第壱幕 ~興福寺~
大和国興福寺
「ん……んん」
「覚慶さま! だれか! 別当へご連絡を!」
「はは!」
「ん……ん? こ、ここは?」
「お目覚めですか、覚慶様」
「覚慶?」
「おいたわしや、長く眠られておられましたのでお忘れとは……覚慶様、いや千歳丸様」
(な、なんなんだ? 寺? 覚慶? 千歳丸? ……そういや、あの女生徒が何か言っていたような……)
ガラッ
「覚慶様が目覚められたと聞いたのじゃが」
「別当! こちらに」
「おお! 御無事でなによりですぞ」
「……ごぶじ?」
「別当、覚慶様は長期のお眠りにて記憶が混乱されたいるようです」
「なんと……覚慶様、御仁は疱瘡に侵され、意識のない状態が一月程続いておったのじゃ」
「それは……まことか?」
「うむ」
「そうか……して、俺は先代公方足利義晴が次男、千歳丸でここに入室して覚慶となったので相違ないな?」
「そうでございます」
「…………」
(俺は足利義昭で間違いないみたいだな……ということは……)
「別当、今は何年何月だ?」
「天文18(1549)年5月5日じゃ」
(ザビエルが来る年か)
「わかった、一月世話をかけた」
「仏に使える身として当然のことをしたまでじゃ、では後ほど」
「ああ」
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興福寺別当室
「別当、覚慶様の様子ですが」
「そうじゃな、まるで別人じゃ」
「以前はこのようなことがあれば癇癪を起こしお暴れになっていたのに」
「昔聞いた話じゃと、大病を患った後は人が変わることがあるらしいのじゃ」
「では覚慶様がそれだと」
「うむ、記憶の混濁も見受けられたしのう」
「……」
「あの、凛としたお姿こそ将軍家の本当の姿なのやもしれんな」
「将軍家ですか……」
「覚慶様の父、足利右近衛大将殿(義晴)が長兄右近衛中将殿(義輝)に将軍職を譲渡されてはや3年、洛中の状況は悪いままじゃ」
「そうですね……」
「覚慶様には道を違えずに生きてほしいものじゃ」
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覚慶自室
しかし、本当に戦国に飛ばされるとは……
俺もいろいろと若いころは本を読んでいたが、まさか当事者になろうとは……
とりあえず状況確認だ
俺は足利義昭、これは確定だ、そしてさっきの別当が……俺の記憶が正しければ興福寺第195代別当(諸説あり201代とされる資料もある)兼継だろう
後、この年は兄貴の義輝が京を追われる江口の戦いの年だから……
この戦確か6月ぐらいだったような……
それまでに一度会っておきたい!
下手したら父の義晴には2度と会えないかもしれないからな
史実では1550年に亡くなるからな
とりあえず、当面は寺に軟禁状態だからできる事と言えば……
「読書と武芸しかないよな……」