第13話.刃と囁き
パァァンッと結界が破壊され、メリーニールが浮き島に降り立った。自分より幼く見えるがその実かなり年上な枝違いの姉を見つめてウルはごくりと唾を飲んだ。
「見つけたわ」
「……義姉、上」
「姉と呼ばないで。それと、一つ言っておくわ」
ぴしゃりと拒絶されウルは少し眉尻を下げた。メリーニールは菫色の瞳をついとウルからそらして続ける。
「イルジラータがスリジエに来ようとしているわ。彼がそうしようとしている理由は……貴方にも分かるわよね?」
「僕を……捕まえるため」
「ええ。でも、それだけじゃない。律儀なイルジラータが他の都に来ようとするくらい思い詰めている。彼は……彼は貴方を殺すでしょう」
「?!」
でもそんな、と音無くウルが呟く。メリーニールがその顔に嘲笑を浮かべた。しかしそれはウルに向けられたものではないように思えた。
「貴方は死なない。それに、彼も一族に、自分がしようとしていることを明言してはいないの。言えば止められると分かっているから」
「……どうして、それを僕に話すんですか」
「…………」
メリーニールは何か言いかけたように口を開き、しかしすぐに閉じてしまう。
「わたしの枝宮へ来なさい。他の枝守に自分の都へ踏み入られるなんて嫌だから。それに、わたしが解決してしまえばイルジラータも簡単には手出しできない」
「嫌です。僕は……僕は、もう二度と牢に入るつもりはない。自由になりたい!!」
「……そうよね、誰だってそうでしょう」
彼女は悲しげに微笑んだ。そこでウルは「ああ」と気づく。
この人は、ただ取引のためにこの話をしたのではない。ジュラリアと同じように、迷っているのだと。
「いいわ。仕方無い。手段を変えるしかないわね」
そう言って彼女はハーピエリュスを構えた。薄緑の魔力の光粒が舞う。
「…………」
ウルも緊張の面持ちのまま無言でウラヌリアスを構え直した。ここまで来ても尚優しい彼女に霊杖を向けるのは気が引けるが如何せん彼の後ろには目覚めぬままのシヴァがいる。彼を守れるのはウルしかいない。
浮き島を包んでいた結界はいつの間にか風に解けて消えている。蒼穹から吹き下ろす風は花々の香りを含み、緊張する浮き島の空気を弄ぶように掠めては過ぎ去っていく。
メリーニールの足が一歩前に出た。
「っ!!」
舞の一歩目の様にふうわりと踏み出された彼女の右足は、次の瞬間ダンッと地を蹴り、そこから浮き島の地面に魔力を注ぎ込んだ。彼女はそのままウルに肉薄。ハーピエリュスの先がウルの顎を捉える。
(速いっ!)
背後へ一歩。メリーニールの追尾。浮き島に注ぎ込まれた魔力が緑の蔦に姿を変え、地面を破って飛び出してくる。
シヴァを守るように防御結界を張り、右に一歩。足元に振動、跳躍すればそこにひびが入り蔦が顔を出した。
土がある限り、草樹を操ることに長けた枝守であるメリーニール相手にウルは不利な戦いをすることになる。
土さえあれば彼女は植物をもってその場を支配できてしまうのだ。蔦に囲まれた牢獄の如し今の状況のように。
だが、シヴァが動けない以上浮き島を破壊してしまうという手は避けなければならない。ウルにはシヴァを抱えながら格上の相手と戦うなんて芸当、到底無理だ。
「考えているばっかじゃ駄目よ」
ハーピエリュスの横振り。蔦が操られてウルの身体を横から殴打した。吹き飛ばされるウル。その視界に蔦がシヴァを捕らえる様子が写った。
「シヴァに、手を出すな……っ」
「そのお願いは聞けないわ。彼は火枝宮への侵入者よ。火の都セシュレスで然るべき裁きを受けるでしょう」
「そんなの、駄目だ……絶対に、僕が守るんだ!!」
ウルの中で何かが弾けた。ふらふらしていた天秤が、義姉からシヴァの方へ傾いたのである。
途端に溢れ出す薄紫の魔力の奔流。ウルを捕らえんと腕に巻き付いていた蔦を伝い、浮き島の支配権を塗り替えていく。蔦が力を失い枯れたことでメリーニールがウルの反撃に気づいた。
「そうはさせないわよ……!」
また一瞬での踏み込み。展開された魔力が赤い花の形をとる。緩やかに回転する五枚の花弁の中央、鎮座する青玉から光線が放たれた。チリッとウルの頬をかする。
(これくらい平気だ。今まで僕が受けたものに比べれば!)
ウルはそれを気にせずウラヌリアスを一振り。植物には炎を、単純な話である。霊杖の先から尾を引く魔力粒子が紅蓮の炎に姿を変えた。その炎に兄の姿がちらつくがウルはそれを無理矢理押さえて光線花を焼き払う。
「まったく、その才能には驚かされるわっ」
メリーニールはそう言いながら三歩後ずさる。恐らく、ウルが幼い頃魔法を一度使ったっきり投獄されていたのに何故これ程扱えるのか、と言いたいのだろう。ウルは踏み出しながら思った。
早く家族の役に立ちたくて必死に魔法の書を読み込んでいたのだ。その知識が幸いして彼は今自由への戦いに踏みきれている。
(皆のために使いたかった力なのになぁ……)
一歩引いて、枝違いの姉と戦う自分を客観視しながらウルは思った。枝守は自身が守護する枝の影響を強く受けるために使う魔法が偏りがちだ。
彼女が植物を生み出す度に自分は紅い炎を喚び、青い激流を迸らせ、紫の雷を翻らせている。これならきっと勝てるはずだ。
(倒さなきゃ。全部が駄目になる)
シヴァを捕らえていた蔦も枯れて、彼の上にまるで死者の腕の様にしがみついていた。何て弱くて脆いんだ、そう考える自分はどこか遠くにいて、理解しがたい。
破壊してしまえと耳元で囁くのは身の内の魔物か。ウルはうずくまりたくなった。だが戦いは続いている。
いつの間にか追うのは自分になっていた。義姉の小さな身体には傷が増え、綺麗でしょうとかつて彼女がウルに自慢した金色の髪は乱れている。
そこまでしなくていいのに、とウルは頭を抱えた。義姉に薄青の氷の刃を放つ自分の横顔に、ウルは吐き気を催した。
『じゃまするものは、みんなこわしちゃえ』
呪いが、魔物が、そう囁いた。