第14話.涙と狂気
周囲の騒がしさと頬をかすめた小石にシヴァはハッと目を覚ました。身の危険を感じて身を起こし、そのまま立ち上がろうとしたらガツンッと何かに頭をぶつけた。
(な、何だ?!)
上半身だけ起こした状態で止まり、辺りを見渡すとすぐそばで激しい戦闘が行われていることに気づいた。
飛び交う魔力粒子、炎の赤や氷片、走る稲妻がシヴァの黒い翼をざわめかせる。シヴァは日の光を浴びて群青になっている目を細めてそちらを見つめ、その戦闘の中心を見極めようとした。
舞い散る砂塵と魔法の向こうに二人の人影が見えた。
(ウルじゃないかっ!)
その内の一人はウルであった。細い身体のあちこちに傷を負いながらも、もう一人の少女を魔法で追い詰めている。
金の髪を翻し必死に応戦する少女は、その気配から恐らく草の枝守であろう。長い金の霊杖を軽々と操りながら鋭い緑葉を放ち、ウルを牽制していた。
シヴァはその様子を静かに観察しながらウルの様子に違和感、いや寒気を覚えた。
彼の目はどこか虚ろで、いつもなら兄姉を傷つけることを厭うのに、とても攻撃的に魔法を使っている。
空中にずらりと並んだ鋭利な氷片は、他の魔法が放たれる合間に草の枝守の隙を狙って放たれていた。少女の柔肌に躊躇い無く突き刺さる透明な刃。溶けて流れ出す水には赤が色濃く混じり、彼女の顔は苦痛に歪む。
ウルはそれを見ているのか見ていないのか、表情を変えること無く溶け出して肌を伝う水を活用し、雷を低く這わせて感電を狙っていた。
はっきり言って彼らしくなく、恐ろしい戦法だった。逃げるためと言うには明らかに過剰な、命を刈り取るための戦い方だ。
(……それより、ここは? 俺は倒れたみたいだな……ウルがここまで俺を守りながら移動してきたのか……)
どうやらここは浮き島のようである。
やはりあの都の空気に自分は耐えられなかったのか、と歯軋りし、彼は先程頭をぶつけたものに目をやった。
それは薄紫の結界であった。ウルの張ったものだろう。
その出来からここへ来てすぐ戦闘にもつれ込んだのだろうと想像できた。だから内側から外へ出られないような、結界としては少しよろしくない驚きの作りになっているのだ。
(困ったな……)
結界に手を当て、彼は溜め息を吐いた。しかしその直後、目の前で起こったことに目を見開き立ち上がろうとしてまた頭をぶつけた。
「ウルッ!!」
そう、噛みつくような紅炎を放ち視界を紅に覆われたウルの一瞬の隙をついて、草の枝守が地面から蔦の槍を立ち上がらせたのである。
それがウルを貫いて解けた。
ウルはよろめいて数歩後退する。
腹部に大きく空いた穴は明らかに心臓の一部も削り取っていた。流れ出す赤、こちらに背を向けている彼の表情は窺えない。
ウルは倒れなかった。草の枝守は荒い呼吸を繰り返して気を抜くこと無く彼を見ている。霊杖ウラヌリアスが姿を消し、ぐらりと膝を付いた彼の様子から「嗚呼、また」とシヴァは思った。
そしてすぐに傷が塞がり始める。ぼこぼことおぞましく赤い泡を吐く傷口。再生する筋繊維や表皮の細やかな動きは、この世のものではあり得ない狂気に満ちた光景だ。
それを見ていた草の枝守の顔が青くなり引きつる。項垂れていたウルの頭が跳ねるように持ち上がり、ウラヌリアスがまた喚び出される。
「貴方……っ!!」
「ごめんなさい」
何の感情もこもっていない言葉の後、石の豪腕がその拳で草の枝守を下から殴り飛ばした。宙を舞う少女の小さな身体。急速に弱まる彼女の魔力の気配。ぱらぱらと舞うのは少女の口から吐き出される赤色だ。
そしてウルの身体から抜けていく剣呑な気配。張りつめていた魔力が霧散する。
ドサッと落ちてきた草の枝守が地に伏して動かなくなった。カシャンと続いて落ちた霊杖がパァンッと薄緑の魔力粒子の塊となって割れる。
それを見ていたウルの背が突然くらっ、と動揺したように揺らいだ。
「おい、ウル!」
たまらずシヴァは声をかけた。ゆらりと震えながら振り返った彼の目は少し薄い赤色で、涙がその白い頬を伝い落ちている。
彼が何を思っているのかシヴァにはよく分かった。追い詰められた戦いの中で、自分が遠くなるあの感覚。ウルもシヴァと同じように、冷徹に冷酷に相手を下し、ただ己の生にしがみつく自分の裏側を見たのである。
「シヴァ……」
「分かってる、大丈夫だぞ。だから、取り敢えず出してくれないか」
「……っ、ああ」
ふわりと結界が消えた。それと同時にぺたりと座り込んだウルにシヴァは慌てて駆け寄った。
「泣くな、大丈夫。お前はお前だよ」
かける言葉はかつて彼がかけて欲しいと切に望んだ言葉。それからシヴァは彼を抱きしめた。
その腕の中で、先程冷徹に義姉を追い詰め、更には一度死んだ少年は、とても小さく震えていた。
「大丈夫だから」
「シヴァ、僕は、僕は……」
恐る恐るといった様子でシヴァの背に手を回し、縋り付いたウルは震える声で囁くように言う。
「やっぱり、皆が言う通り、魔物なんだ……」
「違うさ。お前は俺を守ってくれた。魔物はそんなことしない」
「でも、でも……ここまでするつもりはなかったんだ。なのに、頭では分かっていたのに、止められなかった」
シヴァはウルの頭を撫でた。先程生き返ったときに身体のあちこちにあった細かい傷も塞がっている。見た目は無傷なのに、彼は酷くボロボロに傷ついていた。
「傷つけたくないと言いながら、君を守るということを言い訳に、僕は力を行使した。傷つくことも傷つけることも、痛いと思わなかったんだ」
僕は狂っているのか、と彼は泣きながら言う。シヴァは群青の目を伏せて吐息混じりに答えた。
「……俺もお前と同じだ。そして泣けるだけ、お前はまだまともだよ」
彼が生きていくには、自分を守るためには、己の裏側を見つめ続けているしかなかった。
それは狂っているのとそう変わらず、醜く生にしがみつき続ける己に嫌気が差すばかり。彼は時折己の運命を呪った。
風に震える己の黒い翼をシヴァは、ぐっと畳んでいた。
彼の目は、疾うに枯れた涙を流すことを二度としないでいる。