第19話.紅天
紅の光柱が突き刺さって、一瞬置いたあと、澄み渡っていた蒼穹はいきなり真紅に染まった。
その不気味さに、シヴァは顔をしかめ、イルジラータとラビは青い顔を更に青くしている。
紅の空を見上げて少年は嬉しそうに笑った。
「あはははははっ!! 全部、全部全部全部っ、壊してやる!!」
「……っそうは、させん!」
イルジラータが気力で立ち上がり、霊杖を構える。ユグラカノーネを守護するアルタラの一族の一人であるという矜持からか、又はウルの兄であるから責任をと言うことか。何にせよ見上げたものだ。シヴァは初めて彼に感心した。
ラルリアンから紅蓮の炎が放たれる。己に触れるものすべてをその牙に捕らえて焼き尽くしてしまわんとする乱暴な炎であった。
自分へ放たれた紅蓮の炎を少年は紅の双眸で冷たく一瞥する。そして何の感慨も湧かないと言った様子で手をサッと一振りした。炎の中に紅の魔力粒子が飛び込んで内側からかき消す。
「なに、これで僕を倒せるとでも? それとも、また弟を手にかけるつもりなの?」
「なっ……」
炎がいとも簡単に散らされたことにイルジラータは瞠目した。しかしすぐに切り替えて次の魔法に取りかかれるのは流石経験豊富な枝守だ。鉄槍の群が少年を襲う。
「っ、お前は私の弟ではない!!」
「あっははは、そう。ならいいよ」
その鉄槍の群と共にラビが剣を抜いて飛び掛かった。ラビすら動いたというのにシヴァは迷っている。
いや、迷ってはいたが、それはウルの姿をした少年を傷つけることにではなく、彼の正体と目的について図りかねている、という理由からであった。
(……あいつの口ぶりは、まるで幼い頃からウルの側にいた様な感じだった。それに、ウルを守ろうとしているのは確かだ。だが、その理由……目的が分からない)
鉄槍も紅の魔力粒子によって簡単に破壊されている。ラビの剣擊は魔力の盾が瞬時に展開して防がれていた。
「あはははは! 弱い、弱いよ! 本当にみんな駄目だなぁ。やっぱりボクがウルーシュラを守らなきゃ!!」
少年は両手を踊る様に動かして魔法を操っている。その正確さと素早さ、威力はウルが魔法を行使したときとは比べ物にならないレベルだった。
(……あいつは何で杖も無いのにあんな風に魔法が使える? やはり魔物なのか……?)
地上の森のエルフたち、天上の精霊たち、そして人間の中に存在する魔導士等、この世界で魔法を行使する者で、魔物以外は必ず杖を通して世界の理に干渉する。
杖を通すことで魔力による世界への命令が響きやすくなるからだ。杖を使わないと酷く力の弱い魔法しか使えない。
「あぁ、くそっ……」
ひらり、白い手が踊る。シヴァはその様子を睨むように観察した。その手が起こした空気の揺らぎに魔力粒子が乗って波紋を作る。
(…………!)
その動きに見覚えがあった。
ウルが霊杖ウラヌリアスを動かして空気を薙いだときにも同じ現象が起こる。空気の流動に魔力粒子が乗せられて動くのだ。
それに気づいてしまえば早い。そもそも彼はどうやって現れた? ウルを取り込んだのは彼の霊杖ウラヌリアス。どう考えてもこの少年はウラヌリアスであると言うしかない。
「おいっ、ウラヌリアス!!」
「!!」
ピタッと少年が動きを止めた。その白い頬をすでに放たれていたイルジラータの魔法が抉る。それでも少年は構わずにシヴァを振り返った。
ラビが足を止め、困惑した表情のまま二人を見ている。イルジラータはシヴァの声を聞いた直後にハッとした表情をして、少年を見つめた。
(多分、これで……この考えで正しいはずだ)
シヴァは藍色の目を少年に据えたまま、そっと一歩を踏み出した。
――――……
心地好い微睡み、慈愛に満ちた母の腕の様な気配に抱かれてウルは静かに目を閉じていた。
痛いことも、悲しいことも、苦しいことも、何一つここには無かった。
(きっとちゃんと死ねたんだ。外には何もなかったかな。みんな、大丈夫かな)
大丈夫だよ、と誰かが答える。自分を抱きしめてくれているのはこの人か、とウルは微笑む。
(そうか。こんなに優しくて暖かいのだから、この人にすべて任せておけばきっと大丈夫だ)
何も気にせず眠って、と言われてウルは小さく身を丸めた。
もう痛いことも、苦しいことも悲しいことも嫌だったから、二度と目覚めなくて良いと思った。
――――……
シヴァの言葉を待ち、少年は黙って彼を見返している。
「……お前、ウラヌリアスなんだろ」
「……その答えは正解だけど、正確にはまだ足りないよ」
「……そうか」
紅い空の下、少年はじっとシヴァを見ていた。その頬の傷から血は流れ出なかった。ただ、こほりと紅の魔力粒子がこぼれ落ちただけ。瞬く間に塞がったその傷に、シヴァは考える。
この少年が霊杖ウラヌリアスであることに間違いはない。彼自身も直接的ではないにせよ認めたし、そうでなければ彼の魔法の行使の仕方に説明がつかなくなる。
ならば、残りの“足りない”部分は、これまでの事を考えて、ウルの不死性に関係するのだろうと思った。彼が死んで、恐らくカウントダウンの様なものだったであろう目の色が、最終段階と考えられていた真紅になった時、ウラヌリアスが現れたのだから。
(そもそも何故ウルは不死なんだ?)
ウルの不死性を司るのがウラヌリアスなら、この霊杖はアルタラの一族の他の精霊のものと大きく違うと言うことになる。
(そうでなきゃ、アルタラの一族はみんな不死だ)
だがそうではない。つまりウルとウラヌリアスだけが特別なのだ。
(何故?)
何故ウルとウラヌリアスは特別でなければならないのか。
(特別にならざるを得ない理由があるんだな?)
シヴァはウラヌリアスを見つめた。蒼穹を紅柱が貫く前のあの表情を思い出す。
「……お前は、ずっとウルを守ってきたんだな」
「うん。だって、誰もウルーシュラを守ってくれなかった。ボクが守るしかなかったんだ」
先程の狂気の様子はどこへやら。ウラヌリアスは淡々と答える。その様子から窺えるのは、誰に頼ることもできず一人で涙を堪える子供の様な、「助けて」とただ一言も声に出せないでいる孤独だった。
「たった一人で、ずっとか」
「…………」
「教えてくれないか。何で、お前がそうしてウルを守るのか」
そう言うとウラヌリアスはキッとシヴァを睨んだ。
「いやだ。もう遅い。ボクしかウルーシュラを守れないって分かった。だから隠したんだ」
紅に染まった空に幾つもの紅い魔法陣が浮かび上がる。緩やかに回転するそれは全てがユグラカノーネの方を向いていた。
それを見上げてイルジラータが悲痛な声をあげる。
「それだけはやめてくれっ……私には、お前を止める権利が無いかもしれない。だが、それだけは駄目だ……ユグラカノーネを攻撃しないでくれ。あの子も、それは望まないはすだ」
「君に何が分かる。この子を理解しようともしなかったくせに」
「その、通りだ……だが、だが……」
イルジラータは必死に言葉を探しているようだった。しかし長らくウルから離れていたことがあだとなり、何を言えば彼を止められるのか分からないでいる。
そんな主を支えながらラビも必死に言いつのる。
「どうか、お願いだから……」
二人を睨みながらウラヌリアスは白い手をひらひらと動かしていた。彼の裁量一つでユグラカノーネは終わると示されているようで、それを見たイルジラータは呻いている。
「……何故分からないの? どうして、ボクがいると思っているの?」
少年はそう言いながらイルジラータを見下ろした。彼を見上げるイルジラータの金の瞳には困惑の揺らぎがある。
シヴァは更に考えた。しかし会って二日程度の自分には、彼が特別にならざるを得ないような内情を知ることはできない。だから答えはどう足掻いても出なかった。
少し苛立って鼻を鳴らしたシヴァは、音も無く移動して突然ラビの襟首を掴んだ。
「ぐえっ」
「汚い声出すな。空気を読め」
(り、理不尽だ……)
ラビはウラヌリアスと見つめ合うイルジラータが心配でならないのに、突然(ラビから見て)奇行を働いたシヴァを涙目で睨んだ。首が痛い。
そんな彼の様子には構わず、シヴァはその襟首を掴んだまま顔を近づける。
「おい、ウルに何か、他のアルタラの一族の精霊には無い特別なことはないか?」
「は? そんなこと何でお前に……」
襟首を引っ張る力を強めるとラビは呻いてシヴァの手をバシバシと叩いた。
「あった、あったよ、思い出したっ!」
シヴァの目が細められる。伏せられた睫毛によって影が差し、藍色の目が濃紫に変化した。それを苦しさで涙に濡れた炎色の目で睨みながら、ラビは続ける。
「彼が生まれたときに、予言があったんだ!」
「……予言?」
予想もしなかったその言葉は、シヴァの胸にもトン、となまくらの刃の先の様に鈍く触れた。