第四話
それは引っ越して来た日のことだった。
「ったく、パシリにしやがって」
荷物の運び込みが終わり、荷ほどきの前に休憩しようとしていたところを母に捕まった。
財布を握らされると背中を蹴られ、スーパーに行ってこいと外に放り出された。
『ついでにお願い』と美空にもジュースやらお菓子やら……挙げ句の果ては化粧品まで頼まれ、うんざりしながら目的地についた。
「やっぱ小さいな」
子供の頃はもう少し大きく見えていたのだが、今は小さく見える上に年季が入って汚れている分廃れて見える。
『スーパータジマ』と書かれた看板もボロボロで、タジマのジの点が三つ取れているので『タンマ』に見える。
パチンコの頭文字が取れているあれよりはマシだが、どこか間抜けな感じがして悲しい。
妙なもの悲しさを感じながら店内に進んだ。
今まで自分が行っていたスーパーは品数が多く、欲しい商品を探すことに苦労したこともあったが、ここではそういうことはなさそうだ。
ぐるりと見渡すと大体どこに何があるか把握出来る規模だ。
正直品揃えは期待出来ない。
美空の化粧品はないだろう。
くすんだ黄色い買い物かごを取り、書いてきたメモの通りに商品を取っていく。
やっぱりここにはないものが出てきた。
帰りにドラッグストアに寄った方が良さそうだが、存在しているのかどうかも分からない。
レジで会計をする時に聞いてみよう。
「あ」
店内に誰もいないと思ったのだが……いた。
恐らく自分と同じ年代の女子がジュース棚の前で立っていた。
「!」
俺が立っているここからは彼女の顔は見えないのだが、壁面についていた鏡にその素顔が映し出されていた。
「……すげー可愛い」
肩甲骨辺りまである長い桜色の髪は、小さな店舗の弱い電灯の下でも眩しく見えた。
雪のように白い肌、翡翠のような瞳は輝いていて、童話の中のお姫様が現実世界に飛び出してきたように思えた。
「ん?」
お姫様は止まったままだが、視線も動いてはいない。
ジュースを選んでいる様子でもなかった。
長い睫毛に隠れて見える翡翠の瞳は、何かを憂いでいるようだ。
声を掛けてみようか。
ドラッグストアの場所を聞こうかと迷ったが、ナンパだと思われるかもしれない。
やめておこうと結論づけたところに、もう一人同年代の女子が入って来た。
見た目をシンプルな感想を言うと『ギャル』だ。
なんとなくその子の動きを目で追っているとお姫様の背後に立った。
知り合いなのだろうか。
だが会話はしていない。
異様な雰囲気を感じたので柱に隠れて見守っていると、ギャルがジュース棚にあったカクテルの缶をお姫様が肩に掛けていたトートバッグの中に入れた。
「!?」
思わず大きな声を出しそうになったがなんとか堪えた。
これは万引き現場なのか?
ギャルの方はやることは終わったと言わんばかりに店の外に出て行った。
お姫様の方はというと……。
「……」
鏡越しに見える顔は苦しそうに歪められていた。
とても辛そうだ。
万引きを強要されているのだろうか?
苛めか?
ギャルがカクテルを入れたことに彼女は気がついているはずだ。
店員に勘違いされないように、早くバッグから出した方がいいと思うのだが動く様子はない。
声を掛けようと決意したところで彼女が動き始めた。
「え?」
肩に掛かる鞄の紐をギュッと握りしめて出口を目指しているように見える。
鞄から取り出す動きには見えない。
それは駄目だろ!
慌てて彼女を追いかけた。
まずい、店員の前を通り過ぎて出て行こうとしている。
「なあ、お菓子買い忘れてるから! 選んでよ」
「!?」
店員の前で彼女の腕を引き、店の奥の方にあるお菓子コーナーまで連れて行った。
店員はこちらをちらりと横目で見たが、特に気にしている様子はなさそうだ。
姫は黙ったまま、引かれるがまま着いてきた。
店員から隠れたところで向き合い、小声で話し掛けた。
「鞄に入れられたもの、出して行かなきゃ」
「!」
「出して」
お姫様は動揺しているようで手が震えている。
戸惑いながらゆっくりとカクテルを取り出した。
それを受け取り、定員の目を盗んで棚に戻した。
彼女に目を向けると、石像のように固まったままだった。
放っておくわけにはいかないので声を掛けた。
「一緒に出ようか。会計をするからついて来てくれる?」
返事はなかったが、首を縦にコクンと動かした。
同意を得られたようなので様子を伺いながらレジに向かった。
定員に何か言われるかと少しドキドキしながらの会計だったが大丈夫だった。
無事に店から出ることが出来た。
彼女もまだ背後にいる。
店舗横の小さな駐車場の前で振り向き、顔を合わせた。
「お節介かもしれないけど、誰かに相談した方がいいよ」
どんな事情があるかは知らないが、あれじゃ万引き……犯罪だ。
犯罪を強要されているなんてただ事ではない。
「……」
返事はない。
綺麗な顔を曇らせ、俯いているばかりでまだ声を聞くことが出来ていない。
話せない事情があるのだろうか。
何か力になってあげたいけど、今日知り合ったばかりだし……どうすればいいだろう。
学校か教育委員会に連絡?
それとも警察か?
迷うところだが事情も知らないのに通報して、事を悪化させてしまったりしないだろうか。
余計なお世話になったりしないだろうか。
「あのさ」
提案があり、声を掛けると彼女が顔を上げた。
つぶらな瞳が俺を映している。
見つめ合っていると顔がカーッと熱くなりそうだ。
目を反らしながら話した。
「俺、今日こっちに引っ越して来たばかりで、この辺りのことを殆ど知らないんだ。だから、その……そういう奴が相手だと気軽に色々と話せるかもしれないから……」
続きを言おうとすると恥ずかしくなってきた。
再びナンパのようだと心の声がした。
『いや、純粋に心配なのだ、下心はない!』と誰に向けてか分からない言い訳をし、続きを告げた。
「何か力になれることがあったら連絡して」
さっき貰ったレシートの裏に自分の連絡先を書き、彼女に渡した。
ああ、やっぱりナンパみたいで恥ずかしい。
でもあんなことを目撃したのに何もしないわけにはいかない。
「じゃあ」
羞恥に耐えられなくなってきたので逃げることにした。
連絡をくれるかどうか分からないし、無くてもいい。
この子が二度と万引き犯に仕立て上げられるようなことさえ起こらなければそれでいい。
そう思いながら立ち去ろうとしたのだが――。
「あのっ」
「え?」
彼女に背を向けて歩き出して居たのだが、後ろから腕を掴まれた。
驚いて振り向くと……。
「ありがっ……とう。本当は……あんなこと、したくなかったっ」
「!」
人見知りなのかもしれない。
勇気を振り絞り、今の言葉を口にしたのだということが伝わった。
それだけ言うと、ギュッと掴んでいた俺の腕を放し、逃げるように走り去って行った。
「……。……はあ、不謹慎かな」
見上げてきた彼女の目に溜まっていた涙には、したくないことをせずに済んだ安堵と、あんなことを強要される辛さが混じっていたのだと思う。
複雑な涙、決して幸せな涙ではない。
なのに……。
「凄く可愛かった……」
彼女にとっては苦悩の証のようなものなのに……俺は目を奪われてしまった。
あれからずっとあの時の彼女の顔が頭から離れない。
あれから何もないだろうか。
心配だ。