第21話.銀星
シヴァの腕の中で、ウラヌリアスは震えながら涙をこぼしていた。その髪を優しく撫でてシヴァは口を開く。
「大丈夫だぞ、ウラヌリアス。よく一人で頑張ってきたな」
「ボ、ボクは……」
シヴァの隣に、ラビに支えられたイルジラータが立った。その手が遠慮がちにウラヌリアスの肩に触れる。
「すまなかった。お前だけに背負わせ、弟を傷つけて……我々は許されざる間違いをいくつも犯した。許してくれとは言わぬ。だが、弟を守り続けてくれたことに、礼を言わせてくれ」
ありがとう、とその言葉を受け止めたウラヌリアスが息を呑んだ。ラビが気遣わしげにイルジラータを見ている。涙に濡れた紅の瞳を見つめ返してイルジラータは続けた。
「そしてどうか、弟を、ウルーシュラを返してくれないか。今一度、私たちに、やり直す機会を与えてはくれないか?」
「な、名前……」
(イルジラータが、ウルーシュラの名前を呼んでくれた。一族の禁を破って、呼んでくれた!)
ウラヌリアスは泣きながら、そっと目を閉じた。
――――……
自分を背後から抱きしめる腕に触れて、ウルは微笑んだ。自分から片時も離れたことがない気配。こうして自分を止めてくれる理由を知って、それでも立ち止まれないと彼を振り返った。
「ウラヌリアス」
「ウルーシュラ」
姿形のそっくりな自分の半身、霊杖ウラヌリアス。揺れて泣きそうな真紅の瞳。彼はそっと手を伸ばしてウルの頬に触れる。
「外は、痛いことや苦しいこと、悲しいことに満ちているよ」
「うん。知ってる」
「君は、世界の勝手な事情で重荷を背負わされているんだよ」
「うん……分かってる」
「……君を酷い目に遭わせた呪いは、ボクなんだよ」
「うん、そうだね」
震えながらも真実を口にする片割れにウルは微笑んだまま頷く。すると、ウルの頬から手を離したウラヌリアスは涙を溢れさせて言い募った。
「ボク、分かってたんだ! 死なないようにしたら、ウルーシュラが酷い目に遭うかもしれないって!! でも、でも……それしかなかったんだ。それに、君がまさかそんなに早く命を落とすなんて、思わなかった……」
「確かに、僕は不死であったから皆に疎まれた。でも、君が僕を守ってくれなかったら僕は今ここにいないし、シヴァにも会えなかった」
そして予言は成らなかった。精霊の国と冥界は深く分かたれたまま、永遠に争い続けることになる。
「だからもう泣かないで、ウラヌリアス。僕は君が大好きだ」
そう言ってウルは泣きながら、決してこちらに近づこうとしないウラヌリアスを引き寄せて抱きしめた。
「ウルーシュラ、ごめん、ごめんね。ボク、ボクはもう……」
「分かってる。分かってるよ」
「うっ、うあぁぁぁぁっ!!」
ずっと誤解していた。
自分を死なせなかったのは呪いではなかった。世界が自分に背負わせた重荷を、何とか共に背負おうと苦心して必死になっていた不器用で優しい半身だったのだ。
腕の中で大声で泣くこの片割れを、今度は自分が守る。そして共に重荷を背負っていくのだ。
「兄上が僕の名前を呼んでくれた。シヴァも、ラビも待っている。だから、帰らなきゃ」
「うっ、ひぐっ、ウルーシュラ……」
「ありがとう、ウラヌリアス」
ウルは振り返った。キラキラと輝く光の戸が見える。ウラヌリアスの手を引いて、彼は一歩を踏み出した。
――――……
ウラヌリアスが閉じた目を再び開いた。そしてシヴァから少し身を引いて彼とイルジラータを見上げた。
「今度こそ、守ってくれる?」
「絶対に。どこへ行ってもウルを守るよ」
「私も誓おう。必ずや、ウルーシュラを守り通す」
それを聞いてウラヌリアスは少し首を傾げて微笑んだ。涙は止まっている。寂しげに真紅の目を瞬いて彼は顔を伏せた。
「ボクにはもう、ウルーシュラを死なないようにするだけの力が無いんだ。だから、隠してしまおうと思った。でも、そうしたらウルーシュラは運命に逆らうことになる」
再び彼が顔を上げると、彼の真紅の両目には不安と悲しみが揺れていた。
「ボクはもう、ウルーシュラを守れない。ボクは、ボクは……っ!」
「その先は言うな……」
その目に揺れる悲しみの理由を吐き出そうとした彼をイルジラータが引き寄せた。ふわりと若竹色の長髪が揺れる。その色を目で追ったウラヌリアスは「……イルジラータ」と名を呼ぶ。
「これからもお前はウルーシュラの霊杖、半身だ。お前の存在が弟を守り、決して一人にしない。霊杖はアルタラの一族の魂の双子だ。どうか弟を、これからも守り続けてくれ」
ウラヌリアスはハッと目を見開いた。そしてゆっくりと、微かではあるがその表情が確かに笑みの形になる。
「そう、だね。その通りだ。ボクは、ウルーシュラの半身。霊杖ウラヌリアス。どこへも行かない。ずっとウルーシュラのそばにいるんだ!」
抱擁を解いたイルジラータは彼のその言葉に微笑んだ。
「私は、お前に嫌われているかもしれないが……この願い、聞いてくれるな?」
イルジラータを見上げて、ウラヌリアスは頷いた。
「うん。ボクはウルーシュラを守り続ける。それと……君のこと、少しだけ、少しだけね、好きになったよ」
ふふふ、と彼は笑った。その笑顔はウルの笑顔にとても似ていた。彼はそのまま一歩下がる。
「ウルーシュラも、帰りたがってる。眠っている間の話は全部伝えた。ボクもみんなを信じる。シヴァ、イルジラータ、ウルーシュラを……よろしくね」
その言葉と共にウラヌリアスの身体が光り始めた。ほわほわと淡く、薄紫と紅の魔力粒子が散っていく。それはとても美しい光景だった。
そして光が収まると同時に空の色が元の澄み渡った薄い青色になり、低い位置から差す白い日の光が、いつの間にかやって来ていた夜明けを告げる。
ウルはウラヌリアスが消えたその場所に立っていた。涙に濡れるその瞳は星の様な銀色。彼の生まれ持った色だ。
「シヴァ、兄上、ラビ……ただいま」
「おかえり、ウル」
銀の星だ、そう言ってシヴァは微笑んだ。朝日の光を受けて彼の目は目映い群青に輝き、黒い翼はしっとりと濡れた様な艶を見せる。
「ああ、ウルーシュラ……」
ついに耐えきれなくなった涙を頬に伝わせながらイルジラータがウルを抱きしめた。
「本当に、っ、すまなかった……」
「いいんです、兄上。名前を呼んでくれて、ありがとう」
「この弱く愚かな兄を、許してくれるのか」
「はい。だから、また魔法を教えてください。僕、もっと上手くなりたいんです」
「ああ、そうしよう。いくらでも、お前の望むままに」
兄弟は涙を浮かべつつ笑い合って抱擁を交わした。
それを所在なさげに見守るラビの隣にシヴァが音も無く並んだ。
「お前はいいのかよ」
「うっ、いいんだよ……僕が入るべきところじゃない」
「ま、その通りだな。お前、他人だし」
そう言って腕を組む彼をラビは「むむ」と睨む。
「お前……~っ、嫌な奴だな!」
「ふん、何か言い返したいのにいい言葉が無かったんだな」
「なっ、そんなわけないだろう!」
ラビは頬を赤くして怒鳴る。ただし、近くで主が弟と感動の抱擁をしているので声を抑えて。
「へぇ、なら何か言ってみろよ」
「うっ、お、お前だって他人じゃんか!」
「ウラヌリアスにウルを頼まれるくらいには親しいぜ」
「くっ、で、でも他人だろ!」
「まあな。でもお前よりマシってことだ」
艶然と余裕の笑みを浮かべるシヴァ。確かに欠点を見つけられない。ラビは顔をしかめる。
(何か無いか?!)
駄目だ、全く見つからない。剣の腕は、七人いる全兵団長の中で一番の腕前を持つラビ以上で、体術でも、悲しいが絶対に勝てないと言い切れる。
その容姿は恐ろしいほど整っており、他の者なら鬱陶しく見えそうな長髪がよく似合う。
(それに……)
ラビはジロッとシヴァの頭のてっぺんを睨んだ。
(僕より少しだけ背が高い!!)
何だかこれが一番悔しかった。
「く、負けた……」
「あっそ。ほら、そろそろ行って良いんじゃないか」
適当な返事にまたもや「ぐっ」と呻きながらも、その言葉に顔を上げるとウルに支えられてイルジラータがこちらに歩いてきていた。
すぐに駆け寄り、支える役を変わってもらう。
「シヴァ、と言ったな」
「……ああ」
「お前にも礼を言いたい。お前がいなければ、こうはならなかった。ありがとう。それから予言のこともある……しばらく火枝宮に滞在してくれないだろうか」
「まぁ、構わない」
「感謝する」
ウルがシヴァに歩み寄ってきた。彼の嬉しそうな顔を見てシヴァは自然と微笑む。
「……良かったな」
「君が、ウラヌリアスのやってくれていたことに気づいてくれたから。ありがとう」
「いいんだ」
「実は、君を初めて見たとき……牢の中だけど、すぐに予言を思い出した」
「あの時は見張りに追われていて、慌てて滑り込んだからな……痛かったぜ」
「ふふ、そうだったね」
肩をすくめたシヴァの言葉にウルは笑った。それから銀星の目で彼を見上げて続けた。
「君が、僕の予言、僕の宿命だ」
群青の目でウルを見下ろし、シヴァは頷いた。
「……俺も、お前に話さなきゃならないことがある。あとで、時間ができたらゆっくり聞いてくれ」
「うん。君の話を聞きたい。いくらでも聞くさ」
そして二人は先を歩くイルジラータとラビに声をかけられ、並んで火枝宮へ歩を進めた。朝の光の中、世界は確かに変動の一歩を踏み出したのであった。