参 悪夢(アクム)
昼食は屋上で。
これは、あたしがこの成城高校に入学して以来、天気が雨の時以外、必ず守り通している決まり事だ。
何故かと問われると、良く分からない、としか言いようがない。気に入ったからなのか、気持ちよかったからなのか、あたし自身もよくわかっていないのだ。でも、昼休みになると、つい足がここに向いてしまう。
一年生の時、ここで食事をするのはあたし一人だけだった。二年になったら、二人になった。その相手が誰だったかは何故か覚えていないのだけれど。三年生である今は、三人。あたしと相田さん、そして、クラスメイトの津島絵美さん。津島さんとは、今日初めて会話を交わし、今日初めてここで一緒に食事をしている。繋がりは何だったかというと、勿論、例の噂話についてだ。
昨日今日と、ホームルーム前にあたしと相田さんが話している内容に、加わりたくて仕方なかった、というのが彼女の言い分だった。彼女はあたしと違って超常現象が大好きで、今回こんな噂が学校内に飛び交った時点で、その真実を確かめるべく検証に躍起になっている人を探していたらしい。そこで、その話に盛り上がっていたあたしと相田さんに白羽の矢が立った…というより、白羽の矢を立てた、ということだ。
あたしは購買で買ってきたサンドイッチをパクつきながら、ピクニックシートの上に座る目の前の二人の話を聞いていた。その話は、どの人がどんな夢を見たかといった事の再確認だ。
ウチのクラスの中でも、やはり試しにやってみた人が数人、それも、全て女の子だ。もしかしたら男子の中にもいるのかも知れないが、そんな話を出すのが恥ずかしいのか何なのか、噂には上がっていない。
とりあえず、あたしも今夜再び試してみるつもりでいる。他の人たちは夢の内容を覚えているのに対して、あたしは何故かその内容が記憶にない。相田さんと津島さんの情報収集に依ると、失敗した人はいるにしても、夢の内容を覚えていないのは全クラス中、あたしだけだというのだ。
「だから、名椎さんが今日試してみて、夢の内容が彼氏の内容と合致すれば、この噂話はホントってことでしょ」
と、これは相田さんの台詞。
「でも、なんでこんな噂が立ったのか、これも検証する必要あるよね。どういう理屈でこんな夢を見るのか。それも、見る夢が全て…え、えっちな夢だってのも不思議だし」
顔を赤らめながら津島さんが言う。
そうなのだ。彼女たちが聞きつけた、というより調べた夢の内容は、全て彼氏との情事の夢らしい。そんな夢を見るからこそ、噂話として広まったんだと思うけど。あたしたちくらいの年頃は、そう言うことに敏感だ。
サンドイッチを平らげ、デザートの焼きプリンの蓋を開けながら、あたしは呟くように言った。
「あたしが試して、今夜も覚えてなかったら、また新しいパターンが出来るって事だよね。それって、失敗したと取るのか、それとも夢の内容を連続で覚えていないってパターンで取るのか…」
「そうなんだよねぇ。そう言う場合、どうすればいいんだろ。朝にも言った通り、わたしが試せればいいんだけど…。津島さんは試せるの?」
あたしと同じくプリンを頬張っていた相田さんの言葉に、津島さんが首をかしげる。
「試せる…とは?」
「えっと、オトコいるのかって話!名椎さんはきっちりいるけど、津島さんには彼氏がいるのかなって」
「いるよ~」
と、サラリと答える。
「ぇ?」
相田さんが、口にくわえていたスプーンを、ピクニックシートの上にぽろりと落とした。
「彼氏っていうか…幼馴染み?親公認だから、付き合ってるも同然なんだけど。あ、でも、えっちはしたことないよ!相手が、結婚するまでナシだー!っていう考え方だから。今時古いと思うんだけど」
相田さんが乾いた笑いをしたあと、大声で叫んだ。
「わ、わたしだけかよぉぉぉ!!」
あたしと津島さんは、顔を見合わせて笑った。
「決めた、わたし、この噂話を検証し終わるまでに絶対、彼氏見つけてやる!」
拳を握って立ち上がり、決意を語る相田さんに、津島さんが静かに突っ込んだ。
「見つけようと思って見つかってれば、きっと、今頃彼氏いるよねぇ」
「それを言うなぁ!」
その慌てぶりを見て、更に大きく津島さんが笑った。
その時、あたしの胸ポケットがぶるぶる震える。携帯電話の着信だ。あたしはごそごそとポケットから取り出すと、表示されている名前を見た。
……八雲だ!
あたしは素早く受話スイッチをフリックして、急いで耳に当てる。
『おう比女、今昼飯の最中か?』
一日ぶりに聞く八雲の声だった。
「うん、友達とご飯食べてるよ。バイトお疲れ様、よく眠れた?」
電話しながら横目でちらりと二人を見る。二人はあたしを見ながら、「オトコだ、オトコだ」とひそひそ話している。
『ああ、寝まくった。お陰で朝イチの一コマポカしちまったけどな』
「だめじゃん、人のこと言えないよそれ」
わざとらしく大笑いしてみる。うん、今日はあたし、きちんと起きたもんね。言える言える。
『まあ、気をつけるわ。まだ十分取り返せる講義だしな。今日、いつも通りでいいか?』
「うん、部活あるから、いつも通り五時半だよ」
『分かった。五時半にそっちに行くわ』
「はーい、待ってるね。あ、友達も紹介してあげる。可愛い子二人」
再び、ちらりと相田さんたちを見た。彼女たちは、お互いに手を叩いて喜んでいる。
『なんだぁ、それは、浮気オッケーってことか』
電話の向こうで、八雲がニヤついたのが見て取れるようだ。あたしは慌てて否定した。
「だ、ダメに決まってるでしょ、そんなの!バカじゃない!?」
『ははは、オレにはお前だけで十分だって。じゃ、あとでな!』
そして、電話が切れた。
あたしは顔から湯気を出しながら、しばらくスマホを睨んだ。浮気という言葉にに怒った湯気ではなく、あたしで十分、という言葉に対しての湯気だ。
「た~いへん、ラブラブでいいこってすなぁ」
相田さんが、皮肉って睨んできた。あたしは、視線を逸らして笑うしかなかった。
放課後、部活を終えてクラブハウスであたしが着替えていたら、ドアをノックする音が聞こえた。そして、相田さんと津島さんがドアをちょっとだけ開けて、中を覗き込んでくる。
「着替え終わった?」
「もうちょい。入ってきていいよー」
あたしが中へ促す。すると、二人が随分と畏まって入ってきた。
「汗くさい部屋…」
津島さんがハンカチで口と鼻を押さえた。
「仕方ないでしょ、運動部なんだから。今時シャワーも付いてないなんて、女の子に対する配慮が足りないよね~」
シャツを羽織って、ボタンを上から順にかける。スカートをはいて、腰のホックを留めた。壁にかかった時計を見上げると、五時二〇分を指している。
「もう来てるかなぁ…」
あたしが呟くと、相田さんが答えた。
「校門のところでバイク見たよ、真っ赤なやつ。人は見えなかったけど。あれでツノついてたら、やっぱり普通のバイクより三倍速いのかな」
「…それ、なんの話?」
ブレザーを着込みながらあたしが訪ねると、相田さんは頭を掻きながら笑った。
「大昔のアニメのネタ…だったよね。超有名なやつ。なんだっけ?」
「なんだっけ?」
相田さん津島さんにが問い返した。なんだ、知らずに使ってたのか。だったら、超有名じゃないじゃん。
あたしはロッカーから鞄を取り出すと、そのなかに無造作に運動着を詰め込んでチャックを閉めた。そして、頭に挿していた竹櫛を外して、部室の隅に置いてある姿見に向かい、髪の毛を梳かしはじめる。
「そういえば名椎さんって、ずっとその櫛挿してるよね。結構古くて高そうな櫛だけど、それってなに?」
梳かしながら、あたしはその姿見に映る相田さんを見て言った。
「おばあちゃんの形見なんだ。身体から極力外すなっていう遺言らしくて。あたしもコレ気に入ってるから、こうしてずっと着けてるの」
「ふ~ん…」
手首に巻いた髪ゴムを頭の後ろで結った髪に通して縛る。そこに、竹櫛を挿した。
「お待たせ、行こっか!」
振り返り、二人に声を掛ける。鞄を肩に掛け、ドアをくぐって鍵を閉めた。
グラウンドの真ん中を横切り、その向こうにある校門に向かう。見ると確かに、真っ赤なサイドカーが停まっていたが、八雲の姿はない。
あたしはサイドカーに小走りに近寄り、周囲をキョロキョロと見回してみた。すると離れたところにある自販機の前でコーヒーを飲んでいる八雲を見つけ、手を振って名前を呼ぶ。
「やくも~!」
その声に気付き、八雲が手を挙げながらこっちに戻ってきた。小脇に、三本の缶コーヒーを抱えている。
「お帰り、比女。その二人が友達か?」
言いながら、あたしに三本の缶コーヒーを手渡す。あたしはそれを相田さんと津島さんに一本ずつ配る。
「うん、相田美保ちゃんと、津島絵美ちゃん」
あたしが紹介すると、二人は八雲にぺこりとお辞儀をした。
「そうか、オレは速水八雲。いつも比女と仲良くしてくれてサンキュな」
言って、右手を差し出す。その手には、一昨日にはなかった包帯が巻かれている。
二人は遠慮気味にその右手を握り替えした。
「ってか、八雲。この包帯どうしたの?」
あたしは八雲の右手を触って、問うた。
「ああ、バイト中にちっとぶつけた。腫れてもいないし、痛みもほとんど消えたから、もう取ってもいいだろうけど…」
八雲が手をブラブラと振りながら答える。
「もう、気をつけてよ。心配しちゃうじゃない」
あたしが上目遣いで八雲の顔を見た。それに、八雲が首を縦に振る。
「ああ、気をつける。ところで…」
八雲は、そのやりとりを見て笑っていた相田さんたちに視線を移動させ、にやりとする。
「…どっちと浮気していいんだ?」
あたしは八雲がその言葉を言うのが読めていたので、すぐさま思いっきり彼の足を踏んづける。八雲は声にならない悲鳴を上げ、足先を押さえてぴょんぴょんと跳んだ。
「バッカじゃないの!」
その光景を見て、相田さんたちがお腹を抱えて笑う。照れ隠しに、あたしはサイドカーからヘルメットを取り出し、いそいそと被った。
「いいなぁ、イケメンの彼氏…」
相田さんが指をくわえる。イケメンと言われ、八雲がちょっとだけ照れた。
「…オレって、イケメンなのか…?」
八雲があたしに聞くが、あたしはプイと顔を背けながら、もう一つのヘルメットを手渡す。八雲は苦笑いをして、そのヘルメットを被った。
「じゃ、また明日ね名椎さん。アレ、きちんと今夜も試してよ!速水さんコーヒーご馳走様でした!」
津島さんが、八雲に頭を下げた。あたしは頷きながら、サイドカーにぴょんと乗り込む。八雲も彼女たちに手を挙げ、バイクに跨って、キーを挿した。
「いいなぁ、イケメンの彼氏…」
相田さんはまだそれを言うか!あたしは顔を赤くしてサイドカーの中で俯いた。八雲が、クラッチを切ってイグニッションスイッチを押す。低い排気音が、夕暮れの空に吸い込まれてゆく。
「二人ともばいばい」
あたしが小さく手を振ると、八雲が二人に頭を下げてクラッチをゆっくり握った。サイドカーがスピードを殺しながら走り出す。後ろで、更に同じ台詞を繰り返す相田さんの声が聞こえた。
「ところで比女、さっき彼女たちが言ってた、アレってなんなんだ?」
住宅街を抜け、国道に出た辺りで八雲が尋ねてきた。あたしはそれを説明していいものかと迷う。なぜなら、彼氏の夢を覘けると言われている噂なのだ。すなわち、あたしは今夜八雲の夢を覘こうとしている。ぶっちゃけてしまうなら、すでに昨日覘いているんだけれど、あたしが覚えていないのでこれはノーカウントだろう。
「別に言いたくないならいいんだが…」
「えっと、そうじゃなくて…なんて言ったらいいんだろう」
赤信号でバイクが停まり、八雲があたしの顔を見る。
「学校で、噂話があってね。彼氏に貰った物を枕の下に置いて、名前を唱えながら眠ると彼氏の見てる夢を自分も見られるっていう…」
「へぇ…そういうの、女って好きだなぁ」
「うん。あたし興味なかったんだけど、巻き込まれる形で今日試すことになっちゃったのよ」
うそばっかり。苦手分野ではあるけど、実際には興味がある。八雲の見てる夢ってどんなものか。
「ってことは、今夜お前は、オレの見てる夢を覘こうとしてる訳だな。ふむ、オレとしては早めに寝て、それに協力すべきかしないべきか…」
ニヤニヤしながら八雲が赤信号に視線を移動させた。
「どっちでもいいけどさ~。それにね、周りの話を聞いてみると、その夢ってオチがあるらしいのよ」
歩道の歩行者信号が点滅し始めた。続けて赤になり、クロスする道路の信号が黄色に変わる。
「どんなオチだ?」
「え、えっと…」
あたしはもごもごと口ごもりながら、小さく答えた。
「全部、えっちな夢…だって」
それを聞いて、八雲がぶはっと吹き出し、声を上げて大笑いした。
「なんだ、そいつらそんなに溜まってるのかよ。若いっていいねぇ」
若いって…八雲もまだ二一歳だろうに。信号が青になり、八雲がスロットルを握る。あたしは突然身体を襲う重力に、取っ手を握って耐えた。
「だから、ほんとにそんな夢を見るのか、彼氏持ちのあたしに検証してくれって…」
「なるほどなぁ…」
言いながら、八雲の表情がちょっとだけ険しくなったのをあたしは見逃さなかった。
「…どうしたの?」
それをつっこむと、八雲はすぐに笑顔を作る。
「いや、なんでもねぇ。まあ、あんまり深入りするなよ。そういったオカルトな噂は、大概変な裏があるからな。コックリさんとかそうだろうが」
あたしは素直に頷く。
「うん。でも、約束しちゃったから、今晩はやってみるよ。明日の朝、夢の内容教えてよね、答え合わせするから」
「わかったわかった。だが、比女までエロい夢見るなら、相当溜まってるってことだよなぁ」
「え?」
横を見ると、八雲が鼻の下を伸ばして笑っていた。
「オレはいつでもいいぜ?」
あたしは、思いっきり八雲の左足を殴り飛ばすことで、その答えとした。
その夜、あたしは前日と同じようにベレー帽を枕の下に敷いてベッドに入った。そして、噂通りに八雲の名前を数え始める。
「速水八雲が一匹、速水八雲が二匹…」
数え初めて、再び気が付く。何故か、今日も八雲は動物が如く"匹"だった。あたしは数えるのを途中で止め、頭を振ったのちに一から数え直す。
「速水八雲が一人…速水八雲が二人…」
また八雲が一三〇人に到達しようとしたとき、睡魔が襲ってきた。その感覚に身を委ね、あたしは夢の世界へと誘われていく…。
気が付くと、そこは夜のビル群だった。空には明るい弓月が浮かんでおり、冷たい夜風があたしの身体を襲う。
ここは塔京の街なのだろうか。それにしては周囲が静か過ぎる。塔京の市街地は、どこも不夜城だ。いくら真夜中であっても、雑踏が途絶えることはない。
そして、今あたしが立っているこの場所には見覚えがある。目の前には特に高いビルがそびえ立っており、それが東井家袋のサンシャインシティであることを物語っていた。周囲を見渡すと、前方を横切る道路の上に二つの人影があって視線がそこで止まる。
一人は長身の男性、少し離れたところには、髪の長い女性。その女性の衣服は相当乱れていて、両手を力なく垂らし、真っ赤に光る目が男性を睨んでいる。男性の方は右手に大きな刀を持ち、それを今まさに青眼に構えつつある。
あたしはガードレールから身を乗り出し、その男性の姿を凝視した。短く刈った髪、ダウンコート、黒いデニムのパンツにスニーカー…。
…あの姿は、八雲?
そして、その先にいる、八雲が刀を向けている女性。その女性は薄汚れた成城高校の制服を身につけている。ちょっとだけ染めた茶髪に、ロングヘア。黒のニーソックス、ローファー。それは紛れもなく、髪を下ろした"あたし"。
なんで、八雲はあんな目であたしを睨んでいるんだろう。口元には、やや微笑が浮かんでいるようにも見える。それに対して、服の乱れた"あたし"は、一歩も動かない。
怖い、あんな表情の八雲、今までに見たことない。
あたしは身体を小さく振るわせて、その光景を見守る。その時、一際大きく口元をゆがませて、八雲が大地を蹴った。一直線に"あたし"へと、刀を構えて走り込む。
ゾブリ、という音が暗闇に響いた。八雲が突き出した刀が、"あたし"の身体を貫いたのだ。刀の先から、鮮血が道路にしたたる。
あたしは震えながら目を大きく見開いて、口に両手を当てた。そして、一歩後ずさる。吐き気がする。そしてその八雲の表情を見て、更に強い吐き気をもよおし、その場でうずくまった。
なんで…なんで八雲は、あたしを斬って笑っているの!?
「い…」
あたしの口から、悲鳴が上がった。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
目の前が、暗転した。