第8話.魔導士と弓の射手
ひどく物が多いジジの研究室は、慣れてくれば居心地がよく、ウルとシヴァはジジの様々な質問に答えながらくつろいでいた。
「シヴァ、ジジに、用ある、言った。用、何?」
マオお手製の焼き菓子を食んでいたジジがそう言って顔を上げる。同じく、口の中でほろりと崩れる焼き菓子に感動してぷるぷる震えていたウルは「あ」と言って隣のシヴァを見た。
薄焼きの甘い菓子を形の綺麗な指で摘まんでいたシヴァは「そうだった」と言って取り敢えず菓子は口に入れ、飲み込んでから口を開く。
「俺たちは、冥界に行く。理由は聞くまでもなく分かるとは思うけど、黙っていてくれ。それで、精霊のウルは冥界の空気の中では生きられないから、それを何とかする魔導具を作ってほしいんだ」
「冥界、精霊、魔導具……」
ジジは顎に手を当てて考え込んでいる。マオはそんな彼女を眺めながら大きく息を吐いた。
「早いな、主」
「え? 何が早いの?」
マオの呟きにウルは首を傾げる。目を瞬いてウルに目を向けた彼は、苦笑して肩をすくめた。
「多分、もう魔法の設計図辺りは考え付いてるんじゃないかな」
「え?! 早すぎじゃない?!」
同じく魔法を行使する身としては、驚きしかないウルである。全く未知の魔法を用いて魔導具を作るなんて、ウルの技術では何ヵ月かかってしまうことか。勿論、ウルも平均を遥かに上回る技能の持ち主なのであるが。
「天才魔導士って言っただろ、ウル」
「……予想以上だよ」
「さて、どうなるかな」
ジジの集中を乱さないよう小声で囁き合う二人の前で、突然彼女はガバッと顔を上げた。
「できる。でも、ウルーシュラ、貸して。調べる、隅々、まで」
「おう、好きなだけ調べてくれ」
「ちょっとシヴァ、僕のことなのに何で君が勝手に許可を出すんだ! あ、ジジ、勿論調べてくれて構わないんだけどね……」
「分かった。明日、から、取り、かかる」
「頼んだぞ、ジジ」
「君は人の話を聞きなよ!」
シヴァは喉を鳴らして低く笑うと再び優雅に焼き菓子を摘まみ始めたのであった。
――――………
翌日、またもや魔法学園の生徒たちに追いかけ回されたウルは、全力疾走の後、滑り込むようにしてジジの研究室にやって来た。シヴァはそれを予想していたのか練兵場へ行ってしまっている。ウルは酷いと思った。
「ん、よく、来た」
「わあ、君がアルタラの一族の精霊君? 可愛いねぇ」
こっくりと頷いて迎え入れてくれたジジの前には先客がいた。
艶やかな黒髪を赤い紐で頭の高い位置に結い、先の尖った耳には白い鳥の羽根と紅玉の粒の連なった耳飾りを揺らしている。
ウルを見て楽しげに細められた目は長いまつ毛に縁取られた柔らかな飴色だ。半袖の白い短衣に、袖無しで少し丈の長い紅色の薄衣を重ねて、その細い腰には上品な金糸の細帯を締め、裾が広がるひらひらした白いズボンを身に付けている。
「こんにちは。あたしはミレイシア・トーレン。王下三弓の一人、咆哮将軍よ」
「僕はウルーシュラ。よ、よろしく」
「可愛いねぇ。うふふ」
ウルの手をとってふわふわ笑う彼女に若干戸惑いつつ、本当にこの可愛らしい人がリンとレイが女王以外で唯一敵わない相手なのかといぶかしんだ。
(全然怖くないじゃないか……)
ふとジジの手にウルの目が行った。彼女の手には小さなその身体に不釣合いな長さの紅の弓がある。紅火竜の弓であり、翠玉の装飾がされた美しくしなやかな弓だ。
昨日のジジの説明を思い出して、それが咆哮弓であろうとあたりをつける。
ウルの視線に気づいてミレイシアが「ああ」と声を上げた。
「ちょっと調節を頼んだの。あたし、もっと火力が欲しくて」
「……火力? 弓、だよね?」
「うん。咆哮弓は獅子の咆哮に似た弦音で魔物を打ち払うんだけど、それだけじゃつまらないでしょう? だから火を放てるようにしてもらったの」
「楽しい。ジジ、改造、好き。良い、物、改良、素敵」
ジジもこっくりと頷いている。確か王下三弓の弓は女王が授けるものだったはず。改造してもいいのだろうか。ウルは少し混乱しつつ、やがて考えるのをやめた。
「うん……良いと思う、よ」
「わあ、だよね! あたしもそう思ってるんだ! ウル君とは気が合いそう!」
「あはは……」
苦笑いしたウルにミレイシアは魅力的に微笑むと「じゃあ、あたし用があるから」と言い、手を振って部屋を出ていった。
「元気いっぱいだなぁ……」
「シア、優しい。話す、楽しい。弓も、面白い」
「そっか……」
「ウルーシュラ」
弓を傍らの作業台に置いたジジが、くるりと振り返る。ローブの袖から、先端に菱形の紅玉が付いた金の短杖を取り出してその先をウルに向けていた。
「調べる、じっと、してて」
「う、うん。よろしく……」
ウルは上手く言い表せない不安を感じてぎゅっと固く目を瞑ったのであった。
――――………
その頃シヴァは、獅子弓軍の練兵場に来ていた。魔法学園の生徒たちに追い回されるのが嫌だからではなく、霊弓テンペスタを使いこなすための練習に来たのである。
練兵場の内側に屋根の無い訓練広場があり、そこの地面は兵たちの日々の訓練によって踏み固められている。
「あっ、シヴァ」
「よう、リン」
やって来たシヴァを訓練用の木剣を手にして、目の前に一般兵の山を積み上げたリンが爽やかな笑顔で片手を挙げ迎えた。目の前の山を見る限りその全員を訓練で叩きのめしたのだろうが、彼の白い肌には汗の一滴も見受けられない。
「どうしたの?」
「弓の練習」
「ああ。もしかして、それってウル君が作った霊具?」
そうだ、と答えながらシヴァは慣れた様子で練兵場の端に練習場所を確保する。弓の練習用の魔導具を借り、紫の魔石を取り囲む金の枠の端に付いた突起をカチッと捻って起動した。それを地面に置くと、紫の魔力の塊が五つ現れて宙に飛び上がる。
「君が弓を使うのって新鮮だなぁ」
「そうか」
「僕は弓ならまだ君に勝てるよ」
「ふーん」
そこそこの速度で動く紫の魔力の塊へ濃紫の目を向け、弦に左手を添える。バチッと青雷の矢が現れた。最初の五発はただ矢を放つだけ。自分の癖を把握する。そのためにゆっくりと両腕を上げ、打ち起こしていく。
(あーあ。すごく良い型。この分じゃすぐに腕前追いつかれちゃうや。やんなっちゃうなぁ、もう)
シヴァを眺めながらリンは苦笑した。シヴァの武術全般の才能は目を見張るものがある。彼はそれを素直に尊敬していたが、羨んでもいた。それは天賦の才であり、どれだけ努力しても手には入らないものだったからである。
群青に、藍色に煌めく波形の装飾が描かれた金色の弓身がしなり、キリキリと弦が引き絞られた。青雷の鏃が素早く動き回る的を狙う。シヴァの目が細められた。
鋭く澄んだ弦音。少し遅れてパァンッと的が射抜かれて砕ける音が響き渡る。きらきらと紫の魔力粒子を散らして消えていく的を眺め、シヴァは一人頷いた。そして次の矢をつがえる。
それから、残り四つの的が射抜かれるのにそう時間はかからなかった。
的を全て射抜き、テンペスタをじっと眺めたシヴァはリンを振り返る。
「どうだった」
「もー、嫌になっちゃうくらいだよ」
「それは良いってことか」
「そ。流石だよね」
肩をすくめたリンを見て、シヴァは考え込んだ。そして両手の力を抜いて弓を肩に掛けると「お前のを見せてくれ」と魔導具を再発動してその場に座り込む。
蒼水竜の穿爪弓を握ったリンは首を傾げて「なんで?」と言った。シヴァは自分が弓を引くところなんて飽きるほど見ているはずだ。
「自分が引くようになったら、着眼点が変わるだろう。それが気になる」
「ふーん。なるほどね。いいよ」
微笑んでそう答えると、リンは蒼穹の瞳をふっと、動き回る的に向けた。一般兵が五本の矢を持ってきて彼に差し出す。
それを左手で受け取った彼は、ふふんと自信満々に笑った。
「多分君のお手本にはならないよ」
そこでシヴァは、二人の周りに一般兵が沢山集まってきてリンを見つめていることに気づいた。彼等の中からは「穿爪将軍の“五爪”が見られる!」という喜びの声が聞こえる。
「君には見せたこと無かったからね」
そう言ってリンは五本の矢をそのまま全部一気につがえた。それを見たシヴァは、これから彼が何をしようとしているのかを察して思わず息を呑んだ。