第十三話
「はあ、終わったな」
授業が終わり、放課後になった。
昨日までは日鞠ちゃんに話し掛けることが出来ず、ストレスが溜まるだけの時間だったが今日は違う。
日鞠ちゃんと帰る約束をしたのだ。
やったぜ……順調だ。
普段の自分だったらこんなに話し掛けたり、一緒に帰ろうと誘うことは出来なかったかもしれない。
美空の体だから気兼ねなく言えたし、日鞠ちゃんも警戒することなくOKしてくれているのだと思う。
そう思うと入れ替わったことも少しは『良かったな』と思える。
日鞠ちゃんの席まで向かい、『帰ろうか』と声を掛けるとこくんと頷いてくれた。
この頷き方、いつも可愛くて辛い。
日鞠ちゃんの手元を見ると、スマホの操作をしていた。
またメッセージの画面を開いている。
おのれ、やっぱり知らない誰かが羨ましい。
「それ、終わるまでまっていようか」
「……いいの。帰ってから考えるから」
「そう? 難しい話?」
「ううん……でも、今日はずっと考えていて……結局送れないの」
「……大丈夫?」
まさか……あのギャルへのメッセージなのだろうか。
心配だ。
「ん?」
視界の端で鹿鳴が教室を出て行ったのが見えた。
その後を追跡するように美空も出て行った。
「……嫌な予感しかしねえ」
トイレで確認の次は、『そろそろ実践してみよう』なんて考えていそうで恐ろしい。
「ごめん、ちょっと用事があるから待っていて貰ってもいいかな? すぐ終わるから!」
「うん? うん」
日鞠ちゃんを待たせるのは心苦しいが、美空を止めたい。
変なことはするなと釘を刺すだけでもしておかなければ。
急いで後を追い、姿を探した。
「またトイレかな…………え!?」
鹿鳴がトイレに行こうとしたところを美空が追いかけたと予想し、現場に向かった。
予想通りだったのか、二人の姿はトイレの近くにあった。
以前俺が隠れた壁際にいるのだが……。
「どういう流れでそうなったんだよ……」
美空が鹿鳴を壁際に追い込み、壁に手をついて身動きを封じていた。
所謂『壁ドン」だ。
こんなの青春映画や漫画の中だけのものだろ!?
実際にやる奴なんて痛い。
それをしているのが俺の体だから激痛だ。
心が全身打撲で倒れそうだが、ここで気を失うと自分の体の大切なものまで失ってしまいそうだ。
二人から少し離れたところで様子を伺うことにした。
話し声もしっかりと聞こえる。
「オレに勝てるようになってから喚いたら?」
「何だと?」
既に何か揉めていたのか?
普通に見ると喧嘩が始まりそうな険悪な空気だ。
だが美空の考えそうなことが分かってしまう俺には、どう見ても美空の好きな学園モノのBLゲームの静止画にしか見えない。
確か……『スチル』というやつだ。
自ら実写化、スチル回収をするなんて実行力があり過ぎてただの変態だ。
鹿鳴が離れようと動き出したが、美空が素早く手首を掴み、それを阻止した。
「離せっ」
「これくらい振りほどけないんじゃ話にならないんじゃない?」
「くっ……」
なんだか見ていられない……もうそういうゲームのそういうシーンにしか見えない!
「なんでお前は俺に絡んでくるんだ!」
「目に付くんだから仕方ないだろ? お前だって、オレのこと見ているじゃないか」
「は? 何言って……」
「教室でオレのこと、目で追っていただろ?」
「!」
え……見てたの?
図星だったのか、鹿鳴が気まずそうに美空から顔を反らした。
気のせいかもしれないが、顔の血色も良くなっている。
やめてくれよ……それっぽい空気を出すな!
お前までそれっぽくなってどうするんだ!
しっかりしろよ鹿鳴!
ヤンキーなんだろ!?
「ん?」
美空が何か気になったようだ。
纏っていた妖しい空気が途切れた。
不思議そうな表情をすると、掴んでいた鹿鳴の手首を自分の顔に近づけた。
「擦り傷? これ、どうしたの?」
ここからは見えないが、鹿鳴の腕に傷があるようだ。
「お前には関係ない」
そう言って美空の手を振り払おうとしたが無駄だった。
美空は鹿鳴の抵抗にビクともしないまま腕の傷を凝視している。
「痛そうだな」
「こんなもの……舐めてれば治る」
「じゃあ、オレが舐めてやろうか?」
「なっ!」
はあああ!?
良くありそうな展開のやつじゃん!
鹿鳴、固まってないで逃げろ!
途切れていた妖しい空気が再び漂い始めた。
動けない鹿鳴の腕へ、舌を出した美空……というか俺の顔が近づいて行く。
もう完全に変態……こんな自分の姿を見たくなかった!
こんなのもの汚されてしまったのも同然だ。
俺の体は薄汚れてしまった……。
膝から崩れ落ちそうだ。
男の腕を舐めている自分なんて見たくないと目を瞑った。
「……本当にすると思った?」
……あれ?
恐る恐る目を開けると、美空は鹿鳴の顔を覗き込んでニヤリと笑っていた。
舐めなかったのか?
「……馬鹿にしやがって!」
「顔赤いよ? ……なんで?」
「っ! クソッ」
「くくっ」
あの悪い笑みを浮かべている。
……もう誰も美空を止められないのか?
運命の女神さえも味方につけたのか!?
「どうしたの?」
「!? 日鞠ちゃん!?」
背後から聞こえた声に飛び跳ねた。
日鞠ちゃんがいる!?
振り返ると、俺を見てきょとんとしている愛らしい姿が確かにあった。
遅くなったから迎えに来てくれたのだろうか。
嬉しいけど……今は絶対来ちゃ駄目だ!!
まだ前方では、BLゲームのスチル場面が続いている。
こんなのを日鞠ちゃんに見られてしまったら、俺はBLだと思われてしまう!!
「な、なんでもない! 帰ろうか」
美空達にもバレないよう、静かに……そして早急に立ち去るように日鞠ちゃんを誘導したが……。
「……海人君?」
「え!?」
「今、声が……」
静かにしているせいで、声が聞こえてしまったようだ。
確かに聞こえてくる。
「照れてるの? 可愛……」
「ああああ気のせいじゃないかなあ!!」
二人の周りに薔薇のフレームが出来ていそうな台詞が聞こえてきたので慌てて掻き消した。
向こうに俺の存在がバレたかもしれないが、日鞠ちゃんに向こうのことがバレるよりはずっといい。
「帰ろうか!」
「……うん」
どこか納得しきれない様子の日鞠ちゃんだったが、大人しくついて来てくれた。
良かった……多分セーフ……のはず。
日鞠ちゃんには先に昇降口に行って貰い、俺は教室に置きっ放しになっていた鞄を回収しに行った。
そのついでにスマホを見ると、新着のメッセージが入っていた。
差出人は……日鞠ちゃん!?
もしかして……メッセージを送るのに悩んでいた相手って俺?
ドキドキと落ち着かない胸を鎮めながらメッセージ画面を開いた。
書かれていた内容は一瞬で読める短い文章だった。
たった一言、『お話がしたいです』と。