第一巻 パート三
〜前回のあらすじ〜
アルル、落っこちちゃった。
十月三日 午前七時二十分
御神家・秋一の部屋
『御神 秋一パート その二』
結局、全然眠らなかった。
そんな俺は、目下自室のベッド上であぐらをかき、いつだったか古本屋で纏め買いした漫画の最終巻を読んでいた。
記憶では、弁当を食ってから色々とやって、二時くらいには寝る予定だったと思う。しかし、予定時刻になっても睡魔の攻撃が全然なかったので、部屋の片隅で放置されていたビニール袋から、後に現在状況の主な原因となった漫画を一冊だけ取り出したんだ。いくらなんでも三時になったら寝ようとは思っていたが、当然の如く読んでいるうちに続きが気になり、眠れなくなった。そして、気付いたら朝の七時になっていた。
そっから二十分プラスしたのが現状で、漫画の方はあと少しページが進めば読破できる。オチが楽しみだが、学校で眠気に耐えながらこっくりこっくりしている自分の姿を思い浮かべると……うわ、思い浮かべただけで苦痛だ。俺はどんだけ間違った選択をしてしまったんだと痛感する。
で、痛感しながらもページをめくっていたら、時が経つのは速いもので十分が経過した。そして、同時に全巻を読み終えた。主人公死亡エンドとか、読破後に残ったのは達成感より脱力感の方が格段に上だ。せめて、主人公には生き延びてほしかった。
……最初の一冊を手に取った時は、まだ手遅れじゃなかったんだよな。現実から目を背けるな、とか突っ込みが飛んできそうだけど。
割とポジティブな俺は、
「ま、やっちまったものは仕方ないか」
と、呟きながら、燃え尽きた主人公が内包された最終巻を、床の適当な場所に放り投げた。
ちなみに、いつもの登校時間は七時五十五分である。普通に余裕があるな。少し寝ようか?
いや、やめとこう。目覚ましを十個セットしたって起きられる気がせん。たまには早めに登校して、小説を読むのもいいだろうしな。別に知的な学生を装ってる訳じゃないぜ。小説ったって、ラノベだし。
という訳で、普段着から学生服に着替えた俺は鞄を肩にかけ、夜通し起きていたせいで付けっぱなしだった電気を消し、カーテンを開けてから部屋を出た。中学の入学式を終えた当日に色々とあって両親が死去してしまっているので、朝昼食は行きのコンビニで適当に買う事となる。
これがまた面倒で、家を出て右側の通学ルートにはコンビニが一切ない。反して、左側のルートには俺だけに対する嫌がらせとしか思えないほどコンビニが密集している。故に、朝昼食を買ってから学校に行く為には、自宅の前を中心に左右両方へ行かなければならないのだ。どちらが先かは、言わずもがな。
部屋が二階なので、途中で直角に曲がっている階段を降りながら、今日の朝食は何にしようか考える。月の初めに金の供給元である兄貴から渡される金額は多くも少なくもないので、弁当などと高価なものは夕食のみ。となると選べるのはパンかおにぎりくらいな訳だが、菓子パンなどの甘いものは生理的にダメなので、消去法によって俺の朝昼食はいつも総菜パンかおにぎりだ。
ここで、玄関まで行くには必然的に通らなければならない居間の横を通過しようとすると、
「ん、起きてきたか。つーか、もう登校するの? とりあえずおはよう」
横手に見える扉が半開きの部屋(要するに、居間)でソファーに座ってテレビのニュースを見ていた金の供給元、御神 和樹が、やたら早口な朝の挨拶をしてきた。
「おはよ。昨日はずっと眠れなくてね。学校に行って、ホームルームが始まるまで寝ようかと思ってる」
されれば返すが主義(尤も、挨拶くらいは俺からもするが)なので、俺もその場で足を止めておはようと返してやった。後に続いていた言葉は登校して小説を読むという言葉が咄嗟に浮かばなかったから適当に嘘で代用したんだが、そういや家で寝なくても学校で寝るって手段があったんだな。
いらない説明な気もするが、これが俺の兄貴である。自称冒険家。俺の評価では、夢見がちな妄想家。有名どころの大学を卒業したにも関わらずどういう訳か本人が職に就く事を頑なに拒み、不定期に数週間フラフラと出かけては、どこの銀行からパクってきやがったと言いたくなるほどの大金を得て帰ってくる。マジで何か法に触れる事をやらかしてんじゃないかと最近疑問なのは、兄貴に秘密。下手すると、ただでさえ満足できない飯代が更に削減される恐れもあるしな……。
まぁ、性格は悪くないと思う。だからして、不正に金を得ていると個人的な疑惑があるこいつを今まで通報しなかったのだ。本人は「歴史的な大発見をした。それのおまけで金を貰った」と言ってたし。
尤も、反論意見として「歴史的な大発見の割にはテレビのニュースにも新聞にも全く出ないな」というのがあるのだが――これを言ったら餓死する恐れすらあるので、胸の中にしまっておく。
とりあえず、前々から気になっていた事だけ言って、睡眠時間が大きく削られないうちに家を出るかね。
「どうでもいいけど、その髪いい加減に切れよ。クセっ毛に長髪とか、冗談抜きで壊滅的に似合わないよ」
兄貴は、クセのない黒の短髪である俺とは対照的に、クセのある黒髪が腰の辺りまで伸びている。事実はどうか知らんが、兄貴が床屋に行った事など片方の手に付いている指で数えられる程度しかなかったと記憶している。
ファッションに興味を持つのは別に構わん。しかし、クセっ毛という恵まれてない髪を伸ばしたところで、単なるモジャモジャになるだけだろうに……。
つーか、兄貴は顔だけ見れば相当なモンなのだ。顔だけ、な。長髪や頭の中は敢えて除いて、だ。
弟からのアドバイスに返された返事は、
「やなこった」
の一言だった。こんないかれた野郎、もう知らん。
止めた足を無言で進め直した俺は、玄関で通学用の靴を履き、外界に出る為の扉を開いた。
その向こう、つまるところの玄関先では、二匹の黒猫が変なメダルで仲よさげに遊んでいた。微笑ましい事この上ないが、不吉な事もこの上なしだ。