第11話.甘い浮島
教室内で至極まともな顔をして講義を聴いている魔法学園の生徒たちにバレないよう、こそこそしながら厨房へとやって来たウルとマオ。
「そう言えば、卵白のお菓子って何を作るの?」
「あー、知ってるかな……浮島って言うんだけど……」
「浮島?! 僕、大好きなんだ! マオ、君はあれを作れるの?! すごい!!」
「お、おう……」
突然頬を紅潮させ、ぴょんっと跳んでマオの手を握ったウルに、手を握られた方は若干引き気味に頷く。
浮島。菓子の名前としては何とも地味なものであるがその実、少し贅沢で可愛らしい見た目の卵白菓子である。
エルフが作り始め、シリエールを訪れた精霊がユグラカノーネにレシピを持ち帰った、ウルの大好物である。
「主も好きでさ。ここへ来て作り方を一番最初に覚えさせられた菓子だよ」
「すごい、すごいよ! 僕、頑張って手伝うから!!」
「ああ、ありがとな……」
ここまで興奮したウルは中々に貴重だ。浮島はユグラカノーネでも贅沢な部類に含まれる菓子であったから、その名前を聞くだけでウルはご機嫌になる。
最初は若干引いていたマオであったが、ふんふん鼻を鳴らして拳を握るウルの姿に、上機嫌で小魚をくわえる子猫の幻を重ね、微笑ましさから少し笑ってしまった。
「よし、やるか」
「うん!」
ひらひらした白い袖を捲ってウルは答えた。準備万端だ。
マオはまず、冷却の魔導具を仕掛けられた戸棚から卵を三つ取り出した。ウルは指示を受けて別の棚から硝子製のボウルを二つ持ってくる。
卵を割り、卵白と卵黄を分けて別々のボウルに入れた。まず手に取ったのは卵白の入ったボウルだ。そこへ塩を一摘まみ投入して、マオは大ぶりのフォークを構える。やけに先端の櫛部分が細かいものだ。
「こっからが大変だぞ……」
「混ぜるの?」
「角が立つまで泡立てるんだ」
浮島のもととなるメレンゲ作りは恐ろしい重労働である。
マオの握り締めるフォークは特注品であった。作らせる度にマオがへばるので、ジジが副魔導長としての権力を乱用して、エルフの鍛冶屋に作らせたものである。
普段のジジならやらないことであるが、彼女はそれほどまでに浮島が好きであった。
ウルはじっと卵白を眺める。撹拌のイメージ。真っ白の泡々がボウル一杯になる様子を想像した。
「ねえ、ちょっと、試してみてもいいかな? 泡を潰さないように沢山作ればいいんだよね?」
「ああ。なんだ、もしかして精霊の魔法には泡立て魔法が存在するのか?」
そんなの無いよ、とウルは苦笑してボウルに両手を添えた。ほんわりと魔力を込めて風属性に変換、とろりとした卵白の内側に魔法を生み出す。
(そう言えば、ここへ来て初めてまともに魔法を使った気がする……)
卵白の内側に、極々小さな竜巻が発生した。ぐるぐると勢いよく回るその竜巻によって卵白が撹拌される。すぐにその色は白くなり始めた。
「おお……すごい、画期的だ。覚えれば今度から手首が死なずに済む! 後で教えてくれ」
「うん勿論。思いつきだったけど、上手くいくものだね」
しばらく竜巻によって卵白を混ぜ続けると、その嵩が増してきた。一旦竜巻を止め、マオがフォークをそっと差し入れて一混ぜの後すっと持ち上げる。ちょんっと小さな角が立った。
「よし。ここへ砂糖を入れる」
途端に元気になったマオが、細やかな粒の砂糖をさらさらとメレンゲに入れる。さっくりと泡を潰さないように混ぜ合わせた。
「わあ、ふわふわして素敵だ」
「そうだな」
メレンゲを眺めるウルに微笑んで答えながら、マオは鍋に水を入れて竈に火を入れる。彼の掌からポッと赤い火が飛び出して薪に燃え移った。すぐに火がパチパチ言い始める。
魔物の火だからか、沸騰は早かった。マオは頷いて、人差し指程の長さのすくいが付いたスプーンを二本取り出して、両方とも水の入ったコップに浸けた。
濡れたスプーンでメレンゲをすくう。それを、もう一本のスプーンでつるりとした形に整えた。
「これを茹でる」
ぽちゃん、と湯に落とす。すぐに次へ取り掛かり、その都度スプーンを濡らすのを忘れずに同じ作業を五回繰り返した。
六個のメレンゲの玉がぷかぷか湯に浮かんでいる。それを見て満足したのか、こくりと頷いたマオは後ろに控えているウルに向き直った。
「これの面倒を頼んでいいか?」
「うん!」
「少ししたらひっくり返してくれ」
その言葉にウルは気合い十分に頷いて鍋の前に立つ。鍋の中、湯に浮かぶ白い玉は可愛らしかった。
さて、ウルにメレンゲを任せたマオは別の作業に取り掛かっている。小鍋に砂糖と少量の水を入れ、メレンゲの鍋の下から火を分けて隣の竈へ。その火の勢いはそこまで強くない。
火にかけた砂糖の小鍋には手を加えず、じっと溶けるのを待つ。
「カラメル?」
「いや、主が浮島の飾りつけは糸飴しか認めないって言うからな。いつも飴を作るんだ」
「……君って、本当にすごいな」
「自分でもびっくりさ」
ふつふつと砂糖が泡立ち始めた。その横でウルが六個のメレンゲをひっくり返す。
それを確認したマオがまたもや別の鍋を取り出した。そして先程メレンゲ用の卵白と分けた卵黄のボウルをその隣に置く。そこには砂糖が加えられていた。
鍋には牛乳、黒い枝の様な物を入れて火にかける。
「この枝みたいなの……何?」
「バニラビーンズだよ。カスタードクリームには必須だ」
「へえ……」
二つの鍋を見守るマオは本当に器用だと感心しながら、ウルはメレンゲを茹でるという自分の仕事に集中した。
――――………
よく冷えたカスタードクリームの上に、白くつやつやとしたメレンゲの島が浮いている。
島の上には艶やかな糸飴の雲。その繊細で上品な見た目にウルはほっと溜め息を吐いた。
浮島、完成である。
「ふう。あんたのお陰で今回は幾分か楽だったよ。ありがとな」
「ううん、構わない。うわぁ……嬉しいなあ……」
平たい皿に盛られた浮島を捧げ持つようにして眺め、ウルは頬を赤くして笑む。
マオはウルの手から皿を取り上げ、合計四つの皿を盆に乗せて歩き出した。
「行くぞ。そろそろ講義が終わる」
「ひえっ」
その言葉に項の毛が逆立ったウルは慌てて彼の後を追った。
ジジの研究室に戻ってくると、出かける前には眠っていたジジが起きており、窓辺の三つの試験管を作業台に移していた。
「起きたか、主。今日のおやつは浮島だぞ」
「!!」
ジジのぐるぐると濁った目が輝く。作業をすべて中断して、すたすたと近づいてきた。
そしてジジは盆へ手を伸ばす。
「こら、まだシヴァが来てないだろう。それに茶も入れなきゃ……」
「早く、する」
「分かった分かった。主、机と椅子を出してくれ」
「ん」
ジジが短杖を一振り。しっかりと整頓された資料の山を破壊して机と椅子が飛んできて彼等の前に並んだ。
マオは無言で頭を抱えて「いや、今回は俺が悪い……」と呟きながら奥に引っ込んでいく。
(この部屋でお菓子作りをしないのは湿気で本や資料が傷むからって言ってたけど、お茶を入れるのは良いのかな……)
ウルはその背を見送りながらマオが机に置いていった四つの皿を並べ始めた。ジジはすぐに自分の席に座る。
「……二つのお皿と一つのお皿がある」
浮島が二個乗った皿が二つ、一個の皿が二つ。取り敢えずジジは二個の皿だろうと差し出し、残るあと一つは……――
(……駄目だぞ、僕。勝手なことを考えちゃいけないぞ)
煩悶するウル。頭を抱えてその場にしゃがみこむ。その時静かに扉が開いた。
「……何してるんだ、お前」
「あ、シヴァ、おかえり。僕は今、大いなる選択を迫られているところ」
「何言ってんだか……」
近づいてきたシヴァは机と椅子が出ていることに「珍しいな」と言って、一つの椅子を引いてするりと座った。
「ああ、浮島か。ジジ、お前これ好きだよなぁ……」
「ん。ふわり、しゅわり」
「俺は一つでいいや」
彼はそう言うとすんなり一個の皿を引き寄せる。
ウルは愕然とした。残る皿は二つ。究極の選択である。
(い、いやっ、駄目だ! 作ったのはマオだし、これはマオが食べるべきだ!)
苦渋の色が滲む顔で二個の浮島が乗った皿を向かいの席へ押すウルの姿を眺めて、シヴァは喉を鳴らして笑った。ジジが目を瞬く。
「ウルーシュラ、一つで、いいの、か?」
「えっ?! う、うん、いいよ?! 僕はそんな……」
「茶が入ったぞー……って、これはあんたのだよ。面白い顔してんな。そんなに好きなのか」
マオから見たウルは眉根を寄せ、唇を固く引き結んでいる。これぞまさに「悲壮」という感じだった。
苦笑してマオは二個の皿をウルに押し返し、代わりに一個の皿を引き寄せる。
「好きだって言ってたから、もとからあんたは二個の予定だよ。主がいつもそうだからな」
「マ、マオ……」
ウルは自分の手元に戻ってきた二個の浮島を見て、次にマオの顔を見て、ふるふる震えた。
「ありがとう。君、最高だ……」
「そうかい。どういたしまして。さ、冷えてるうちに食べよう」
「うん!」
常に甘い浮島であったが、今日はいつにも増して甘かった気がする。糸飴を乗せると言う素晴らしい発想に感服しつつ、ウルは浮島の甘さの名残に暫し瞑目した。
浮島=イルフロッタントなのでそれで想像してください。




