第一話
目の前にいるのは『俺』だ。
鷲峯海人だ。
こちらを指さしているが口は半開き、間抜けな顔をして驚いている。
「え? 私?」
そう呟いた声も『俺のもの』だった。
鏡を見ているわけでもないのに、自分を『見る』なんてどう考えてもおかしい。
幽体離脱でもすれば可能かもしれないが……。
「どういうことだ?」
呟いた俺の声は双子の妹、美空のものに聞こえた。
まさか……。
「私と海人、入れ替わってる?」
「そんな……」
双子だからか、やることは一緒だった。
手を見て、体を見て、お互いの頬をペンペンと叩いた。
だが、向こうの『ペン』の方がやたら強くて痛かった。
ほぼビンタだ。
「やったああああああっ!!」
「!?」
頬の痛みについて抗議しようとしたところに謎の叫びが聞こえ、肩がビクッと跳ねた。
煩いし、こんなよく分からないことが起きている大ピンチな状況に何故『やった!』なのだ。
「ありがとう海人! 元に戻る方法は探すけどとりあえず私、BLってくる!」
「ちょっと待て!」
ワーイと両手を挙げたままどこかへ駆け出して行こうとした『俺』の腰にしがみついて止めた。
「おお、胸が当たってる! 自分の乳でラッキーすけべが出来るなんて! 今まで邪魔だとばかり思ってきたけど、初めて大きくて良かったと思えたよ!」
「馬鹿か! ってその前の発言はもっとおかしかったからな! 『BLってくる』って何だよ! そんな動詞ねえよ!」
『BL』というものが何かは知っている。
知りたくはなかったけど、双子の妹である実空のせいで知っている。
ボーイズラブ、男同士の恋愛で実空のような女子が夢見るファンタジーだ。
そう、あんなものファンタジーだ!
「海人も私の体で百合ってきていいよ?」
「はあ!? 百合ってくるってなんだよ」
『百合』、こちらも意味は知っている。
女の子同士の恋愛のことだ。
「お互い夢を叶えようよ。こんな奇跡が起こったんだから!」
「悪夢でしかないから!」
摩訶不思議なことが起こり、脳が追いついていない。
心を落ち着かせて早く何とかしなければと思うのに、片割れの馬鹿が邪魔をする。
「とりあえず座らないか? これって……夢じゃないよな? 痛っ」
床に座り、呟いた直後に頬に痛みが走った。
「なんでビンタをされなきゃいけないんだ!」
「え? 夢じゃないと確認して欲しいってフリじゃなかったの? あ、ごめん。ビンタじゃなくて抓らないといけないのか」
「痛っ! 抓らなくていいんだよ! いいからお前も座れ!」
どれだけ神経が図太いのか知らないが、こんな状況で信じられないほどマイペースな妹の手を掴んで無理矢理座らせた。
「俺達、ガレージに物を片付けにきたんだよな?」
「そうだよ」
俺達は昨日、暫く空き家になっていた一軒家に引っ越してきた。
元々は祖父母が住んでいた家だ。
荷ほどきを初めて作業をしていたのだが、暫く使わない季節モノを祖父が使っていたガレージに放り込みにきたのだ。
三畳ほどの大きさのガレージには既に荷物が置いてあった。
面積の三分の一程度が祖父の遺品と言える『発明品』で埋まっていた。
祖父は手先が器用で物作りが好きだった。
発明というと、テレビで地域のエジソンなんて呼ばれているおじいちゃんがつくっている愉快なモノを思い浮かべそうだが、祖父の作るものは割と実用性があるというか、凄いと思えるものが多かった。
ラジコンヘリをお手製で作り、そこにカメラをつけているドローンもどきなものをずっと昔に作っていたし、私有地でしか乗ることはできないのだが、キックボードに草刈り機のエンジンを改造して取り付けてお手軽スクーターのようなものを作っていた。
亡くなる前には芸術方面にも興味が湧いたのか、木や石の彫刻、絵、鉄や銅アート作品を作っていた。
ずらりと並べられた作品を見ると、定年後を満喫していた様子が窺えた。
夢中になって作業をしている祖父の背中を思い出し、胸に暖かいものが込み上げてくるのを感じながら愛蔵の品を見ていたところまでは覚えているのだが、そこで記憶は途切れてしまっている。
「美空は覚えているか?」
「私もそこまでは覚えてるんだけど……」
「やっぱり一緒か」
同じタイミングで意識を失い、目が覚めたようだ。
お互い目が覚めるとガレージの中に倒れていて、目の前には自分がいたということだ。
「どうすんだよ……」
「ぶつかったら戻るかな?」
「やってみるか」
そんなことで戻るか? とは思うが、今は思いつくことを手当たり次第するしかない。
立ち上がり、距離を開けて助走をつけてぶつかることにした。
「「せーの! ぎゃああああ」」
やっぱり無理でした。
ただ痛いだけだった。
お互いに転んでしまい、無残に床に転がった。
虚しい……。
「はあ、無理。とりあえずBLるから」
「『とりあえず』の選択肢で出てくる項目じゃないって、それ」
「じゃあ何? 何が『とりあえず』の正解なの?」
美空も虚しさを感じているようで、寝仏のようなポーズで喧嘩を売ってきた。
早く起き上がれ、俺だって苛々しているからな!
「俺だって分からないけど、『とりあえず』……寝たら治るんじゃないか?」
「凄い適当」
「仕方ないだろう。だって何も思い浮かばないし、心辺りが……あ」
喋っている途中に視界にあるものが見えた。
「あれ、記憶が途切れる直前に触ってなかったっけ?」
「どれ? あ、そうだ……このパズルみたいなもの」
床に転がっていた銀の物体を指さすと、美空がそれを拾った。
初めは一つの手のひらサイズの立方体の形をしていたのだが、今は二つに別れてしまっている。
断面は凸凹になっていて複雑だ。
しかもそれは針金が複雑に絡み合って立方体の体を成している。
見た目は『針金製立体パズル』だ。
戻してみようとチャレンジしたが……駄目だ。
元に戻りそうな気配が全くしない。
「これ、どうやって外したんだよ」
「触っただけでぼろっと取れたから分かんないよ。なんか中にビー玉みたいな石も入ってたんだけど消えちゃったし」
「えー? どこに転がっていったんだよ」
「それが落ちて転がったんじゃなくて、パズルが割れた瞬間に消えた様に見えたの」
「消えた?」
「うん」
そんなわけないだろ、と思うが今の状況があるので少々の不思議は許容出来る。
その石が消えたのが原因かもしれない、とさえ思える。
「ここで原因を探るついでに石も探そうか」
「パズルも元に戻してみようよ」
「そうだな」
美空と意見が纏まったところで、母の声が聞こえた。
いつまでガレージにいるのだと叫んでいる。
「このパズルは持って行くとして……『とりあえず寝てみる』しかなさそうだね」
「そうだな。時間が経てば起きていても元に戻るかもしれないし」
「今は早くガレージから出ないと母さんがキレそうだから戻ろうか」
「ああ、そうだな」
結局曖昧な選択肢に希望を託し、ガレージを出たのだった。