第9話.五爪と採血
指先だけが出る形の革手袋を着けたリンの右手が、五本の矢がつがえられた弦に添えられる。
普通、一本以上の矢をつがえて弓を引くと、中央につがえられた最初の一本以外は途中で筈(鏃の真逆にあって弦を差し込むところ)が弦から外れて落ちてしまう。
矢は筈によって弦に差し込まれているのだから、弦が引かれて斜めになれば外れてしまうのは当たり前だ。
狙いも上手く定められるわけがない。
しかしリンはそれをやってのけた。彼の持つ非凡なる才能と単純な努力によって。
引き絞られた弦がキリキリと微かな音を立てる。湾曲した蒼竜の弓、縦に並んだ五つの鏃は五つの的へ向けられていた。
そして鋭い弦音。獅子の蒼き五爪は放たれた。パァァンッと五つの的が同時に弾ける。そのまま飛んでいった矢は、練兵場を覆う結界に弾かれてその辺に落っこちた。
観衆であった一般兵たちから男らしいのにやけに黄色い悲鳴が上がる。そして彼等は我先にと落っこちた矢を拾いに行った。
彼等に微笑みを投げ、リンはくるりとシヴァを振り返る。
「どう? これは正真正銘僕だけの技。流石の君でも無理でしょ」
「……凄いな。何がどうなってるのか、良く見ていても分からなかった」
「うん。秘密だもん。見て盗まれちゃ、僕だけの技とは言えないもんね」
激闘を制して矢を拾うことができた一般兵五人が憧れの眼差しを煌めかせながらリンに矢を渡しに来た。「ありがと」と言ってそれらを受け取るリンの手元を観察して、シヴァはあることに気づく。
(……筈が、細い)
そう、普通端が丸みを帯びた円柱形である筈が、極限まで細く削られていたのである。これによって五本の矢をつがえても外れずに引くことができるのだ。
(すぐ折れそうだな……ん? あれは……)
シヴァは半ば睨むような目でリンの手にある矢を観察している。その視線に気づいたリンは呆れた様な顔で肩をすくめた。
「まったくもう、君は目敏いなぁ」
「それ、竜の牙か」
「うん。他にも色んな頑丈な素材で作ってるんだ。すぐ折れちゃ困るからね」
その答えに納得したシヴァはテンペスタを両手で持って眺めた。彼の意志によって青雷の矢を顕すこの霊弓ならば、もしかしたらそう言ったことも可能では、という考えが浮かんでくる。
思い付いたらすぐ実行。シヴァは急いで魔導具を再発動し、テンペスタを構えた。リンは「もう」と頬を膨らませている。流石に“五爪”を簡単に再現されることはないという自信はあるが、シヴァならやりかねないという不安もあった。
(完全に習得するまで、僕がどれだけ苦労したと思ってるの……まあ、それが分からないシヴァじゃないだろうけどさ)
パシッ、ピシッと弾ける様な音を立てて青雷の矢が五本現れた。筈の制約がない分、霊弓はかなり有利である。
キリキリと弓を引き絞っていく。そしてここだ、というところで離れを迎えた。
五本の矢の内、一本は確実に鋭く的を射抜く。
しかし四本は見当違いの方向へすっ飛んでいってしまった。
「あー、びっくりした。まあ、そうなるよね」
「…………」
シヴァは首を傾げている。その表情は、何故できなかったのかという疑問の表情ではなかった。それを不思議に思ったリンは彼の顔を覗き込む。束ねた赤髪がさらりと肩から滑り落ちた。
「シヴァ、どうしたの?」
「今の矢……何か変だった」
その言葉にリンは眉をひそめる。
「別に何も変じゃなかったけど?」
「いや、曲がったんだ。当たった一本だけだけど……」
「曲がった……?」
リンは先程の射を思い返した。青雷の矢の軌道。的を射抜いた矢はどう進んでいただろうか?
「……だとしても、何で?」
「分からない。霊具なんて使ったの初めてだしな。だからこれから確かめる」
そう言ったシヴァは、疑問が解消されるまで、そして的役の魔導具に溜められていた魔力が尽きて更に二つ使いきるまで、テンペスタで矢を射続けた。
最後の方にはかなりの速度の的も射ち抜けるようになり、それに加えて飛行しながら射てるようにもなったのであった。
――――………
ウルは現在ジジに首と足首の直径を測られている。ジジの持つ金色の短杖に操られるように紐が飛んできて、くるりとウルの首に巻き付いた。紐は自動的にピッタリ直径の長さで切られ、ジジの傍らの机の上に横たわる。
「ん。終わり」
並んで横たわった三本の紐を眺めて満足そうにこっくり頷いたジジがそう言った。答える様に頷き返したウルは、脱いでいた革の編み上げサンダルを履き直す。
紐から顔を上げたジジはきょろきょろと部屋を見渡した。そして目的の物を発見すると杖を一振りする。
ガサガサ、バサッドサドサッと平和ではない音と共に本や資料の山が崩れてその奥から小瓶が三つ飛んできた。
「主、またどこか崩したな! やめてくれよ片付けるのは俺なんだぞ!!」
研究室の奥の方から、まさに片付けの真っ最中であるマオの悲鳴が聞こえてくる。
「ん。任せた」
ジジは飛んできた小瓶を机に並べ、マオの声に答えた。その後に続いたマオの文句には耳を貸さず、ウルに向き直る。
「ウルーシュラ、血、採る。腕、出す」
「え、血、血を採るの?!」
「嫌、か」
「嫌、ではないけれど……その……」
言いよどむ彼にジジは首を傾げた。ぐるぐると澱んだ黄緑色の目がウルの銀の瞳を見つめている。
「どうやるのかなって。正直に言うと、少し怖い」
ウルは少し頬を赤くして答えた。ここにシヴァがいたら間違いなくからかわれている。良かった、いなくて。
(だって採血なんてやったことないもの)
上目遣いで自分を見るウルに、ジジはなるほどと頷いた。ならば見せてやろうと考え、ジジは肩からずり落ちた短い丈の黒いローブを捲り、真っ白な細腕を露にする。うっすらと浮き出ている血管を見極め、そこへ短杖の菱形の紅玉の先を当てた。
ふわり、と舞ったのは明るい黄緑色の魔力粒子。魔法が発動した気配がした後、短杖の先を肌からスッと離す。
「わっ……そうやるの?」
病的なまでに白い肌から菱形の紅玉の先へ、赤いリボンでも繋がっているかの様に血液の緒が延びていた。ひらひらと宙を泳ぐ血液の緒をジジは先程の小瓶の一つへと収める。
「痛く、ない。変な、感じ、は、する」
「そ、そうなの……う、うん。じゃあ、お願いします」
ウルは覚悟を決めて白い衣のひらひらした袖を捲って、ジジに負けず劣らず……しかし健康的な白さの腕を差し出した。
こっくりと頷いたジジは、自身の血を入れた小瓶に蓋をしてからウルの腕にそっと触れる。
「精霊の、採血、初めて」
「えっ」
「大丈夫。何とか、なる」
やる前に不安になることを言いながら、ジジの小さな手はウルの腕の血管を探っている。程よい太さの血管を発見し、先程の様に短杖の先を当てた。
ひんやりとした短杖の先が離れていく。するりと血液が抜き取られる不思議な感覚にウルは、ふるるっと震えた。彼女の言った通り痛みはない。
ふよふよと宙を泳ぐウルの血液も、ジジの短杖にくっついたまま小瓶へと導かれて収められた。
その小瓶と自分の血の入った小瓶を灯りの下で見比べてジジは「ん」と呟く。
「エルフの血、精霊の血、近い。微少な、差が、冥界への、耐性。不思議」
「僕らの血は近いの? エルフはどうして冥界でも活動できるんだろう……」
「長くは、活動、難しい。でも、可能。ウルーシュラは、長く、できなきゃ、いけない」
またもや頷いたジジは小瓶を机に置き、まだ空の最後の一瓶を手に、マオがいる研究室の奥へと歩いていった。
「え? 俺の血? いいけど……」
「ん。助かる」
そんな声が聞こえてきた。ウルは首を傾げ、その後納得して考えた。
(魔物の血も比べることで、見えてくるものが増えるんだろうな)
興味深かった。魔法研究が好きで大変心躍るウルとしては色々と自分なりの考えを巡らすのも楽しかった。
(それにしても……)
採血の魔法があるなんて知らなかった、とウルはジジに感心したのであった。




