第16話.抗戦
四人の間を風が通り抜ける。
誰も動かないで相手の出方を窺い続けている。
じり、とラビが動いた。それに反応してカッと目を見開いたシヴァが踏み込む。翼による推進力を得た彼の突撃は恐ろしく早い。瞳の群青が光の尾を引く黒い流星だ。
「はっ、どんなもんか見せて貰うぜ!」
「部下の仇、取らせてもらう!」
二人の剣がぶつかり合ったとき、ウルとイルジラータの間にも動きが生まれた。
指先一つ動かすこと無く、イルジラータが炎熱の槍を放つ。盾を作り出し、それを防いだウルは対抗する様に流水の槍を何本も発射した。
シヴァの黒光りする剣は恐ろしい早さと鋭さをもってラビを襲う。精霊からしたら忌まわしい冥界の鉄。ラビは炎の色をした目に嫌悪の色を浮かべていた。
「よく、そんな剣を使えるなっ!」
「ふん、そっちこそ、よくそんな腕前で兵団長を名乗れるな」
「何?!」
「はっ。この程度の挑発に乗って……思った通りお子様だ」
ラビの頬に朱が差した。彼は力を思いっきり込めて上段から剣を振り下ろす。
それを易々と受け流し、シヴァは笑う。
「そう怒ってちゃ、たださえ当たらないのが更に当たらないぞ」
「くっ、うるさいぞ! せいっ!!」
怒鳴りながらの鋭い突き、しかしシヴァは宙返りでラビの後ろをとる。その動きは実に優美で、ラビを見事に翻弄していた。
ウルはメリーニールと戦ったときのようにならないよう、恐る恐る戦っていた。宙にいくつもの魔力の光弾を待機させ、必要に応じてそれを放ちつつ、様々な魔法でもって攻撃と防御を行う。
イルジラータの対応は流石としか言い様がない。恐ろしい冷静さ、的確で素早い魔法がウルの少しの隙や油断を突いてくる。
しかしウルも負けていなかった。元々生まれ持った才能と変幻自在の魔力がある。それに彼は自由のために必死であった。
「この国のため、全精霊のために自ら牢に入ろうとは思わぬのか!」
「僕を一族から追放したくせに! 今更そんなことっ……無理に決まっているでしょう!!」
ウルがそう叫ぶと、イルジラータは顔を歪めて霊杖を握り締め、荒れる魔力のままに岩柱を乱立させる。
そのうちの一本がウルの右の大腿をかする。皮膚が裂けて血が流れ出した。痛みに怯んでいる暇はない。次々に襲いかかる岩柱を跳んで避け続ける。
過たずウルの心臓を狙っているその岩柱の群に、イルジラータがウルを殺す覚悟でいることが分かった。
「っ……」
ウルは苦しげに目を細める。この目、猶予の無いこの薄赤を見ても構っていられないと言うことか。あれだけ災厄を恐れたくせに、だからこそ自らの手元に幽閉したくせに。
怒りが沸々とウルの心を焼いた。そして悲しみも、その傷に注ぐ。
「貴方なんて、嫌いだ!!」
激情のまま、氷柱を乱立。兄の頬を裂く白い刃に心は少ししか動かなかった。落ち着いていなければ。ウルは息を吐く。
頭の中で再び囁く魔物を、ウルは頭を抱えて拒絶した。
シヴァの強烈な蹴りがラビの鳩尾を捉えて、勢いよく吹っ飛ばした。薄赤の羽が折れないように畳んで、ラビは受け身をとる。ごろごろ転がって勢いが半減した頃地面に手を付いて跳ね起きた。
そして彼がガバッと顔を上げた瞬間目の前に横振りのために持ち上がったシヴァの腕。それを認識した直後にラビの右側頭部へガツンッと硬い殴打が入る。
「ぅがっ……」
剣の柄頭だな、とぼんやり思いながら、ラビは意識を失った。
(ふん、弱っちいな)
黒剣を握り、倒れ伏したラビを無表情に眺めるシヴァ。死んではいない。彼の命を背負うつもりはなかったので殺さなかった。
ベルトに提げた革袋から人差し指の長さほどの紐を取り出す。適当に振ると、それはぐんぐん伸びて頑丈な一本のロープになった。それでラビをぐるぐるに縛り上げる。
これで安心だ。シヴァはウルの方に目を向けた。飛び交う多種多様な魔法、激しい応酬が続いている。
(うん、これは入り込めそうにないな)
シヴァは助太刀を諦め、ラビを適当な位置に転がして腰かけた。
「……座り心地最悪」
人に座っておいて身勝手な文句を言う男であった。
ウルは視界の端に、ぐるぐる巻きのラビに遠慮無く座るシヴァの姿を捉え「?!」と混乱した。無力化した敵に腰かけるという行為はウルの理解の範疇を越えていたのである。
「痛っ」
その混乱が隙になった。頬を掠める鉄片。チリッとした痛み。意識を戦いに集中させる。
イルジラータはあれっきり言葉を発しない。それはウルにとって好都合だった。今は敵でもかつては大好きだった兄の言葉で心を揺らされてしまうことを避けられるからである。
ウルはいくつもの魔法を同時展開する分割された意識の内、奥底の一つで大魔法を練っていた。
多分、放てば今彼らが立っている火の枝も少なからずダメージを受ける。そうすると枝守であるイルジラータにもいくらかダメージが行くはずだ。
(怯んでくれたらいいけど……)
もうラビが倒されているので、賢いシヴァなら状況を適切に読み解いてすぐに飛んでくれるに違いない。
火の枝に痛手を与えるため、ウルが練っているのは水の大魔法だ。
イルジラータは元々全属性をまんべんなく使用できる腕前を持っていたが、火の枝守になってからは火属性に引きずられているように思う。今も様々な魔法を放ってきはするが、火が多く、そして水は一切使用していない。
水属性に変換した魔力を自身の内側に溜め込みすぎて、普段は薄紫のウルの魔力粒子がほんのり青みを帯びている。
(そろそろだ……)
グッとウラヌリアスを握り締めた。大きな紅玉に魔力の煌めき。
編み上げろ、青を。鮮烈に輝かせろ。
ウルの背後から水が溢れだし、ぐるぐると形を変えて戦乙女の姿をとった。握り締めた戦槍をグッと引き、投擲の姿勢をとる戦乙女。
イルジラータはそれを見て少し眉根を寄せ、シヴァは「お見事」と口笛を吹いた。
「行けっ!」
流動し、しかし鋭い清水の戦槍がイルジラータに襲いかかった。直撃の瞬間に薄赤の炎の盾が見える。それにぶつかった水槍は蒸発しつつも前進し続けた。
防御により少し進路がずれ、槍は地面――火枝に突き刺さった。
世界樹ユグドラシルが少し身を震わせたような気がした。
そしてウルもまた、ぐらりと揺れた。