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銀星と黒翼  作者: ふとんねこ
第一章.精霊の国編
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第3話.傷と痛み


 ウルを抱えて夜空を飛んだシヴァが降り立ったのは、火の都セシュレスの、世界樹を挟んで反対側にある水の都リヴィエールであった。

 水精たちの都は、街中に整然と引かれた水路から涼やかな水音が響き、薄青を帯びた白い石製の建物が並ぶ美しい街で青の都とも呼ばれている。


 甘い白花の香りが微かに夜風に漂う街は、人気(ひとけ)無く寝静まっていた。身に宿す属性上火の精霊とあまり仲の良くない水の精霊の都を選んだのは、物理的距離も含めて情報の到着が遅くなるに違いないと踏んだからである。

 そう冷静に考えるシヴァにはここを選んだもう一つ理由があるが、それについて説明する必要は無いだろう。


「わぁ……ここが、水の都」


「ぼさっとしてる暇はないぞ」


 生まれてはじめて見るリヴィエールに感動するウルに、厳しく一言を投げてシヴァはさくさくと歩き始めた。置いていかれないように慌てて追いかける。石畳の道を行くシヴァの様子はどう見てもこの街に慣れているとしか思えない。隣に追いついてその横顔を窺うと、ちらりと一瞥を返された。


「……ここには、今までに何度か来たことがあるんだよ」


 丸い目をぱちくりと瞬くウルの表情から、彼の考えていることを察したのかシヴァは溜め息混じりにそう答えてくれた。


「そうなんだ……」


 納得したウルはシヴァを眺めるのをやめて前を向く。攫われた当初は小動物みたいにふるふる震えていたくせに意外と図太いな、とシヴァは彼を観察した。シヴァが霊具の卵を得たことを知っていることに加え、その魔法の腕が何かしらに利用できそうだから連れてきたが、足手まといになったらすぐ捨てるつもりだ。


(それにしても、あれは……ふぅん、なるほどね)


 彼は藍色の目でじっとウルを観察していた。ウルの身の上を何となく察し、細まる目をそっとそらす。その様子に気づいたウルが首を傾げた。


「何?」


「何でもない」


(少なくとも今は)


 シヴァが心の中で付け加えたその一言を知るはずもなく、ウルは怪訝な表情で首を傾げ続けている。



 さて、気を取り直して顔を上げたウルの目線の先に、シヴァの目的であるらしい看板が見えてきた。白い鳩の彫られた四角い看板である。白鳩の下には古びた金色で『白鳩の尾羽亭』と記されていた。その看板のある建物と建物の間の細い路地に入り少し歩く。薄暗がりの路地にウルはきょろり、と不安げに辺りを見渡した。


 目的の店の明かりの漏れる木戸を引くと、リリンと鈴の音が鳴る。カウンターの前の食堂に人の姿はない。

 特に言葉もなくシヴァとウルを迎えたのはカウンターの内側で静かに帳簿を繰っている壮年の男だった。


「……今回は、面倒事を抱え込んだみたいだな、シヴァ」


「ああ。あの部屋、空いてるか」


「あそこはいつも空いている」


「ん。ありがとな」


 それだけ言葉を交わして、シヴァは奥の階段に向かう。顔を上げもしなかった男を横目で見ながら、ウルはシヴァの背を追った。




 二階に上がり、暗がりの一番奥の部屋の扉を慣れた様子で開ける。

 中に入り、壁に取り付けられた四角いガラスの入れ物を人差し指で二度突くと、ふわりと明かりが灯った。暗かった部屋全体が程よく明るくなる程度で、あとは窓から青い月光が差し込んでいる。

 シヴァは窓に寄って注意深く外を眺めてから(この宿屋の裏手は水路に面しており、向かい側には歩道があった)薄い生地のカーテンをシャッと閉めた。


「明日の朝、ここを出て徒歩で隣の土の都へ向かう。取り敢えず動き続けなきゃならない。寝ておけよ」


 長椅子を指し示し、シヴァ自身は寝台に座って霊具の卵を取り出して眺め始める。

 大人しく長椅子に腰掛け、卵を観察するシヴァをじっと見つめるウル。その視線に気づいた彼は「何?」と顔を上げた。その藍色の眼は柔らかな明かりを受けて優しげな紫色に見えた。


「どうして徒歩なんだ? 君は今夜やったようにセシュレスから遠く離れたリヴィエールまで飛べるのに」


「あのな、昼間にこの国の外側を飛び回るのは目立ちすぎる。かと言って夜動くために一ヶ所に長く留まるのも危険だ」


「でもわざわざ都間の門を通るのは危険じゃないか? あそこには魔法破りの装置があるし……」


「ふん。門なんて強行突破するさ」


「それじゃあ目立つだろう。君、おかしいぞ」


 ウルがそう言うとシヴァは眉間にしわを寄せた。不機嫌なのは間違いない。しかしウルにも譲れないことがある。何せこちらは捕まったらまた永遠の牢屋生活に逆戻りなのだ。作戦が無いなら立てなければ。


「はぁ……適度に目立って、そこの枝守や兵団を引き付ける。そうすれば他所の枝守や兵団は手出しがしにくくなるだろう? それに他の考えもあるんだが……それを話すのは面倒だ」


 シヴァはそう言って鼻を鳴らした。確かに、枝守は他の枝守に自分の守る都のゴタゴタに手出しされることをひどく嫌う。


「卵が完全な霊具になるまで、七日間は動き続けなきゃならないんだ。移動中はなんとか精霊に紛れて、それから門を破り、とにかく一ヶ所に留まらないようにする」


「そう、か……」


 ウルはそう言い切られると反論できなくなった。自分はこうした逃避行に慣れていないし、シヴァはどうやら慣れていそうだから任せた方が良いのだろうか。

 もやもやと悩むウルに「じゃあ寝ろよ」と彼は背を向けた。つやりと濡れた様に光る大きな漆黒の翼につい目を奪われる。


「……君は、魔物なのか」


「…………さあね」


 シヴァは背を向けたまま適当にそう答えた。

 でも、とウルは考える。魔物は世界樹ユグドラシルの力によってユグラカノーネに入ることができない。ならばここにいる彼は魔物ではないということになるが、そうなると翼について説明がつかなくなる。精霊にも人間にも、羽根の生えた翼を持つものはいない。


「魔物でも、人間でも、精霊でもないもの……」


「…………」


「……魔物は怖いものだと教えられた。精霊の本能が嫌うらしい。僕は君を怖いと思わない」


「……ふん、最初はずっと震えていたくせによく言う」


「今は怖くないんだ。それなら本能の恐怖じゃないだろ」


「…………」


「君は、いったいどこから来たんだ? 復讐のために霊具を求めるのは何故?」


 いつの間にか、好奇心に後押しされてウルはシヴァにじりじりと近寄っていた。

 その翼があまりにも美しいものに映るので触れてみたくなる。ウルの手がそろそろと伸びた途端、シヴァがごろりと振り返った。


「お前、そんなに俺のことが気になるのか? 仮説を立てて、根掘り葉掘り聞いて、そんなに知りたいのか?」


「うっ、そ、そうだよ……自分を誘拐した相手だぞ、気になって悪いか」


「…………」


 開き直ったウルにシヴァはじとっとした目を向ける。部屋に降りた沈黙が落ち着かず、ウルはもごもごと言葉を探した。その直後、いきなりシヴァの右手がウルの腕を掴んだ。ウルはぐっと引き寄せられて、仰向けの彼に馬乗りになるような体勢になる。


「な、何するんだっ」


 自分のすぐ近くでシヴァの瞳が月光に藍色に、群青に、妖しく煌めく。その色の鋭さに焦ってじたばたし、何とか逃れようとするウルの抵抗を簡単に押さえ込んだ彼は、ふっと口を開いた。


「……じゃあ俺も、お前について仮説を立てて、根掘り葉掘り聞いてやろう。何せ俺が誘拐した相手だからな?」


「え、あ、シヴァ……」


 シヴァの目は仄暗く冷たかった。黄昏の暗がりの様なその色は、いったい何を見てきたら宿るのだろうか。刺さるような殺気に近い彼の気配に、ウルはぞわりと背を撫でる悪寒に震えた。


「お前は羽を持たない精霊、アルタラの一族の一人だ」


 その言葉と共に彼の左手がウルの背を撫でる。薄い服越しに触れるその手は思ったより温かく、しかし捕食者の視線のような恐ろしさがあった。


「世界樹の枝は十一本、アルタラの一族が枝守を務めるのは七本だったよな。それでお前は火の枝の石牢に幽閉されていた。しかも魔力を封じられて」


 シヴァの口からするすると出てくる言葉は、いとも容易くウルの胸の内に入り込み、弄ぶように爪を立てて嬲る。ひりついた傷を抉っていく。


「アルタラの一族は、霊王の涙に四季の枝のどれかの花を宿して生まれるんだよな……そして同じ季節の花を宿した者同士は兄弟と言われる」


「シヴァ!」


「俺はな、イルジラータを見たことがあるぜ。遠かったけど、目は良いからしっかりな」


「いや、だ、それ以上は……」


 背から滑り降りてきたシヴァの左手がウルの鎖骨に触れる。左の鎖骨の下に空色の四片(よひら)の花が咲いていた。彼にとってそこにあるのが当たり前だから隠すという発想が無かったのだろう。だからシヴァは彼の隠された痛みを暴くことができた。

 これは、イルジラータの左頬にも咲いているものだ。春の花、四季の枝の内、春の枝が空色の花をつけていた頃に生まれた証。


「うっ……ごめん、僕が、僕が悪かった。だから……もう、やめて……」


 ぽろぽろと涙をこぼし始めたウルにシヴァは最後まで言わなかった。元より、言う前にウルが音を上げるだろうと考えていたので言うつもりはなかったのだが。

 決定的な最後の言葉は、ともすればウルの心臓を一突きしかねないものであると、この短い時間で彼は察していた。


 泣きながら自分の胸に伏せてくるウルの背を今度は優しく撫で、落ち着くように名前を呼ぶ。

 ウルは、嗚咽の合間でただただ謝り続けていた。


 シヴァに撫でられながら、ウルは己の好奇心と無遠慮を呪っていた。自分にあれこれ聞かれて、シヴァは怒ったのだ。過去の傷を抉られて痛みに顔をしかめたのだ。

 そしてウルを傷つけることを理解した上で先程の言葉たちを吐いたのである。


 シヴァは自分と同じように、生まれや、生きてきた道について聞かれるのを酷く嫌っているのだと分かった。

 弱い自分が泣いてそこから逃れようとするように、彼は他を傷つけることでそこから逃れようとするのだと。


 その痛みが分かるから、その憤りとやるせない悲しみが分かるから、ウルは泣いていた。


「ごめん、シヴァ、ごめん」


「……いいよ。俺も、言い過ぎた」


 同じ痛みを抱えた相手に、お互い初めて出会った。

 気づいてしまった今、互いにその痛みに触れることを恐れている。君は強いな、という言葉を呑み込んで、ウルはそのまま泣き疲れて眠った。

 大人しくなった少年に、シヴァは溜め息を吐いた。何の因果か、はたまた呪いか。

 牢に繋がれていた相手だ、厄介なお荷物だと理解はしていた。面倒になったら斬り捨ててしまえとも思っていた。しかし、ここまで厄介な相手だとは、ここまで己に近しいとは思っていなかった。


(くそっ……)


 彼が、今日であったばかりの相手に吐いた言葉の刃は、彼自身にも深く突き刺さるものであった。つまり内心を吐露するに等しい行為だったのである。

 気づいてしまった今、邪魔なら彼の手を放して捨ててしまおうと囁く心の声が弱くなった。自分の中にまさか残っていると思わなかった微かな良心。邪魔でしかないそれを引き裂いて捨ててしまいたいのに、それでは憎む相手と同じだとどこか遠くから理性が言う。


(くそっ……)


 彼はもう一度、心の中で毒づいた。


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