第17話.水盆に映る
ふらついた身体、慌てて膝をつきつつウルは呆然としていた。同じように膝をついているイルジラータが嘲笑を浮かべながら吐き捨てる。
「馬鹿め。お前も……今となっては追放された身だがこのユグドラシルから生まれたのだぞ。その一枝でも傷つければ、どうなるかは簡単に想像がつくだろう」
「そん、な」
ウルはよろよろと、しかし必死に踏ん張って立ち上がった。イルジラータは続ける。
「まあ、私にダメージを与える、と言う面では成功している。だが……」
詰めが甘い、とその言葉と同時にイルジラータが霊杖ラルリアンを少し引いた。
ズッ……とウルの背後で何かが動いた。
シヴァが警告の短い声を上げ、真っ青になって駆け寄ってくる。
しかし間に合わなかった。
振り返る間も無く、背後の地面から斜めに突き出した氷柱がウルを貫いた。
イルジラータが冷たく言う。
「その目が真紅になったとき、訪れるのが災いか、お前の死か……この目で見届けてやる」
――――……
時間は少し遡る。
世界樹ユグドラシルの幹の中、霊王ティリスチリスの園の円卓の会議の間。五人の枝守が、円卓の中央に置かれた巨大な銀の水盆を緊張した面持ちで見つめていた。
逃亡した少年が草の枝守メリーニールを倒したという報告と、火の枝守イルジラータが、彼に対してついに強行手段に出たという報告が同時に全枝守に届けられたのである。
炎による転送魔法で、少年と奇妙な青年は火の枝の上、火枝宮の前に連れてこられた。枝守たちは水盆を通してその様子を見つめていた。
イルジラータの身勝手は咎めなければならないことであるし、簡単に手出しできない案件なので加勢にも行けない。
だから監視にとどまっているのだ。
「……あいつ、強いな」
雷の枝守トルネアが黒翼の青年を眺めてそう言う。弟の風の枝守トルネオは気弱そうに眉を下げている。恐らく、この状況で敵の強さを見て、自信を無くしているに違いない。
「ふぁぁ……んんー。ラビは、若いから、ね」
あくびをして氷の枝守ロアルハーゼがそう呟いた。老爺の様な発言であるが、確かに彼はこの中でも年長者の部類に入る。
そしてロアルハーゼはことん、と眠ってしまった。ゴトッの方が正しい表現かもしれない。何と言っても彼が額を落とした円卓は大理石なのだから。「痛くねぇの」とトルネアが言う。
「一体イルジラータはどうするつもりでしょう……」
土の枝守ジュラリアは溜め息を吐く。追放された者でも、かつて慈しんだ家族であったのだ。家族と、家族であったものが戦う様を見るのは辛かった。
「ふん。あんなの、とっとと殺してしまえばいいのに」
「ミルテル!」
水の枝守ミルテルの呟きにトルネアが机に拳を叩きつけて怒鳴った。ロアルハーゼは起きない。
「何よ」
「お前……お前、よくそんなことが言えるな!!」
頬を赤くして怒鳴るトルネアをミルテルは鼻で笑った。
「あんな呪われた子、ちゃんと死ぬまで殺すべきだったのよ」
「殺したら、何が起こるか分からないってのにか!」
「その時はその時よ。一族の力を合わせて対処すればいい」
「お前は、あれを見て分からなかったのか! あれは、俺たちが対処できるような甘っちょろいもんじゃねえ!!」
「そうなればお父様の御力を貸していただけばいいじゃない!」
「それでも駄目だったらどうするつもりだ?!」
「お父様の御力が信じられないと言うのっ?!」
「もうやめなさい!!」
言葉を投げつけるだけになった二人にジュラリアが叫んだ。二人はハッとして押し黙り、気まずげに席についた。
トルネオが双子の姉を心配そうに見ている。
(姉さんは、あの子が蘇生する瞬間を見ていたから……あの子の身に掛かっている呪いを酷く恐れているんだ。でも……ミルテル義姉さんの頑なな態度も、きっとあの子に向けてきた慈しみの反転したもの……儘ならないな)
「あ、あの……」
そしてイルジラータの行動もまた、ミルテルと同じようなものなのであろう。やはりイルジラータを止めよう、と発言するためトルネオが口を開いた直後。水盆に衝撃の光景が映し出された。
少年の細い身体が、冷徹な鋭さの氷柱に貫かれている。少年は真っ青になって駆け寄ってきた青年に何か言おうと口を力無く動かしていた。
イルジラータがぐったりと両手を地に付く。目を覚ましたラビが縛られたままもぞもぞ動いている。
白い氷柱を赤い鮮血が静かに伝うのと同じ様に、少年の白い顎を口から溢れ出した血が伝う。
ついにイルジラータが魔法を維持できなくなり、氷柱が魔力粒子の塊に変化して散った。少年の身体が支えをなくして力無くくずおれる。
それを青年が受け止め、必死に名を呼んでいた。
ジュラリアは口元を覆い、目を見開いて首を横に振っている。
ミルテルは勝ち誇ったように笑い、ロアルハーゼはいつの間にか目を開けていて俯いていた。
トルネアの顔から血の気が引き、トルネオは思った。
(何が起こるか分からないけど、少なくともあの青年は、出会いはどんなものであれ、今、あの子を大切にしているんだな……)
震え出した姉を支えながら、彼は一抹の寂しさに瞑目した。