第5話.魔法学園
見事な着地を尻で決めた(もうウルの中の印象はこれで固まってしまった)レイニールは尻の痛みが引かないので、練兵場へ行って膏薬を貰ってくると言った。
「あ、そうだ。飴いるかい?」
彼は唐突にそう言うと鳥の巣もかくや、と言った様子の淡い金糸の髪から紙に包まれた物を取り出した。
「兄さん! また髪の中に色々入れてんの?! やめてよね、僕が梳かす時に引っ掛かるじゃん!!」
「えぇ~、じゃあ梳かさなくていいよぅ」
「はぁ?! 馬鹿じゃないの?! 将軍が格好悪いと士気が下がるんだから!!」
「じゃあ私、丸刈りでいいよぅ」
ユレイグ兄弟のやり取りを眺めていたウルは、襟首を掴まれて揺すぶられるレイのその言葉に噴き出した。完全に不意打ちだった。
「丸っ……ま、丸刈りっ?! そ、そんなの僕が許すわけないでしょ?!」
リンの声が所々裏返る。そこに彼の動揺が窺えた。シヴァはウルの隣で俯いて肩を震わせている。
「え? 私の丸刈り見たくない?」
((少し見たい))
ウルとシヴァの心の声が完全に一致した。襟首を掴まれたままのレイに、ぽんやりと聞かれたリンは真っ青になって首を猛烈に横に振った。
「やめっ、やめてよ……そんな、そんな格好悪い兄さん見たら死んじゃう……」
「え、リン、私が丸刈りになったら死んじゃうのかい?」
レイはヘーゼルグリーンの瞳を不安げにリンに向けた。パッと頬に朱が差したリンは慌てて目をそらした。レイの襟首を掴む手がゆるゆると下りる。
「べ、べつにそんなっ……っ、僕は、兄さんの長い髪がす、好きだから、さ……」
もにょ、と尻切れになっていった彼の言葉にレイはぱちくりと目を瞬く。そして嬉しそうに(それはもう嬉しそうで、春の訪れを感じた花の様であった)満面の笑みを浮かべた。
「うふふ、分かった。私も可愛い弟が大好きだからね」
その言葉にリンはバッと赤くなった顔を上げて口をパクパクと落ち着きなく動かした。
「な、何言っちゃってんの……」
「リン、お前にまにましてるぞ」
「シヴァ、うるさい」
肩に置いた手を跳ね除けられたシヴァは腕を組んで溜め息を吐いた。ウルは何故か先程からレイの頭ばかり見ている。
「おいウル、想像するのはやめろよ」
「違う、違うよ……ほらあれ」
「…………」
そんな小声のやり取りをする二人を他所に、気を取り直した(本人はそのつもりだが未だにまにましている)リンが、レイの髪に触れて「じゃあ、髪に入れてるもの取り出して」と言った。
「うん、分かった。あの子には悪いけど……」
そう言ってレイはもじゃもじゃの金糸の髪の中に手を突っ込む。そして取り出したもの一つ目をリンに見せた。
「見てリン。可愛いでしょ」
「ピヨッ」
ウルが見ていたもの。それは彼の髪の隙間から顔を覗かせていた深緑の小鳥であった。
その後、リンのにまにまが一瞬で引っ込み、二人の案内をすることも忘れて兄を家へ引きずっていたのは想像に難くない。
――――………
リンの案内が予期せぬ事態によって無くなってしまったので、二人はシヴァの記憶に従ってゆっくりと散歩する様な歩みで、シリエールの北側、魔導士たちの巣窟である魔法学園へと向かった。
道中、覚悟しとけよ、とシヴァは重々しい声でウルに警告した。
「あ、見えてきた。あれだね?」
「……ああ」
白と緑に満ち溢れたシリエールの森の中に唐突に現れる赤煉瓦の大きな建物。ステンドグラスの様に日光に煌めく窓は薄く削り出した色鮮やかな魔石である。赤煉瓦に這う蔦の緑の色が映えている。見事な尖塔は黒く、扉は艶やかな飴色だ。
二人は魔法学園に近づく。ウルは感嘆の溜め息を吐いた。
「すごい、とても綺麗な建物だ……」
「そうだな」
そしてシヴァは窓を見上げた。建物の今見える範囲に並んでいる部屋は学生の学ぶ教室である。その奥は研究棟。更にその奥は寮や図書館、実戦場がある。
三階の教室では講義が行われているのか、退屈そうにしていた一人の少女が空に向けていた目をウルとシヴァに向けた。その瞳に魔力がこもるのを感じる。
「まずい」
「え?」
そして少女は何やら叫びながら立ち上がった。その目はウルに向けられ、その口は「せいれい」という形に動いた。
シヴァはウルの腕を引っ掴み、扉を押し開いて建物の中へと駆け込む。全速力で校内を走った。上の階へと続く階段の方から「精霊だ!」「校内にいる!」と言う叫び声が聞こえてくる。それを聞いてウルは納得した。
「研究棟まで走って、件の天才魔導士の部屋に逃げ込む。あそこは皆近づきたがらないからな!!」
「えっ、その人どんな人なのさ!」
「変人の中の変人だよ! 天才だから余計に質が悪い!!」
「うわぁ」
ついに階段からエルフ、その他の種族の者たちの混じった塊が溢れ出てきた。恐らく最初の彼らが叫んでいたから他の教室の者たちも出てきてしまったのだろう。
ウルを直接目にした者たちが絶叫した。
「いやぁぁっ!! 本物だわ!!」
「解剖、解剖させてくれ!!」
「何でこんなところにっ!!」
「触らせて、隅から隅までっ!!」
「ひぃっ、しゅごい!!!」
「きゃああああっ!!」
それを聞いて彼は真っ青になる。シヴァが溜め息を吐いた。そのまま走り続ける。
「シヴァ、僕は身の危険を感じるよ」
「だろう」
ウルは必死に足を早めた。
「あっ、あっちは!」
「魔物っ?! 精霊っ?!」
「まっまっまっ……」
「混じってるっ!!!」
「ぎゃあああーーっ!!」
「あっあっ、奇跡!!」
悲鳴が大きくなる。シヴァの顔もうんざりとしたものになった。黒い双翼に力がこもり、走る速度が上がる。ウルの足が浮いた。
そしてすぐ別棟である研究棟に入り、階段を飛んで上り、二階へ。その端まで全速力で駆ける。最奥にある金の竜の飾りが成された扉を蹴破るようにして二人はその部屋へ飛び込んだ。扉を閉じるとうるさかった足音がピタッと止まる。
「本当に止まった……」
(この部屋の主はいったいどんな人なんだろう……)
ウルは先程とは別の不安が背中に触れるのを感じながら、扉から部屋の奥へ目を向けた。
薄暗い部屋には柔らかな光を放つ魔法の光球がいくつも浮いている。そして大量の本が、シヴァの背丈をゆうに超える高さにまで積み上げられていた。その本の塔はぐらぐら、と不安定に揺れている。
「……地震でも起きたら倒れそうだろう」
「地震?」
空育ちのウルには縁の無い言葉過ぎて彼は首を傾げた。頭の中を引っ掻き回してようやくそう言った地が揺れる自然現象があったと本で読んだことを思い出す。
「ああ、確かに危ないね」
その時だった。
「誰だ? あんたらの言う通り危ないから適当に動かないでくれるか」
本の塔の建ち並ぶ暗がりから、背の高い青年が姿を現した。その暗い紅の髪の頭からは緩やかに湾曲した黒く立派な角が天井へ向けて生えており、足元にひょろりと揺れるのは先に槍の穂先の様なものの付いた黒い鱗の尻尾だ。
ウルの背にざわっとしたものが走った。
(魔、物……)
それと同時に剣を抜いたシヴァが瞳の青の光の尾を引いて、その青年に飛び掛かった。




