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「こんにちは。私は、こんな日が来るとは思っていませんでした。勇者が魔王を討伐して、私は貴方とここで生涯を共にする。そういう運命のはずだったんです。でも、そうはならなかった」
ガチャ、と鍵が外され、口に嵌められていた棒が外される。そして、まぶたの上から光が射す。手足が自由になり、吊るされていた状態から解放される。
「さぁ、貴方を縛る枷はこれで全て外れました。その目をお開け下さい」
言われた通り、目を開いた。
四方に石のブロックの壁、四隅に松明。その光でさえ眩しいと感じる。半年ぶりの光に感動するよりも、俺は戸惑っていた。
「あー…、その…顔上げねえ?」
目の前で土下座している女の子は、その場で首を振り、頑なに顔を上げようとしない。
「そんな恐れ多い!今まで何の罪もない貴方を縛り上げてきたのに、謝罪から入らずにいられましょうか!死んでも償えぬほどです!」
「そうは言ってもなぁ…」
直接この子に何かをされた訳でもなければ、俺のために泣いてくれる人までいる訳だし…。
「じゃあそれは一旦保留って事で」
「…ほ、保留、ですか」
「そう、保留」
深い緑のフードで見えないその頭に手を乗せる。
「あんたに聞かされてた話をそのまま信じていいなら、悠長に構えてられないんじゃねえかな」
「ぅ…、確かにそうですが…」
そこでやっと体を起こした女の子は、俺と目を合わせようとしない。ただ、思ったよりも小柄な子だった。紫陽花色の髪を肩までで纏め、茜色の目は宝石のように透き通っている。それに対して肌は白いのに、陽の光を感じさせる暖かみを持ち、小さく整った鼻と少しへの字の口がまた愛らしい。見た目の年齢は俺と同じかそれより下くらいだと言うのに、礼儀も出来てる。
うん、良いお嫁さんになるぞこの子は。
「お、怒って…ないんですか…?」
「誰が?」
「貴方が」
「誰に?」
「私に」
「何で?」
「なんでって…貴方がここに来てから半年ですよ?その間ずーっとつながれてたのに、理由も聞かされず、人として生きているとも言えない生活を送らされたというのに、なんでそんな冷静なんですか…?」
それには俺も首を傾げた。
不思議と湧いてこない怒りの原因は…幾つかあるんだけども…。
「俺さ、ここに来る直前に事故にあったんだよ」
「事故?」
「そう、事故。もしかしたら、俺はそこで死んでたかもしれない。だったら、俺がここにいられるのも、ある意味で助かったっていっていいんだろうな」
そう、そしてここから出られた事も、意味があるんだろう。
「だからお前には、その運命を果たし続けて貰う。お前のその運命にも、当然意味があるんだからな」
その言葉を聞いた途端に、ガチガチと歯を打ち鳴らしながら女の子の目が絶望の色に染まる。
あれ、おっかしいな、俺そんなひでえ事言ったかな。
もう一度首を傾げる。女の子は必死に頷いて地面に擦る様にまた頭を下げた。
「だから、それはもういいって」
「は、はい…!」
慌てて顔を上げる。よくわからないが、取り敢えず俺は周りを見回して、自分にも目を向ける。見慣れない服だが、恐らくここの囚人服なんだろうな。そういえばメガネは…。
「…あれ、目が」
「はい…?」
「いや、何でもない」
目が良くなってる…。よくよく見れば、半年も運動してないってのに、身体が鈍ってる感じがない。いや…むしろ…少し肉がついたか?しかも贅肉じゃない、ちゃんとした筋肉だった。
衰弱していってる感覚はあったはずなのに、何でだ…?
「あ!い、今服をお持ちしますぅぇっ!」
急に立ち上がった女の子が自分の服に躓く。うわぁ、顔面から行ったわぁ…。
「大丈夫か?」
俺が近寄ると、彼女は怯えた様に身体を起こすと、逃げる様に扉を開けて去っていった。
「………、」
え、俺なんか間違った事言ったか?
§
部屋から一目散に逃げててきた少女は、閉めた扉を背にして、動悸が止まらない心臓を抑える。
あの目、あの声色、そして、あの笑顔。
間違いなく、彼は「勇者の器」では無い。むしろ、「魔王の器」と言えるだろう。忠告の通りの結果だった。
「咎の役割を担う者は、何者にも勝る力がある。決して、その力を目覚めさせてはならない。してしまえば、忽ち世界は崩壊に向かう」
咎、という役割は、世界の罪を一身に背負う事。世界の罪とは、勇者と魔王が起こした戦乱そのものを指し、その戦乱が万が一にも終わらなかった場合、全てを終わらせる役割も持っている。
咎守である彼女の一族だからこそ知る、初代書士が残した伝承だ。
一目見たとき、彼女は彼を疑った。どうしても、彼がそんな力を持っているとは思えなかったからだ。だが、彼の世話をしていくうちに、その伝承がホンモノである事を確信した。
食事の制限も、運動の制限もしているはずなのに、彼の体は日に日に逞しくなり、内包する魔力量も増していった。
その時、彼女は思ったのだ。絶対に彼を解き放ってはいけない。解き放てば最後、この世界が原型を留められない。
(でも、それを待ってた。ずっと、ずーっと、待ち望んでた)
口が弧を描く。そう、彼は畏怖すべき対象では無い。自分を解放する救世主なのだ。その内に秘められた罪が何であれ、その事に変わりはない。
であるならば、早く服を着替えさせなければ…。
(彼がここから出たことが知られる前に、少しでも遠くへ)
勇者がいなくなった今、世界はこれから魔物の時代を迎える。そうなる前に、王は次の勇者を探すだろう。現書士が咎人の存在に気付く前に、彼を隠さなくてはならない。
どうせ咎人の存在はバレる、なんなら、遅い方がいい。
男物の服と軽装を纏めてつかみ取り、部屋まで持っていき、扉を開いた。