表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暗闇ヲ駆ケル花嫁 第弐部~再覚醒  作者: 喜多見一哉
話之壱 <恐怖夢(コワイユメ)>
2/26

弐  邂逅(カイコウ)

 目を開けると、そこは見渡す限りの草原だった。遠くに山脈が連なり、頂上付近にはうっすらとではあるが白く雪を纏っている。木々の葉は真っ赤に色付き、季節が秋から冬に変わろうとしていることを教えてくれていた。

 あたしはその風景に何か懐かしさを感じ、思わず涙腺が緩みそうになった。だけど、ほとんど新塔京から出たことのないあたしにとって、この風景に見覚えがあるはずはない。

 そんな気分で草原の真ん中で一人たたずみながら、少し冷たい風に身を吹かれてみる。風に乗って流れてくる青草の薫りが鼻腔を擽った。

 ふと見ると、その草原の先に、一軒の小さな小屋があった。小川のほとりに建つその小屋には衣服が干してあって、明らかに人が住んでいることを表していた。

 これが八雲の見ている夢なんだろうか。きちんとあの噂話が効果を発揮しているのならば、この風景こそが八雲の夢のはず。

 でも、なんだろうこの雰囲気。少なくとも現代の日本ではない。二〇六二年の日本では、こんなに広々とした草原は存在しないはずだ。その小屋を見る限り、木造…校倉造りだ。ということは、ここは古事記や日本書紀に見られる、神話時代なのだろうか。

 しかし、八雲がこんな繊細で美しい風景の夢を見てるとは意外だった。あたしなら兎も角、八雲はがさつで乱暴で、まあ、優しいときもあるけど、繊細とはほど遠い性格なのに。もしかしたら、心の中はこんな感じなんだろうか。あたしに見せたことのない心の中は。

 そんなことをぼんやりと考えながら風景を見渡していると、その小屋の扉がゆっくりと開いた。そして建物の中から、一人の美しい女性が手に桶を持って出てくる。質素な長衣を着てはいるが、何処と無く高貴な雰囲気を醸し出す女性だ。遠目でしか見えないが、桶の中には衣服が入っていて、恐らく小川で洗濯でもするつもりなのだろう。

 その女性は視線を上げ、離れたところに立っているあたしに"気が付いた"。

 ……気が付いた?

 なんで、八雲の夢を覘いていると思われるあたしに気が付くのだろう。でも、周囲を見る限り、今この草原にはあたしと、その女性しか存在していない。ということは、これは八雲の夢ではない…?

 女性は小川の畔に桶を置くと、あたしに駆け寄ってくる。そして、肩で息をしながら、あたしに向かって微笑んだ。

「お久しぶりですね、比女さん!」

「は、はい…?」

ずいぶんと間抜けな返事を返してしまった。あたしのその素振りを見て、女性は少し表情を曇らせる。

「そう…でしたね。今の貴女に、わたしのことは…」

でも、すぐににこやかな表情に戻る。

「それでも構いませんわ。もう、お会い出来ないと思っておりました。とても嬉しく思います」

 話を聞く限り、この女性はあたしを知っている?でも、あたしにその覚えはない。しかし、見れば見るほどにあたしに瓜二つな女性だ。

「ここは…夢の中、ですよね…。そして貴女は、どなた…」

「はい、夢の中です。比女さんが見ている夢であり、同時に八雲さんが見ている夢の中でもあります。眠るときに、何か神術的な(まじな)いをしてから、床に入られたのではないですか。その呪いに、貴女の髪に挿す"湯津爪櫛(ユツツマグシ)"が反応して、この世界に誘われたのですわ」

 あたしは自分の髪に手を添えると、祖母の形見の竹櫛が挿さっていた。寝るときに、必ず外して机の上に置くのに。でも、その櫛の名前には覚えがある。最近読んでいる古事記に、その名前が登場していた。

「湯津爪櫛…素戔嗚尊が稲田姫の姿を変えて八岐大蛇と戦ったという…」

その呟きに、女性は頷いた。

「そうです。その竹櫛は貴女の物であり、わたしでもあります」

 わたしでもある…ということは、あたしの目の前にいる女性、この人は稲田姫と言うことになるのかな。

「間もなく夫も狩りから帰ってきます。本来なら我が家にお迎えして、夫とも会って頂きたかったのですが…どうやら、それほど時はないようです」

 稲田姫が空を見上げる。

 そうか、これがあたしと八雲の共有夢だというのなら……八雲は今日、大学へ行くと言っていた。バイトが終わって夜中に自宅へ戻ったとしても、ほとんど睡眠時間はないに違いない。八雲が目覚めようとしている、そういうことなのだろう。

 稲田姫が目を伏せ、無理をするように微笑む。

「お別れするのは残念ですが、比女さんが再び、わたしと共に歩んで下さる時が来るまで、耐えることにいたしますわ」

「え…、それって、どういう…」

「言葉通りの意味です。おそらく貴女は、目が覚めた後にこの夢の事を覚えていないでしょう。ですが、わたしはずっとお待ちしています。比女さんは、わたしなのだから」

 ちょ、ちょっと待って。この人、今なんて言った?あたしが稲田姫?稲田姫があたし?これは、何かの禅問答なの?でも、この例え難い懐かしい感じ、あたしは何かでここに関わった事がある…?

 目の前の空間が揺らぎ始めた。八雲が目を覚ましつつある。あたしは、遠ざかってゆく稲田姫に目一杯手を伸ばした。

「稲田姫、もう少し…!」

稲田姫は、あたしに向かって叫ぶ。

「比女さん、どうしようもなく困ったときは、詠いなさい!わたしと、夫が共に詠んだ歌を!間もなくやってくる、次の試練の……!」

 その声が暗闇に掻き消される。

 稲田姫が、素戔嗚尊と共に詠んだ歌。それは、知る限りひとつしかない。あたしの愛する人の名前を持つ、日本最古の和歌…。

 暗闇の中で、あたしはその歌を口ずさんだ。

「八雲立つ…出雲八重垣、妻籠みに…八重垣造る、其の八重垣を…」


 毎朝恒例の、目覚まし時計のアラームが聞こえる。

 あたしは目覚まし時計をむずっと掴むと、ベッドの上から投げ落とす。それはフローリングの床に弾み、バッテリーを落として静かになった。

 ゆっくり上半身を起こし、寝ぼけた目で床に投げた時計を見る。動きを止めているその針は、六時五分を指していた。どうやら、六時ジャストに鳴る一回目のアラームは無視したらしい。

 大あくびをすると、ベッドから降りて机の上の竹櫛を持ち、髪に挿した。そしてその足で、部屋を出て、一階の洗面所へと階段を下りてゆく。

 普段なら、既に玄関で八雲があたしを待ちわびているはずだけど、今日はお迎えはナシだ。ちょっと寂しい。

 洗面所で身だしなみを整えると、ダイニングキッチンに入っていく。そこにはお母さんとお姉ちゃんが朝食を取っていた。

「おはよう~」

あたしが挨拶すると、お母さんがちょっと毒を含みながら言う。

「おはよう。ようやく一人で起きてきたわね」

「おはよう、比女ちゃん。ご飯食べなさい~」

お姉ちゃんの言葉だ。食卓には、あたしの分の食パン二枚と目玉焼き、牛乳が置いてある。あたしは椅子に座ると、何もつけずにもそもそとパンをかじる。

「で、比女ちゃん。昨日の噂話は上手くいったのぉ?」

お姉ちゃんが、耳打ちをしてきた。

 目覚めきってない頭を、無理矢理フル回転させたけど、イマイチ靄がかかっていて夢の内容は思い出せなかった。

「う~ん…良く覚えてない…。やっぱり、あの噂はデマなのかなぁ」

「まあ、噂なんてそんなものよ。ほら、早く食べちゃいなさい。遅刻するわよ」

 あれ、なんでお母さんが知ってるんだろう。お姉ちゃんが話したんだろうか。あたしは目玉焼きに醤油をかけて口の中にねじ込み、もぐもぐと動かした。

「今夜も試してみようかなぁ。八雲を一三〇匹くらいまで数えたんだけど、もっとたくさん数えないといけないのかな」

その言葉に、お母さんが反応して笑った。

「なによ、その数え方。一三〇匹だなんて、八雲くんに失礼だわ」

「いいのよ、八雲なんて"匹"で。まるで動物みたいなんだから」

二枚目のパンに取り掛かる。今度はバターナイフで、マーマレードジャムを塗りたくる。

「ほんと、失礼ねぇ…。八雲くんも、なんでこんな娘を好きになったのかしら。我が娘ながら、ガサツでおバカで、運動しか取り柄がないのに…」

「八雲に聞いてみれば?」

牛乳を喉に流し込み、手を合わせて席を立つ。

「気をつけて行きなさいよ。電車で登校するのは久しぶりなんだから」

「わかってるわよぅ」

 ダイニングキッチンを出ながら、お母さんに返事をする。確かに、新学期に入ってからはずっと八雲が送り迎えしてくれていたので、電車とバスで通学するのはホームステイの期間を含めると実に一ヶ月ぶりくらいだ。  

 あたしは部屋に戻り、制服に着替えるとお財布の中を確認した。ちょっとだけ心許ない。ポケットにお財布を突っ込み、鞄を持って再びダイニングキッチンへ向かう。

「お母さん、交通費ちょうだい!」

ドアから顔だけを出して、声を掛ける。

「机の上に置いてあるでしょ。持って行きなさい」

見ると、千円札が二枚置いてあった。そのお札を掴み、折りたたんでお財布の中に入れる。

「いってきま~す」

言って、あたしは家を出た。


 学校に着き、教室に入ると、もうほとんどのクラスメイトが揃っていた。

 クラスメイトたちの会話に聞き耳を立てると、あの噂話のネタがかなり飛び交っている。あたしは自分の席に座ると、机の横に鞄を掛けて一息ついた。

「おはよう、名椎さん!」

 声を掛けてきたのは、噂の出所である相田さんだった。次に続く言葉を予想出来たので、あたしは先手を打って言う。

「夢、見られなかったよ。覚えていないだけかもしれないけど」

「あらら…」

あからさまに残念そうな顔をする相田さん。

「でも、さっき情報収集してきたんだけど、ウチのクラスでもかなり成功してるみたいよ?昨日話した隣のクラスの子も、また同じ夢見たって」

「逆に失敗した子もいるってことでしょ。だったら、あたしが失敗しててもいいよね」

一人で勝手に納得し、首を何度も縦に振る。

「でもね、その隣のクラスの子、見た夢の内容が、前日に見た内容と全く同じだったんだって。そんなことあると思う?彼氏がそんなに性欲旺盛なのか、それとも別の理由があるのか…」

「ふ~ん…。全く同じっておかしいよね。あたし、覚えてる限りでは一〇〇(パー)同じ内容の夢なんて、見たことないよ?」

「それはわたしもなんだけどさ。わたしが試してみようにも、肝心のオトコいないしなぁ」

そう言って、腕を組んでみせる。

 へぇ、そうなんだ。相田さんかなり可愛いから、彼氏くらいいると思ってたのに。

「こうなったら、何が何でも、名椎さんに成功してもらわないとね。実験実験!」

「え~…」

 …とは言ってみるものの、実はあたしも気になり始めている。オカルトは嫌いだけど、昨晩の夢を思い出せないのが何となく腑に落ちないし、二日連続で同じ夢を見るってことも確かめてみたい。それに、こういう共通の話題を持つことで、相田さんともっと仲良くなれるかも知れない。

「まあ、やってみるけど…あんまり期待しないでよ。あたし、記憶力は皆無に等しいんだから」

「大丈夫!数撃てばいずれ当たるって!」

親指を立て、ウインクする相田さん。それは、あたしにこれを毎日試せって事なのかな?

 あたしはわざとらしくため息をつくと、頷いて見せた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ