第拾漆幕 ~大和分裂~
2日後
大和国東大寺
「寺務代、此度は感謝しています。」
「いえ、興福寺の後ろ盾をお持ちの大和守様に協力できるのならばこちらとしても利があります故」
「しばらくお世話になります。」
東大寺の境内には義秋率いる2000と島左近率いる500、同様に松倉右近の300、森志摩守の200の計3000が集結していた
「大和守様、柳生新左衛門殿が到着致しました。」
「そうか、通せ」
「は!」
「柳生新左衛門家厳と申す、此度は大和守様の軍門に下る事に致した」
「筒井家家臣のはずではないのか?」
「もともと我らは戦で負け臣従していたに過ぎない、故に強者に従うのは世の習い」
「なるほど、島らには伝えたのか?」
「是」
「なら良い、柳生新左衛門、領地は安堵の上此度の戦で活躍すれば加増も考えよう、励め」
「はは!」
柳生新左衛門家厳率いる柳生勢300が義秋の配下となった
その夜
興福寺
「別当、如何した?」
「大和守様に紹介したい人物がいてのう」
「前の件か」
「さよう、珠! 入っておいで」
「はい!」
入ってきたのは6歳の幼女
「まちおたまともうします! やまとのかみさまにおきましては」
「よいよい、そのような口上など」
「え?」
「別当、相当な姪御であるな」
「貴族の息女ともなればそのあたりの教育はしっかりとしておるからのう」
「なるほど」
「して、返事は以前伺っていたのだが」
「ああ、娶る事に関しては問題ない、ただ、我が家には女中衆がまだ居ないのだ」
「ふむ……」
「故に、この戦が終わった後、引き取るか、別当に任せるかを図りかねているのだ」
「なるほどのう」
「あ、あの……」
「どうした? 珠よ」
「このおかたが、わたしくしのだんなさまになるのですか?」
「うむ、そうじゃぞ」
「……おなまえは?」
「ああ、足利義秋という」
「大和守様?!」
「よいではないか別当、我々は夫婦となるのだ」
「よしあきさま! すえながくおねがいいたします!」
その後、協力関係の確認をしてこの日の話は終わった
信貴山城
「某様! 三好の軍勢が!!!!」
「な、なんだと!」
「総勢5000余名、進軍してまいります。」
「このような廃城に……仕方ない、退却だ!」
信貴山城
木沢長政の所領であったが天文11年(1542年)3月に長政敗死により落城、その後は大和と河内の国境警戒の為の砦として使われていたが畠山尾州家と筒井家が同盟関係になるに至ってはその役割を失っていた
史実において城郭を拡張し、4重天守を構えてのは松永久秀である
ちなみに4重天守は松永久秀が織田信長に攻められ、爆死した際に焼失落城してる
筒井城
「東大寺に、足利義秋含め、3300が終結しております。 信貴山城に三好勢5000が向かっていましたが、既に落城していると思われます!」
「「……」」
「お二方、どうなされました?」
「ここに至っては致し方無い、順国」
「そうだな、順政」
「「戦うのみ!」」
ただし、双方とも協力しての戦闘は考えていない
順政は布施左京進行盛を呼び
「左京進! 直ぐに越智氏へ援軍要請を!」
「はは!」
南部の有力豪族、越智氏との共闘を模索し、大和守に攻撃
順国は井戸才助良弘を呼び
「才助! 宇陀三将に連絡せよ!」
「はは!」
大和西部の宇陀郡に勢力を持っていた豪族の秋山氏、澤氏、芳野氏と共に三好家と戦う事を決めたのだった




