第12話.草の枝守の力
人ひとりを抱えての飛行はウルには過酷なものであった。ぐったりとしたシヴァを運ぶのはとても難しく、浮き島は恐ろしく遠く感じられた。
浮き島にたどり着いてから、息をつく間も無く目隠しと気配隠しの結界を張り、ウルはその場にぺたりと座り込んだ。
「つ、疲れた……シヴァは普段からこんなことしていたのか」
あちこちが変な感じである。どっと押し寄せた疲労に立ち上がることができない。
「……大丈夫、かな」
シヴァは目を硬く閉じたままである。だがその顔色は蒼白なりに元気そうな蒼白になっていた。自分でも何考えているのかよく分からなくなってきてウルは「ははっ」と乾いた笑いを漏らした。
「はぁ……」
ころり、とその場に横たわった。どこまでも果てしない蒼穹がウルを見下ろして、大きくその腕を広げている。
二日前の自分は虚ろで、この空の青さも広さも忘れかけていたように思う。どこまでも駆けていく風は爽やかで、どこまでも永遠に自由だった。これが正しいのだと本能で分かる。
(この疲労さえ、心地よい)
シヴァはウルの呪いを気にしなかった。この空の下にあって自分は歪んでいる。そしてシヴァもきっと同じ。
望んでいないこの歪みがこの青に吸い込まれて消えてしまえばいいのに。
ウルは目の奥がジリジリと熱くなるのを感じた。
そう、どう足掻いても自分の中の呪いは消えない。呪いは自分の中に深く深く根を張っている。
ウルは空へ向けて手を伸ばした。
(風に吹かれて消えてしまえ)
そうすれば、蒼穹に解ける様な本当の自由になれるのに。
――――……
二人が見つからない、との報告を受けメリーニールは親指の爪をカチッと噛んだ。イルジラータから入都許可の申請をされているのも重なり、普段は落ち着きがある彼女はかなりイライラしていた。
(何で見つからないの? わたしの兵団は優秀なのに、何で)
自分の守る都での問題に他の枝守が関与してくるなんて、ひどい屈辱である。
かつかつと赤い靴の踵を鳴らして歩き回る。くるりと身を翻せば二つに分けて結った金の髪が美しい波形を描いてなびいた。
「……こうなったら」
彼女は右手をバッと前に出す。
「来なさい、ハーピエリュス」
名を呼ばれ顕現したのはメリーニールの霊杖ハーピエリュス。金色の柄は上にいくにつれ徐々に美しい曲線を描き、その曲線の先がくるりと丸くなった内側に、中心部に大粒の紅水晶が嵌まった金の花の透かし彫りが収まっている。
自分の身の丈より遥かに長い己の半身を握り締め、メリーニールは言った。
「イルジラータが来る前に、わたしが片付ける」
そして彼女は部屋の窓から飛び出した。その下は枝である。一度だけ足を付き、すぐに跳躍。ふわりと白いスカートをなびかせて枝から飛び降りる。
落ちるに任せたまま草の都のあちこちに視線を飛ばす。目視では難しいと判断し、都中に咲き誇る花々の“目”を借りて二人を探した。
(いない……一体どこにいるの?!)
その時、都の片隅に佇む古木が囁くように『枝守様』と話しかけてきた。
『何?』
『お探しの人物を見ました』
『本当?』
『はい、浮き島へ向けて飛んで行きましたよ』
『浮き島……ありがとう』
『いいえ』
そう言って古木は口を閉ざし眠るように静かになった。メリーニールは一人頷いて草の枝守になったときに与えられたこの力に感謝した。
命を持つ植物たちは、ジュラリアやミルテルが“目”として使う土や水と違い言葉を持っている。だから彼女は他の枝守より都のことを深く知ることができた。
メリーニールは霊杖に魔力を流し込み風を纏った。草の都の管轄である浮き島は三つしかない。そのすべてに目を走らせた。
どれにも精霊の姿はない。しかし……―――
(魔法の気配!)
そのうちの一つに揺らめきを感じた。
メリーニールは確信してそちらへと進んだ。
――――………
シヴァは一向に目を覚まさなかった。ウルはその横で膝を抱えて今後について考えていた。何にせよずっとここにはいられない。都から少し距離をとったことで、ふわふわしていた自分の身体からも余分なユグドラシルの力が抜けていく。
ぼんやりと顔を上げる。
その時、こちらに向けて物凄い勢いで突き進んでくる物体が見えた。
翻る二筋の金の髪、宝石の様な菫色の瞳。金の霊杖が日の光を反射して煌めいている。草の枝守メリーニールの姿を認めてウルはガバッと立ち上がった。霊杖ウラヌリアスを喚び出し、左足を一歩引いて構える。
(明らかにここにいるってバレてる。僕がシヴァを守るしかない)
空中でくるりと一回転した少女の靴の踵が目隠しの結界に突き刺さりビシッとひびを入れた。