伍 混乱(コンラン)
「……やっぱり、見え…るんだ…」
あたしは、二枚目のパンを一口囓った。そして、パンから視線を外して、八雲の目を見つめる。
「見えるぞ」
強ばった表情をすぐに戻し、八雲が牛乳の入ったマグカップを手に取った。
「なんで…?お母さんにも見えてなかったのに」
「さぁな。霊感とかの問題じゃないのか。オレ、結構霊感あるんだ。幽霊とか見えたりするしな」
言って、牛乳を喉に流し込む。
はい…?霊感?
そんな一言で片づけちゃうわけ?
「昨日は見えなかったから、その竹櫛を気にしてなかったんだけどな。いきなり見えるってのもおかしい。なんかあったのか」
どうしよう、昨日の夢のことを話すべきだろうか。なんか、軽く流されて終わる気がしてきた。でも、さっきの表情を見る限り、八雲は何か隠してる感じがするんだよなぁ。
しかし、よりによって霊感とか…。あたし、超常現象が苦手だって知ってるだろうに。昨日の夕方の台詞もそうだ。あんな眉唾物の噂話に、裏があるなんて真剣に注意をしてくるってのも…。
でも、聞いておかないとダメな気がしてきた。この件に関しては、流されちゃいけないと思うんだ。あたしの心の中で、何かが警鐘を鳴らしてる。
ええい、女は度胸だ!突っ込めるだけ突っ込む!そして、被弾して大破して轟沈するっ!その後の事なんて、知ったもんか!
「噂話の件、昨日話したでしょ。帰り道に。それをやって、変な夢見たのよ。先に聞くけど、八雲はどんな夢を見たの?」
あたしは、眼差しに力を込めて聞いた。ちょっとでも、八雲に"あたしは真剣です"っていうのを見せないと。
「普通の夢だったけどなぁ。相変わらずお前と一緒にいる夢だったぞ。いつぞやの、サンシャインシティでのデート…」
サンシャインシティ!
共通のワードが一つ出た。デートの夢?たしかに、昔サンシャインシティに遊びに行った記憶があるけど…でも、あれ?
その時、あたしと八雲って、サンシャインシティで何をしてたんだっけ。水族館…じゃないな。モンジャタウン…でもない。あれれ?ワールドインポートマート…だっけ?
記憶が曖昧…よっぽどつまらなかったとか、そんなのじゃなければ忘れないはずなのに。なんだこりゃ?
あたしの見た夢は、ワールドインポートマート前の道路での出来事だったけど…。
「その時…サンシャインシティで何したんだっけ?何してる夢を見たの?」
「何って…ひたすら買い物…ってか、ウィンドウショッピングだな。お前にずいぶん、あっちこっちと振り回された記憶が鮮明に…」
フォークで目玉焼きを弄りながら、八雲が茶化して話す。
「それって、ホントにあたしだった?別の女性だったりしない?」
あたしは、椅子から立ち上がり、食卓に両手をついて身を乗り出した。
「あのなぁ…お前以外の誰がいるんだよ。改めて恥をさらすと、オレにとって初めての女性ってお前だぞ?」
それは前にも聞いたことがある。あたしが、初めて好きになって付き合った女性だって。
だけど…あたしって、どうやって八雲と知り合ったんだっけ。どっちがどっちに告白した?何回デートして、どれくらい肌を重ねたっけ?
ダメだ、どんどん頭が混乱してきた。たかだか二年前の事なのに、どうしてこんなに記憶が曖昧なの!?
「どうしたんだよ、おかしいぞ今日のお前…」
八雲が手を止めて、あたしの顔を覗き込んだ。
「うん、おかしいよね。ホント変だ…そのサンシャインシティのデートも記憶にないの。二年前に八雲とどうやって知り合ったかとか、あたしが告白したのか、されたのかとか…全部、曖昧で……なんで…」
目の前で、八雲が変な顔してる。だめ、考えがまとまらない。
「あたしが、昨日見た夢…。八雲が、刀持って、あたしに斬りかかる…。弓月の夜に、あたしの胸を、八雲の刀が貫いて…サンシャインシティで……」
変だ、あたしが変。今あたしは、何を喋っているんだろう。
あれれ?なんか頭が痛い。耳鳴りがする。八雲が二人に見えて……。
「お、おい比女!?」
八雲、今なにか言った…?
「…ああ、そうだ。…りつつあるみたいなんだ」
遠くで、八雲の声が聞こえる。誰かと話してる?
あたしは、ゆっくりと目を開けた。辺りを見渡すと、そこはあたしの部屋だった。八雲の声は、あたしの部屋の外…バルコニーから聞こえてくる。
そっか、あたし、気を失ったんだな。ベッドに入ってるってことは、八雲がここまで運んでくれたのか。
上半身を起こす。ブレザーは脱がせてくれたみたいで、シャツとスカートという姿だった。そのブレザーは、壁にハンガーで掛かっている。
「最悪、また……ってことになるか…?そうか、それならいいが…」
八雲は、誰かと電話してるみたいだ。薄手のカーテンに透けて、彼の姿が見える。
バルコニーを眺めていると、あたしが目を覚ましたことに八雲が気付いたみたいだ。
「了解、また連絡する。じゃあな」
八雲が電話を切って、引き戸を開けて部屋に入ってきた。
「気が付いたか。まったく、世話焼かせやがって…。大丈夫か?」
言って、あたしの額に手を当てる。
「うん、多分大丈夫…。寝不足が祟ったのかな…」
「目の下のクマはそれが原因か。寝不足で無茶すんな。お母さんと学校には連絡入れておいた。今日は寝とけ」
額から手を放し、上半身を支えてあたしを横にさせ、布団を掛けてくれた。
「うん…。心配掛けてごめん…。誰と話してたの?」
「ああ、大学の友達だ。ちょっと講義で問題が発生してなぁ」
ベッドの横に腰を下ろすと、うんざりしたように項垂れる八雲。
「そっか…」
「しかし、変な夢見たんだな。クマ出来る程って、ほとんど寝てないのか」
「二時間くらい、かな…。あんな怖い夢、生まれて初めて。何度も飛び起きたんだよ。八雲に刀で刺されるなんて…」
言い始めたら、八雲があたしの両ほっぺを手で覆った。
「アホか。オレがそんなことする訳ねぇだろ。なんて夢見てんだよお前は…」
あたしの目を見る、八雲の目は真剣そのものだった。そうだよね、八雲があんな事するわけがない。噂に惑わされすぎたのかな。でも、折角夢を見るなら、みんなと同じ夢が見たかっ……。
「どうした?顔赤くして…」
「な、なんでもない!」
あたしは、八雲の視線を無理矢理外した。
「兎に角ちょっと寝ろ。そんで、もうあの噂話にはあんまり踏み込むな」
「うん…」
と、返事をする。
けど、甘いよ八雲。あんまりは踏み込まないけど、ちょっとずつ踏み込む事にする。きっと、何とかしなきゃいけない。八雲に迷惑は掛けたくないけど、あたしは、あたしの"何か"を取り戻さないと。それは、恐らくあたしの"記憶"。そして、竹櫛が纏う緑色のオーラの意味も。それを掴むためには、この噂話に乗っかるのが一番いいと思うんだ。だから、ほんのちょっとだけ無茶を許して。
「八雲、大学はどうしたの?」
壁に掛けてある時計を見ると、二本の針は一〇時過ぎを指している。二時間ちょっと気を失ってたのか。
「休んだ」
サラリと言い、続ける。
「だから、さっき電話で指示出してたんだよ。同じ研究室のヤツにな」
「休んで大丈夫なの?」
「まだ新年度始まったばっかりだぜ。今日のコマ数くらい、いつでも取り戻せるさ」
無意味に八雲が胸を張った。遅れたコマ数は、五コマか六コマか…。まあ、今回はあたしが原因だから、これ以上は突っ込まないようにしよう。
でも、やっぱり一人でいるよりも、こうして八雲と二人でいるほうが落ち着く。だめだなぁ、もう完全に、逃げられないくらいに惚れてるよ、あたし…。
「何をニヤついてるんだよ…」
あれ、気が付かないうちにニヤついてたのか。あたしは八雲の顔を見て、恥ずかし気もなく言ってのけた。
「やっぱ、八雲に惚れてるんだなぁって再確認…?」
「なっ…!?」
八雲が顔を真っ赤にして慌てた。この手の台詞にどれだけ耐性がないんだろう。二年経つんだから、そろそろ慣れて欲しいもんだわ~。
「あ〜、えっと……オレもだ。再確認。」
ぼそりと呟く。なんだろ、めっちゃ嬉しいんですけど?
「えへへ…」
あたしは、照れながら掛け布団を鼻くらいまで被る。
「いいから、ちょっと寝ろって。オレはここにいてやるから」
「うん、そうする。ホントは、この流れでチューくらいしてほしいけど、我慢するね」
あたしは掛け布団から左手を出して、八雲の服を握った。
「別に我慢せんでも……」
顔を赤くしたまま、八雲が呟く。
「だめだよー。更にその先までいっちゃいそうなんだもん」
「あ?なんで…」
あ〜、このニブちんめ。したくてもできない理由なんて、一つしかないでしょ!
「もう、察しなさいよ。兎に角、あたしも八雲も我慢我慢~」
「な、なるほど。む~…、仕方…ねぇなぁ」
八雲は、あからさまにがっかりしたが、キスの代わりに手を握ってくれた。あたしも、それを握り返す。
「おやすみ、八雲…」
「ああ、おやすみ」
幸福感に包まれながら、あたしは再び目を閉じた。