第一巻 パート七
〜前回のあらすじ〜
そんなに飛んだら、風で洗濯物とかやばくね。
十月三日 午後一時五十二分
神城高校・体育館一階
『御神 秋一パート その四』
体育の時間は、嫌いだ。
厳密にいえば、不定期にドッジボールをやる体育の時間が、大嫌いだ。
なぜ不定期なのかといえば、簡潔に説明できて体育教師の気まぐれだからなのだが……別に、不定期な開催は嫌いな理由にならない。寧ろ、ドッジボール自体は大好きだ。
体育館内に作られた、色付きガムテープの大きなコート。それは、中央を互いの境界として、二分割にされている。
で、俺達の敵対するコート内にて右手を大きく振りかぶった結は、
「死ねぇ!」
物騒な言葉を叫びつつ、俺に向かって勢いよくボールを投げつけた。
しかし、結の手はわずかに投げる方向を間違えたのか、ボールは俺の身体に命中するルートから若干ズレて――
うお、やっぱりカーブしやがった。相変わらず、小癪な真似が好きな女だ。
投げられ、途中で軌道を修正し、いらん追加要素として更に加速したボールは……
「ぬがおっ!」
腹部に命中した後、帰巣本能を持った犬の如く、反動で床にバウンドしながら敵側のコートへと戻った。誰の腹に命中したか? 言うまでもないだろうが、そんなモン。
ったく……これだから、結のいるドッジボールは大嫌いなんだ。俺の事を自我のある的とでも認識してるのか、あの女は俺だけを狙って投げてくる。俺がコート内にいるとき結にボールが渡れば、その時点で直撃警報が発令される。受け止めようにも今みたいに変な曲がり方するから手元が狂ってアウトになるし、曲がらずに飛んでいって外野へ突っ込む事もあるから困る。
おまけに、回避すると味方から壮絶なブーイングまで飛んでくるからな……いま思ったが、これってイジメじゃないか?
大人しく外野に移動した俺は、結への反撃チャンスが訪れるまで、とりあえずボールを待つ事にした。今の状況じゃ、それが英断だ。
だが、何分経過してもボールが俺の掌に乗る事はなかった。味方が思い切り投げて外れたボールが外野にくるかと思っても、ギリギリのところで結が防ぎやがるのだ。わかりきってる事だけど、運動神経いいな。こいつ。
で、結局むかえた終末はこっちのボロ負けだ。あ、俺、一度もボールに触ってないんじゃないか? いや、ぶつかりはしたな。なんか悲しいが、別にいいか。
さて。この後は、やりたい奴が集まっての自由試合になるのだ、が――当然、俺はやらない。どうせ結のボールを再度ぶつけられるのがオチだと思うからなのもあるが、昼飯を食った後に腹なんかへボールを見舞われたおかげで、今頃になって響いてきやがったのが一番の理由だったりする。
だからして、こういう時には観客席で高みの見物をだな――。
「外野、お疲れ様〜。お腹、大丈夫?」
「はは、あれ以上はないってくらい見事に命中してたねぇ。にしてもゲームが終わったあとからずっと腹を押さえてたけど、本当に大丈夫かい?」
神は、俺に休ませる暇を与えないつもりらしい。体育館脇に座る俺の元へ、結とその片割れの男がやってきたのだ。何これ、試練か。
ちなみに、結の片割れであり結と同じく先程の敵でもあったこの男は、滝 奈良葉だ。元の黒がほとんど消えるまで染めてしまった金髪と、視力が悪いせいなのか知らんが常時の細目が特徴的な男である。
俺を気遣ってくれた点からわかるように優しいし、少しひょろっとしてはいるものの、俺なんかに比べると断然カッコいいから当然モテるんだが……奈良葉は、気付けば結の近くにばかりいる。
恐らく、そうなのだろう。
ま、俺は結と友人以上の関係を持ちたいとは思わんし、そこは勝手に頑張ってほしいところだ。
それよりもさ。
「俺は大丈夫だけど……二人とも、あっちには参加しないの?」
野蛮な結なら自由参加で思う存分あばれるだろうと思ったから、被害を受けないようここにいるんだぞ。俺は。
そして、奈良葉も結についていくだろうと思ったから、休憩を取る為ここにいるんだぞ。俺は。
これはいかん。結、とっととコートに戻れ。でもって、得意の小癪ボールを投げまくってくるのだ!
心の叫びもむなしく、二人は俺の横に腰を下ろした。大丈夫ってのは強がりだったから、実際は少し気持ち悪いんだけど……あ、素直にそう言ってりゃ、こいつらも空気を読んでそっとしておいてくれたかもしんないな。選択を誤った気がする。馬鹿か、俺は。
意外な事に、二人が座った後は沈黙状態での観戦が続いた。この調子なら、普通に休める。
にしても、本当に意外だ。お喋り好きな結なら、座ってから三秒足らずで口から言葉が流れ出すと思っていたんだが――もしや、俺の状態を見抜いて自重してくれたのか?
「ねぇ、ところでさ、二人ともアレ知ってる? ほら、この学校の近くにある、ボロい屋敷」
そんな訳なかった。自重してくれたのかと思った瞬間に話し始めやがって……。
とはいえ、ただ観戦してるだけってのが暇なのも確かだ。授業中だから小説は読めないし、暇潰しに話すなら悪くはないか。
「あー、知ってる知ってる。幽霊屋敷とか名前が付けられてる、あれでしょ?」
奈良葉は知ってそうな口ぶりだが、俺は学校近くの幽霊屋敷なんてたった数秒前に初めて知った。神城高校にもヘンテコな七不思議があるし、そのせいでそっちの噂が薄れているのだろう。
尤も、七不思議とはいっても不思議の中に『七不思議の筈なのに、六不思議しかない』というアホみたいなモンがあるせいで、信憑性は皆無なのだが。
「なんだ? その、幽霊屋敷って。俺は初耳だぞ」
「ありがちなんだけどね。夜中に行くと、色々と不思議な事が起こるらしいんだ」
「不思議な事? 建て付けの悪すぎるドアが霊のパワーで開かなかったり、電池切れ寸前で持ってった懐中電灯が霊のパワーで消えたりか?」
「そんなの、霊のパワーが付いてるだけの偶然と自己責任じゃない」
じゃあ、何が起こるってのさ。
などと思ってると、俺の思考を読んだかの如く結は続けた。
「噂の幽霊屋敷で起こる怪現象っていうのはね、勝手に部屋の電気が付いたり、コードが切れた旧式の黒電話が鳴り響いたりって、そういうものなの」
なんだ、アホらしい……。
「どうせ、ガセだって」
「ガセじゃないわよ」
「じゃあ、お前の知り合いに実際それを体験した奴はいるのか?」
「う……そう、言われると……」
「いつの間にか噂になってたんだよねぇ。これ」
だろう。
「その屋敷がホラー系の雑誌で心霊スポットにでも認定されてるんなら少しくらいは信じてやってもいいが、ただのボロい屋敷ってだけじゃあな……信じられんね」
「……わかったわ」
何が。
「今日の夜、事の真偽を確かめに行く」
「そうか、大変だな。行ってらっさい」
俺は、古い建物の雰囲気とか苦手な人だからパスな。確か、奈良葉もその手の話はあまり好きじゃなかった筈だ。いくら結が行くとはいえ、廃屋探検は流石に遠慮したいだろう。
もし本当に部屋の電気が付いたら、携帯で室内の写真を撮ってきてくれ。人が住んでないなら電気なんて付く訳ないし、証拠としては十分だ。
「他人事みたいに言ってるけど、二人も行くのよ?」
待て、こら。
「なんで俺達まで!?」
完全に揃う、俺と奈良葉の声。心境は全く同じだろうしな。
動揺を隠さずに曝け出した俺達の問いに対して、結は当然のようにしれっと答える。
「だって、一人じゃ怖いもの」
怖いものって……なら、行くなよといいたい。
と、そこまで思って、俺がこの行動のトリガーを引いていた事に気付いた。我ながら、戯けた事をしてしまった。いや、いってしまった。どうも、俺には疑り気質があるらしい。都市伝説とかも、全然信じないからな……ここにきて、ついに仇となったか。
「決定でいいわね?」
嫌と言えばどうなるか、予想するのは難しくない。どうせ、「へー? 女の子を一人で行かせるつもりー?」みたいな言葉から始まり、数々の嫌みを続け様に投げかけてくるんだ。
まぁ、学校が終わった頃に行けば幽霊だって休んでるかもしれないし、帰りのホームルーム終了後に直行すればいいか。
故に、俺は同伴を受け入れつつ提案する。
「行くのは構わんが、学校が終わったらすぐに行こうぜ」
「え……なんでよ」
理由を聞かれるとは、夢にも思わなかった。
「だ、だって、幽霊が出るほど古い建物ならあちこちガタがきてるだろうし、視界の悪い夜に行くのは危ないだろ?」
即席ながら、納得の行く理由だ。
「ダメよ、怪現象が起こるのは夜中限定なの。夜中に行くと……って、奈良葉が言ってたでしょ?」
あー……確かに、そんな事いってたな。すっかり忘れてたよ。
声が揃ったのを境にさっきから黙っている奈良葉の方を見ると、あまりよくない顔色をしていた。まだ悩んでいるようだ。きっと、結と廃屋探検が天秤にかけられたまま均衡を保ってるんだな。可哀想に。
結は、不条理にも奈良葉に対しては嫌みをいう事がない。俺が行く事は半強制的な決定事項になっているんだとして、まだ選択権があるであろう奈良葉は最終的にどうするのか?
その返事は、今やっているゲームの決着が着くのとほぼ同時に、
「ごめん。俺はパスするよ」
断りの言葉で、返された。俺にも選択肢があったなら、迷わずそれを選んでいたのに。同級生の女子と二人っきりで、夜中の廃屋探検。ムード抜群。なのに、全く嬉しくないのはどういう訳だ。
集合予定時刻は、嫌すぎるが夜中の零時ピッタリに決まった。決めたのは結だが、零時って響きがよかったのかね?
『草木も眠る丑三つ時』って言葉の存在を知らなかったのが、せめてもの救いだな。知ってて零時を選んだのかもしれないが。