第1話.霊具と旅立ち
ウルと家族が打ち解けたあの日から四日と半日が経って、ついにシヴァの霊具の卵が孵る日が来た。ウルとシヴァの二人は、シヴァの部屋で卵を見つめていた。
陶器の様に白くつるりとした卵は、先程からパキパキと小さな音を立てている。
「こ、これ……弾けたりしないか?」
「大丈夫、なはず……」
「なんでそんな曖昧なんだ。お前が作ったんじゃないか!」
「初めてだって言っただろう!」
小さな机の上の柔らかな赤いクッションの上に安置された卵を前にして二人は何故か小さな声で囁き合うように言い争っていた。
ピシッと一筋のひびが卵の表面に走る。二人はピタッと動きと息を止めて卵を見つめた。
またもやピシッという音と共にひびが増える。その度に卵はカタカタと動き、反対に二人は固まった。
「言葉そのままに“卵が孵る”なんだな……」
「うん……本当に卵だ」
パリッ。この音は初めてだった。二人はガタッと揃って後ずさる。
「……君、何が起きても大抵余裕な表情をしてるくせにこういうのは駄目なのか」
「……お前だって人のこと言えないだろう。自分で作ったくせに」
そう言い合ってから卵を見ると、陶器の様な白い殻が一欠片剥がれてクッションの上に落ちていた。そして二人が見ている前でまたもやパリッと何かに内側から吹き飛ばされたかの様に殻が一欠片飛ぶ。
「霊具って生き物なのか?」
「近いけど……違うよ」
「絶対中に何かいるだろ」
「君の霊具がいるんだってば」
ウルがそう言った直後。
パァンッ、という乾いた破裂音と共に残っていた殻が吹き飛んだ。そして柔らかな光が部屋の中に溢れる。
「孵った!」
ウルがそう叫んで卵があった机に駆け寄った。輝いていて何があるのかは見えない。シヴァもその後に続く。
机の上のものを見たウルがピタッと止まった。その背を怪訝な表情で見てシヴァは「何か問題があったか?」と声をかける。ウルはふるふると首を横に振った。
そしてゆっくりと振り返る。その銀星の瞳には喜びの涙が湛えられており、彼の手には一張の弓があった。
「……シヴァ。僕が初めて作った……君の霊具。名前は、テンペスタだ」
シヴァは不覚にもウルの喜びの涙が自分にうつるのを感じながらその弓を受け取る。
手に触れたその弓は触り心地も重みも、すべてが完璧だった。シヴァのためだけに生まれた弓だった。
美しく完璧な曲線を描く金の弓身には、藍色に、群青に煌めく波の様な緩やかな紋様が描かれている。細くも強靭な弦は素手で引いてもシヴァの手を傷つけることがなく、彼が思うだけで青雷の矢が空気中の魔力粒子を集めてつがえられた。
現れた矢を見つめてウルは一筋の涙を流して微笑む。
「宿ったのは雷の枝の一葉だ」
引いていた弦をそっと戻すと矢は青い魔力粒子になって散っていった。その様子を眺めながらシヴァは「ありがとう、ウル」と静かに言った。
――――………
ウルは、霊弓テンペスタを握ったシヴァを連れて兄のイルジラータがいる火枝宮の奥殿へ向かった。
「兄上、今よろしいですか?」
ドアの前でそう声をかけると、微かな足音の後ガチャッと内側からドアが開けられた。そこに立っていたのは火枝宮の兵団長ラビである。
「ありがとうラビ」
「いいえ」
彼は未だにウルとの距離を測りかねているのか、よそよそしかったり馴れ馴れしかったり忙しい。
部屋に入ると、奥の机からイルジラータが立ち上がってこちらに歩いてきた。
「何か用か、ウルーシュラ」
「シヴァの霊具が無事孵りました」
穏やかに微笑む兄にそう伝えると、彼は目を見開いてシヴァの肩にかかったテンペスタを見る。
「美しい弓だ……葉は、どこの物が宿った?」
「雷です」
「……そうか」
彼の表情に変化は無いが、その声音は少し悔しげだ。彼は弟が初めて作った霊具に、自身の守る火の枝の葉が宿ることを密かに願っていたのである。
「兄上、霊具も完成しました。僕たち、その……」
行こうかと、と言いかけたウルの口がもにょ、と止まった。何故なら、イルジラータの顔が捨てられた子犬の様な哀れっぽい表情に変化したからである。
(い、言いにくい……!)
もにょ、とした口のままウルは目を泳がせた。そして服の袖がひらひらしているのを良いことに隣のシヴァを目立たぬよう突いた。
突かれたシヴァが、げんなりとした顔になり「あー」と口を開く。
「そろそろ旅立つ。世話になった」
「そ、そうか……そう、だな……」
イルジラータが肩を落とした。彼の金の瞳は弟が予言のため、世界のために旅立つことを誇らしく思うのと、やっと関係が改善し始めて大っぴらに可愛がれる様になったから手離したくない、という葛藤に揺れている。
「兄上、僕たち、必ず帰ってきます。だから、信じてくれませんか?」
「ウルーシュラ……っ、分かった、兄はお前を信じて待つ。必ず帰ってくるのだぞ」
たぶんこの場にシヴァがいなかったら泣いていると思う。
ウルは兄を抱きしめて何度も「約束します」と伝えた。
それを隣で見ていたシヴァは「はぁ」と溜め息をついたのであった。
――――………
そして翌日。旅支度を整えたウルとシヴァは火の都セシュレスの端まで来た。見送りは七人全員の枝守とそれぞれの兵団の団長である。
「ここから降下していけばエルフの国近くに降りることができるだろう。気をつけて行ってくるのだぞ」
「はい兄上」
ウルを強く抱きしめて、イルジラータは名残惜しそうにその髪を撫でている。
「ウルーシュラを頼んだわよ、シヴァ」
「ああ」
メリーニールはシヴァにそう言って魅力的に微笑んだ。
「俺の力で雷雲は避けておいた」
「僕も、風を送れる範囲までは支えるからね」
「ありがとうございます、トルネア義姉上、トルネオ義兄上」
そんなふうにウルの兄姉たちが二人に口々に見送りの言葉をかける。照れくさそうに小首を傾げるウルの前に、水の枝守ミルテルが歩み寄ってきた。
「い、行ってらっしゃい。貴方なら大丈夫よ。何たって……私の、義弟なんだから」
「!! っはい、ミルテル義姉上。行ってきます」
ウルはミルテルを抱きしめ、最後にもう一度イルジラータと抱擁を交わしてから少し離れて待っていたシヴァの元へ走っていった。
火の都の本当に端。あと数歩で陸がなくなり空になる。吹き付ける風は勇気を奮い起こす。風の枝守トルネオが二人のために贈る風だ。
「行くぞ」
「うん」
「よし」
頷いたシヴァが手を差し出す。あの月夜の様に、しかしその時とは違った強く暖かな光を湛えた目で。
ウルもまた、その時とは違う。自信と希望に満ちた銀星の瞳でシヴァをしっかりと見返して、背後には帰りを信じて待つと約束してくれた家族がいる。
「飛ぶぞ!」
「望むところだ!」
二人はそう言って勢いをつけ、地面を蹴るとユグラカノーネから飛び出した。