第15話.火枝宮
ウルが落ち着き、ようやく動くことができるようになった。
シヴァは自分の身体がもう問題ないことを確認してすぐに移動しようと提案した。日は傾き、空が端から少しずつ茜色になり始めている。
「君……大丈夫、なのか?」
「ああ。問題無い」
「……そう」
シヴァは黒翼をばさりと試すように動かしながら答える。ウルは小さく頷いたっきり黙した。
メリーニールはぐったりと倒れたまま目を覚まさない。そちらを見ることができないまま、ウルはその場を離れようと決心した。
「……と言ってもな、どうするか」
シヴァはすらりとした指で顎を撫でながらそう言う。
「隣は強引に出てきた土の都と一番警戒が強そうな火の都だ」
「……セシュレスに、行くしかないのかな」
「ん。すぐに通り抜けてしまおう」
ウルは大人しく頷いた。シヴァが差し出した手を取り、飛び立つために目眩ましの魔法を掛ける。
その時だった。ゴオッと紅の豪炎が浮き島の円周を覆った。燃え上がる円は縮まりつつ二人を逃さないように高々と踊っている。
「なっ……」
「これ、は……」
ウルの顔が蒼白になった。カタカタと震えだす。シヴァが怪訝そうに彼を見た。ウルの薄赤い目は落ち着きなく辺りを見渡している。シヴァは落ち着いて問う。
「どうした?」
「あ、あの人だ。僕は、もう、逃げられないっ……」
そして二人の視界は炎に呑まれた。
――――……
はたと気づくと二人は見知らぬ場所にいた。炎の欠片も見受けられず、火傷を負った様子もない。
何らかの魔法だ、とシヴァは思う。
「ここは……」
「……火枝宮の外だ」
「は? お前、何を言ってるんだ、だって俺たちは……」
「物分かりが良くて何よりだ」
「!!」
真っ青になって震えているウルと、状況を把握しかねているシヴァの前に、若竹色の長髪の青年が現れた。
金の目を細め、シャン、と風に鳴る霊杖を握りしめた彼を見てウルは項垂れる。
「……シヴァ、君だけでも、逃げろ」
「…………」
ウルの中には絶対に兄には敵わないという認識があった。かつて兄はウルを慈しんでくれていたし、彼を見てここまで恐怖するなんて考えたこともなかったが、今では違う。
彼はウルにとってどこまでも強者であった。
シヴァはしばらく黙し、やがて腰の剣をすらりと抜き放った。
「ばーか。今更逃がしてくれるような相手じゃないだろう」
「だって……」
「その通りだ。火枝宮を荒らしたそこの男は牢獄行きとなる。二度と外には出さぬ」
イルジラータは霊杖ラルリアンを正面に構えた。陽炎のように揺らめき始める金色の魔力。シヴァはウルの肩を掴む。
「立て。今更後戻りはできない。たとえ捕まるとしても、何も為さずに捕まっていいのか」
「シヴァ……」
ウルはよろ、とふらつき気味に立ち上がった。空気中から魔力の粒子が集まってきて霊杖ウラヌリアスを形作る。
「そうだね……うん、僕、無抵抗のまま捕まるなんて、嫌だ」
「それでいい」
イルジラータは感情を見せぬ顔で立ち上がった弟を見つめた。それから「ラビ」と信頼している兵団長を呼ぶ。
「来い」
呼び掛けに答え、炎を纏うようにして空中から火の精霊の青年が飛び出してきた。音も無くイルジラータの前に着地する。
「あの男は任せた。あれは、私が片を付ける」
「……はい」
どこか不安そうに主を振り返るラビ。イルジラータはそんな彼の目を見なかった。
兄の金眼に睨まれたウルは、縋るようにウラヌリアスを握りしめた。
(……本当に僕らは、後戻りできないんだ)
それが、自分とシヴァのことなのか、はたまた自分と兄のことなのか……ウルには分からなかった。