第七話
自己紹介以外には特にすることもなく、担任の予定を読み上げるだけのような眠くなる話が終わると解散になった。
早く家に帰ってズボンに履き替えたい。
「あれ? 美空……じゃなくてカイトはどこだ?」
隣の席を見るといつの間にか姿を消していた。
鞄もないので帰ったようだ。早いな!
まあいい。
双子だからといってこの歳で一緒に帰らなければいけない、ということはない。
配布物を鞄に仕舞い、席を立った。
「ミソラ!」
教室から出てすぐの昇降口で靴を履き替えていると外から美空が戻って来た。
「何処行ってたんだ?」
「ちょっと確認に。来て!」
「ん?」
妙にテンションの高い美空は、俺の腕を引きながら校舎の裏側の方へ進んでいく。
大人しくついて行くが嫌な予感しかしない。
校内の外れにある旧校舎に辿り着くと、壁際に張り付いて身を隠した。
「なんだよ、こんなところでコソコソして」
「オレの可愛い受けっ子みつけたから、紹介しようと思って」
「な!?」
「しーっ!」
『何を言ってんだ!』と叫びたいのに美空に口を塞がれてしまった。
人差し指を立てて静かにしろと合図をしてくる。
仕方なくコクコクと首を縦に振ると手は離された。
「静かにしていてよ」
「分かったけど……何? どういうことだ?」
「まあまあ、そう慌てるなって。紹介します、オレの受けっ子です! ほら、あそこ。こっそり見て!」
「は?」
どうして身を隠しているのか、静かにさせられているのかも分からない。
混乱している俺には構わず、美空は嬉しそうに壁際の向こうを覗くように指示をしてきた。
確かに向こうから人の気配はしている。
恐らく三、四人いる。
あまり知りたくはないが、見ないことには話が進まない。
指示されたようにこっそり、ゆっくりと壁際から顔を覗かせた。
――いた。
男子生徒が三人。
二人は背を向けていて顔は見えないが、ガラが悪そうな雰囲気だ。
場の空気もよろしくない。
二対一で揉めているというか、一触即発な気配がしている。
二人と対峙している人物の顔は見えた。
それは――。
「あいつかよ!」
やっぱり……薄々気づいてたけどな!
自己紹介中に零された呟き、ヤンキーなのに甘い系のアイドルのような顔立ち。
絶対に美空は気に入ると思っていた。
「鹿鳴文矢。自己紹介を拒否とか……小さく尖っちゃって子犬のように可愛くない!? 捨てられた子犬か! 大丈夫、オレ拾ってあげるからね!」
「おい、落ち着け……」
「同じクラスで運命の相手を見つけることが出来るなんてラッキー! いや、これこそデスティニー!」
「おい、落ち着けって!」
「さあ、これからオレ達の愛のメモリーを作っていこうじゃないか!」
「おい待て、落ち着けてって! ……え?」
もはや隠れる気がないとしか思えないテンションで騒ぎ始めた美空だったが、急にキリッとした表情になった。
おい、どうした。
もうやめて。
俺に理解出来ない行動はやめて!
「なんだと! てめえ!」
「入りたての一年がナメたこと言ってんじゃねえぞ!」
美空に気を取られている間に衝突が始まってしまったようだ。
まずいな、クラスメイトのヤンキーが胸倉を捕まれている。
二対一だし、相手は上級生のようだ。
教師を呼びに行った方がいいかもしれない。
「第一章『気に食わないアイツ』、始まります。行ってきます」
「は? え? ちょ……え?」
凜々しい顔つきのまま美空は壁際から出て行った。
足が向いているのは三人がいる場所。
え? ええ??
待てよ、何をする気だ!
それに今のタイトルコールみたいなのは何だったのだ!
美空は躊躇することなく三人の元へと進んで行く。
どうしよう、美空を止めるのは恐らく無理だ。
絶対に無理だ。
絶対に無理だっ!
ああもう……どうしてわざわざ揉めているところに首を突っ込んで行くのだ!
追いかけた方がいいのかもしれないが、今は美空の体だ。
怪我をさせたくないし、やはり教師を呼んでくるべきか?
「てめえ!」
どうするべきか迷っていると、今までとは違う本気の怒声が響いた。
そちらに目を向けると上級生の方が拳を振り上げていた。
あ、まずい。
そう思った時にはクラスメイトヤンキーは頬を殴られていた。
すぐに反撃をしようとしたがもう一人の上級生の蹴りが腹に入り、それは叶わなかった。
蹴られた腹が痛いのか前屈みになっている。
その間にも上級生は、更に次の一撃を入れようと拳を振り上げている。
ヤンキーは学ランの襟を掴まれ、逃げられそうにない……! と思ったら。
「やめてあげて貰えませんか、先輩」
「!?」
美空が上級生の手首を掴んで止めた。
三人は喧嘩に夢中になっていたのか、近づいていた美空には気づいていなかったようで驚いている。
「ああ? なんだてめえ!」
「新学期早々揉め事はよくないんじゃないですか?」
手首は掴んだままで、凄んでくる上級生に怯むこともなく笑顔で対応している美空。
凄いな、お前。
「あまり騒いでいると教師も来ることですし、この辺にして頂けませんか?」
そう言うと、放り投げる様に捕らえていた手首を解放した。
「てめえ……」
上級生二人のターゲットが変わった。
鋭い視線は和やかに話し続ける美空の方に集中している。
駄目だ……解決出来る気配は一切感じられない。
「そのガキの方から絡んできたんだ。きっちり落とし前はつけて貰わねーとな。お前は何だ? そいつのツレか?」
「こんな奴知らな……」
「クラスメイトです」
お腹を押さえながらも、自分が無視されている状況に反抗するように前に出たクラスメイトヤンキーだったが、美空にあっさりと遮られてしまった。
庇われたくないのか、歯を食いしばりながら美空を睨んでいる。
一方睨まれている方の美空は笑顔のままだが俺には分かる。
とても嬉しそうで楽しそうだ。
歪んでいる。
「そうか。ならお前も一緒に痛い目を見て行けよ!」
上級生の一人が、さっきはヤンキーの方に向けていた拳を美空に方に突き出した――が。
「なっ!?」
「乱暴なことはやめましょうよ」
その拳もあっさりと掴まれてしまった。
さっきは横から手首を掴んだが、今回は正面から見事にキャッチしている。
なんでそんなに格好いいんだ……どうしよう、俺が格好良い!
正確には俺じゃないけど!
「ぐっ……クソッ、離せ!」
「彼は高校生になってテンションが上がっていたんです。ちょっとはしゃいじゃっただけなので、先輩の広い心で許して貰えませんか?」
ヤンキーはからかわれているような台詞を聞いて顔を赤くした。
羞恥と怒りで拳を握りしめている。
そして美空は嬉しそう。
こうやって揉めている間にも言葉攻め羞恥プレイを入れ、自分の萌えを追求する姿勢には頭が下がる。
「この野郎!」
もう一人の上級生も殴りかかってきたが、今度はその腕を空いている手で掴んで引いた。
するとその上級生は格好悪くスライディングするように転んでしまった。
拳を握られたままだった上級生も、その様子を見てあっけにとられている間に同じように拳を引かれ、転んだ上級生の上に転がってしまった。
なんだこの漫画みたいな場面は。
そうか、この上級生達はチンピラモブだったのだな。
「お前……ナメやがって!」
重なって転んでいたチンピラモブ先輩達は、起き上がると反撃する姿勢を見せた。
新入生に簡単にいなされ、プライドが傷ついたのか激しく憤っているのが分かる。
まずいな、そろそろ本当に止めた方がいいな。
「先生ー! こっちで喧嘩してます!」
先生の姿など見えないのだが、呼び掛けているようなフリをした。
その声は揉めている連中にも届いたようだ。
「……ちっ。見つかったら面倒だな。行くぞ!」
「お前の顔は覚えたからな!」
教師に見つかりたくない様で、モブには台本通りといえるベタな台詞を吐きながら上級生二人は狙い通りに去っていった。
上手くいって良かったと無駄に大きな胸を撫で下ろし、残った二人に目を向けると……。
「なんなんだお前、手出すんじゃねえよ!」
ヤンキーが美空を睨みながら迫っていた。
うわあ、まだ面倒なことが続いていた。
むしろこっちの方が俺にとっては深刻な問題になりそうだ。
ヤンキーの方が背が低く、美空を見上げるように睨んでいる。
彼は凄んでいるつもりだろうが……それ、美空にはご馳走だぞ。
距離も段々迫り、顔が近くなっている。
頼むから妙なことはするなよ、美空!
顔が近いからって変なことをするなよ!
何とは言わないが、俺はまだしたことがないんだ!
早まるなよ!
祈りながら見ていると美空がヤンキーの学ランの襟首を掴み、グイッと自分の元に引き寄せた。
ああああああああああああっ!!!!
声にならない雄叫びを上げた。
止めろ!
俺のハジメテを使わないでくれ!
半泣きになりながら見守った。
ああだめだ……もう知らないや……と半ば諦めかけていたのだが。
思っていた最悪の出来ことは起こらなかった。
近づいた顔はヤンキー君の耳元に近づき、囁いた。
「弱いくせにイキがっていると痛い目に遭うよ?」
澄ました表情だった。
ヤンキー君からは顔は見えてはいないと思うが、小馬鹿にする雰囲気は声からも伝わっただろう。
「て……てめえ!」
案の定今度はヤンキーが美空に掴みかかった。
だが力では美空の方が上のようで、その手はあっさり振りほどかれてしまった。
振りほどいた反動で距離が空いた二人の間に一瞬静寂が流れた。
澄まして見下ろしていると美空と睨みながら見上げているヤンキーの視線がぶつかっている。
あえてこのタイミングで俺は問いたい。
俺は一体、何を見せられているのだ――、と。
静寂を破ったのは美空だった。
「可愛い顔に怪我しないように気をつけてね、じゃあ」
「なっ! 今なんて言った!? お前! おい! おいっ!」
クスリと笑いながら投げられた言葉に、ヤンキーの顔は一気に真っ赤になった。
それは照れているのか、怒りから茹で上がったのか分からない。
ヤンキーは去って行く背中を呼び止めているが、美空は完全無視だ。
俺からは見える。
美空の『計画通り!』とほくそ笑んでいるような顔が。
オレが新世界の神だ、なんて言い出しそうだ。
「ただいま」
「……」
俺が隠れている壁際に戻ってきた。
表情は一仕事終えたというような、達成感に満ちた良い顔になっていた。
怖い。