルの話を聞き終わったシヴァはかなり難しい顔をしている。それを見てウルは溜め息を吐いた。
「これからジジのところへ行ってみる。魔導具を完成させなきゃ」
「そうか……」
シヴァは腕を組んで天井を仰ぐ。その口許に微かな笑みが浮かんでいた。
「随分と焦っているじゃないか、イスグルアス……」
その声に滲んだ憎悪と嘲笑に、ウルは沈痛な面持ちで口を閉ざすしかなかった。
「……俺は女王と少し話してくるよ」
「そっか。じゃあ、またあとで……」
シヴァはそう言って席をたった。その背中に尻すぼみの言葉を掛けたウルは、また小さく溜め息を吐いてすっかり冷めてしまったお茶の深緑の水面を眺めた。
「……僕も行かなきゃ」
温いお茶を一気に飲み干し、彼は食堂を後にした。




