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銀星と黒翼  作者: ふとんねこ
幕間1
22/76

1.家族の話


 ウルたち四人が火枝宮に足を踏み入れた直後、彼らの目の前に魔法陣が現れ、そこからどっと溢れる様に六人の枝守が飛び出してきた。


「ウルーシュラ!!」


 驚いてその場から動くことができずにいたウルを、駆け寄ってきた土の枝守ジュラリアが勢いよく抱きしめた。

 その豊かな胸に(うず)められて、ウルはジタバタと藻掻く。月に照らされた砂漠の色のまつ毛を涙に濡らした異枝姉をイルジラータがやんわりと制して、ようやく呼吸を確保したウルは目を丸くしてジュラリアを見上げた。


 常に泰然としていた彼女は今、信じられないほどに涙を流していた。艶のある褐色の頬に透明な涙が伝う。薄水色の目を擦り、彼女は何度も謝罪の言葉を口にした。


 幹の中、霊王の園の円卓の間で水盆から彼らを見ていた枝守たち(草の枝守メリーニールは兵団長に保護されて後から合流した)は、ウラヌリアスが現れた直後円卓の間の床に紅い魔法陣が現れて魔法でも出ることができなくなってしまい、水盆を通してすべてを見ていたと言う。


 そしてウラヌリアスが眠り、ウルが戻ったことで魔法陣は消え、すぐに火枝宮へ転移してきたとのことだ。


「私たちがもっとしっかりしていれば、貴方を苦しめずにすんだのに」


「あ、義姉上(あねうえ)、もういいんです、どうか泣かないで」


「あぁ、ウルーシュラ……」


 またもや抱きしめられて、ウルは真っ赤になって慌てた。シヴァが少し離れたところで静かに笑っている。


 次に突撃してきたのは雷の枝守トルネアであった。男勝りな義姉は目元を赤くして駆け寄ってくると、ウルをぎゅっと強く抱きしめて一言「悪かった」と耳元で言った。ウルも彼女を抱きしめ返して「はい」と答えた。

 それから草の枝守メリーニール。先の戦闘の傷は一つも残っていない。気まずげに視線を向けるウルに彼女は花が咲くように微笑んだ。


「いいのよ。もう謝られ飽きているでしょうから、その代わりどうか抱きしめさせてちょうだい」


「!! はいっ、義姉上」


「……ああ、温かいわね」


 義姉の菫色の瞳から流れ落ちた涙をそっと指先で拭い、ウルも微笑み返した。


 その後、風の枝守トルネオや氷の枝守ロアルハーゼにも言葉をかけられてウルはとても嬉しかった。彼らの中から消えていなかったのだ。ウルがずっと欲しかった暖かなものたちは。

 歩み寄り始めのぎこちなさはあれど、家族の愛は確かにそこにあった。


「…………ウルーシュラ」


「ミルテル、義姉上」


 メリーニールに背を押され、湖面に踊る月の様に美しい水の枝守ミルテルが進み出てきた。長いまつ毛に縁取られた泉の底の深い青色の目を伏せて、彼女は遠慮がちに口を開く。


「……私は、そんなすぐには受け入れられないわ。その事について謝らないし、許してとも言わない」


「はい」


「でも、もしまた……貴方を弟と、呼べたならその時は…………」


 ミルテルはウルの目を見た。彼女の瞳の青にウルの瞳の銀が踊る。星の瞬きを閉じ込めた泉の様だった。


「私を、義姉(あね)と呼んでくれる?」


「勿論です」


「……ありがとう」


 不安そうに一歩を踏み出した義姉に微笑んで、ウルは自分から彼女を抱きしめた。ミルテルは一瞬ビクッと身を固くしたが、すぐに恐る恐るといった様子でウルの背に腕を回した。


 その後、ウルは自分を見つめる家族に微笑んだ。


「ミルテル義姉上と同じで、僕も……全てを一気に受け入れられるわけじゃないです」


 傷つけられた記憶は無くならない。それでも、愛しい霊杖が押してくれた背中の暖かさを元に、進まなければ。


「でも、ウラヌリアスを誤解していたのは僕も同じだし、僕は何より家族を大切に思い続けていました」


 だから、と彼は胸に手を当てる。


「それが戻ってきて嬉しいんです。ウラヌリアスが戦いの中で僕の傷をさらけ出してくれた。今度は……僕が、それを癒す番なんだと思います」





 それから。ウルはイルジラータに連れられて久々に霊王ティリスチリスのいる世界樹ユグドラシルの中に足を踏み入れた。

 かつてあの惨劇が起こった緑溢れる園。雪花石膏の彫刻が飾られた大理石の階段の先にある上座を見上げ、ウルは思わず息を呑んだ。


 幾重にも重ねて掛けられた紗布の奥に父王がいる。姿は見えないが動く影が見えた。ウルの心臓が早鐘を打つ。バクバクとうるさいそれを押さえるように彼は服の胸元をぎゅっと握り締めた。


「イルジラータよ。はずしてくれるか」


「はい父上」


(これが、父上の声)


 実は、ウルは今生まれて初めて父王の声を聞いたのである。その驚きから、ウルの肩をぽん、と優しく叩いて去っていくイルジラータに「僕を一人にしないで!」と叫びたくなるのを必死に堪え、ウルは上座の紗布の影を見つめていた。

 イルジラータが去り、数秒の沈黙が降りる。その間自分の呼吸の音がやけに響くような気がしてウルは気が気でなかった。


「ウルーシュラ」


「ひゃっ、痛っ、はいっ!!」


 そして唐突に父王がウルを呼んだ。慌てて返事をしようとしたウルは舌を噛み、涙目で言い直す。

 穴があったら入りたい、と頬が熱くなるのを感じて俯いたウルの耳に「くっくっくっ」という笑い声が飛び込んできた。この場にいるのはウルと父王のみ。つまりこれは父王の笑い声である。


「ち、父上……?」


「くくっ、すまぬな。そこまで緊張せずともよいというに……くくくっ」


(笑っていらっしゃる……と言うか、緊張するななんて無理な注文だ! こっちは生まれて初めて父上と会話するっていうのに!)


「ウルーシュラ、こちらへ来なさい」


「は、はい」


 内心で半泣きの抗議をしていたウルを父王がそう言って呼んだ。恐る恐る階段を踏み、紗布の掛かる上座の手前まで歩み寄ると、中から「入りなさい」と声が掛かる。


「そ、そんな、兄上たちも、直接お顔を拝見したことはないって」


「よいのだ。入りなさい」


「うぅ……し、失礼します」


 実際に半泣きになりながらウルはそっと紗布をめくり、中に踏み入った。


「あ…………」


 初めて見た父王の姿にウルは言葉を失った。そんな彼の様子に父王は穏やかな微笑みを浮かべる。


「驚いたか」


「あ、はい……考えていたより、ずっと、お若い、ですし……」


「はっはっはっ。嬉しいことを言ってくれるな」


 快活に笑う父王は、紗布の天蓋に覆われた四角い上座で、奥から張り出した世界樹ユグドラシルの幹の不可思議な出っ張りから“生えている”様だった。

 その背中はユグドラシルと癒着したようになっていて、しかし父王が動くと淡く黄緑色の燐光を放つ癒着部は自由に伸びたり縮んだりしている。


 そして白い肌に純白のゆったりとした衣装を纏った父、霊王ティリスチリスはとても若々しく美しかった。

 結うこともせずに流した艶のある長髪は陽光を紡いだ様な淡い金色で、絹糸の川の様に仄かに光っている。

 長いまつ毛に縁取られた瞳はユグドラシルの最高の一葉の新緑色。どんな宝石も敵わない鮮烈な輝きだ。

 その中性的な身体のどこにも装飾品は一切着けていなかったが、だからこそ美しい大樹を前にした時の様な感覚を覚えさせるのであった。


「余は常に幹の中におり、この国を維持しているのだと教わっただろう。こうして姿を現す時、それが幹の中であれ外であれ、余は常にユグドラシルと繋がっているのだ」


「そう、なんですか」


 ウルは突然押し寄せた大量の情報に少し混乱していて、曖昧に頷くことしかできなかった。


「……さて、ウルーシュラよ。そなたを呼んだのは他でもない。これまでのことについての謝罪と、予言についての話をするためだ」


 その美貌に浮かべていた笑みを抑え、真剣な表情になったティリスチリスは背筋を正してそう言った。


「しゃ、謝罪なんて」


「余なりのけじめだ。あれは余の浅慮が生んだ悲劇であった。そなたには辛い思いをさせてしまった。本当に、すまなかった」


「もういいんです、謝罪は受け取りますから、そんな顔をしないでください」


 ティリスチリスは眉を少し寄せ、ひどく悲しそうな顔をしていた。ウルがそう言うと彼は「そうか」と答えて頷く。


「ありがとう、我が子よ。では、話を進めよう。そなたに告げられた予言についてだ。すでに黒翼には会ったのだな」


「……はい」


「『汝の前に黒き翼の降りる時、永遠の決別は解かれ、太古の闇は去り、平穏が訪れるであろう』……か」


 予言をそっと呟く様に口にして、ティリスチリスはゆるりと頬杖をついた。その新緑の瞳は伏せられている。ウルは黙って言葉を待った。やがてその目がふっと上げられウルを見た。


「……そなたはどうしたい?」


「へ?」


「そなたの前に黒翼が降りた。その先、そなたに何かせよとは告げられていない。そなたは()の者に霊具を授け、予言におけるその役目を果たしたのやも知れぬ。それを知った上で、そなたはどうしたいと考える?」


 鮮烈な新緑に見据えられて、ウルは返答に窮する。自由の身になり、家族の愛を再び得た自分はどうしたいのか。


「そなたが望むならば、この国で兄姉を助け、後には枝守となることも可能だ。魔法の技を極めたいと言うのなら幾らでも力を貸そう」


 その言葉を聞いてウルは俯いた。家族の一員として兄姉の力となることは牢にいる間もずっと考えてきたことである。枝守を必要とする七枝すべてに枝守がいる今、枝守となることを急ぐこともないから勉強に没頭することもできる。


 ユグラカノーネにいて、誰にも拒まれることなく生きていける。苦しみも悲しみも、ほとんど無い優しいこの国で。


 ウルは両の拳にぐっと力を入れた。目を閉じると目蓋の裏にシヴァの姿が浮かぶ。

 彼の冷たく暗い瞳と、隠れた暖かな良心を思い出す。彼は復讐のために霊具を求めた。そんな彼の手を放す。それを想像したウルの脳裏にあの鮮やかな藍色の瞳が光を失う様がちらついた。


(僕の予言。シヴァ、僕は君の手を放してはいけない気がする)


 ガバッとウルは顔を上げた。ティリスチリスは微笑んでいる。きっと彼はウルが何と答えるか分かっていた。その上でウルの意志を再確認してくれたのだ。


「僕、シヴァと共に行きます。それが復讐の道でも、暗い冥界の底でも、たぶん、それが僕の行くべき道なんです」


「そうか」


 ティリスチリスは短く答え、そっと身を乗り出した。その背中とユグドラシルの癒着部が黄緑色の燐光を放ちながら伸びる。たおやかな手がウルの頬に添えられた。


「そなたは強く優しい子だ。そなたの目は真実を見る。彼の者を信じよ。そして決して絶望してはならぬ」


 間近で見る父王の瞳にウルは穏やかな光を見つけ、頬に触れるその手に大樹の優しさを感じた。


「そなたは必ずやその役目を成し遂げるであろう。銀星の子、余の末の子ウルーシュラ」


「はい……ありがとうございます、父上」


「うむ」


 静かな衣擦れの音と共に身を離したティリスチリスは元の様にユグドラシルに背を預けると満足げに頷いた。


「さあ余の話は終わりだ。イルジラータが待っている。行きなさい」


「はい」


 促されてウルは立ち上がると紗布に手をかけてはたと振り返った。


「父上」


「ん? どうした」


「あの……お話しできて良かったです。ありがとうございました」


「余も満足だ。他の子らは枝守になってからというもの堅苦しくてな。寂しい思いをしていたのだ」


「ふふ」


「達者でな」


「はい。父上も」


 そう言ってウルは紗布をめくって外へ出た。知らせが行っていたのか出口でイルジラータが待っている。


「兄上!」


「ウルーシュラ」


 彼に駆け寄り、父王と話したことをいくつか話しながらウルは園を出た。堅苦しい話だけで父王が寂しがっていると伝えると覚えがあるのかイルジラータは苦笑した。


「兄上。僕、シヴァと行きます」


「……そう言うだろうと思っていた」


「予言の様な、すごいことをするっていう実感はありません……でも、彼と歩いていけば自ずと見えてくる気がするんです」


「そうか」


 ウルとイルジラータは微笑み合い、火枝宮へ帰還した。


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― 新着の感想 ―
[一言] ウルは許す、許さないではなく、全ての重荷を一人で背負う覚悟を決めたのかなと、今回の話を読んで思いました。 ミルテルとのやり取りの後で「僕が、それを癒す番なんだと思います」と言った彼の決意にあ…
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