油滴宇宙論
今もそうなのだけれど、小さい頃から油に興味を持っていたように思える。小さい頃、と言っても、小学生の低学年くらいの頃だと記憶しているが、初めて食べたラーメンの器に浮かんでいる油滴をじっと見つめているような子供だった。
どうして、液体の上に液体があるのか。
液体はなぜ粒粒していて、ひとつにまとまらないのか。そのことばかりを考えていたし、それは今では少しだけ発展されて、持論として生き続けている。
粒粒している油滴ひとつひとつは宇宙だ。
それらはほぼ円に近く、その円も、小さくなるほど精度は増し、一方で、大きな円は歪に揺らめいていたりする。
油滴はそれぞれ独立しているが、下の液体のせいで油滴は器の中を流れている。そして、何かのきっかけで油滴同士がくっつき、少し大きな油滴を形成する。
油滴同士は、完全に閉じている。
しかし、いつの間にか油滴同士がくっついたり、またはその逆で、離れてしまったりしている。
くっつく瞬間には、どこから円が破れるのか。お互いの円が破れるのか、それとも大きい円が破れて小さい円を取り込むのか。気付いたら、繋ぎ目も何も見られない、ひとつの油滴ができあがっている。特に感慨深くもなく、ただ機械的に成長を遂げているだけの油滴。
私たちの宇宙は、この大小様様な油滴のどれかの円に包含されているのではないか。
少し大きくなったという事実も、分割された事実もわからない。
ただそこにあり、移ろいゆくだけ。
箸で油滴を大きくしながら、私の宇宙はどこかと探す。
記述者 國府田 紡