伍 神憑(カミツキ)
お姉ちゃんとの2人きりの夕食を終え、あたしは自室に戻ってきていた。
あたしはハンガーに掛けてある制服のポケットから携帯電話を取り出すと、机の上に置いてあるタブレット型PCに有線で繋ぎ、電源を入れる。デスクトップの画面からGPSアプリケーションをタップして呼び出すと、携帯電話経由で八雲のアドレスナンバーを入力した。
まさか、八雲はこんな形で、自分が調べられてるとは思わないだろう。本来の目的は、いつでもどこでも、お互いの場所が分かり合えるように、なんて乙女チックな考えでお互いにインストールしたアプリケーションなのに。
瞬間、ディスプレイに地図が表示され、現在八雲の携帯がある場所が表示された。そこは、案の定八雲の家のある場所だった。よし、今夜は例のバイトに行ってないみたいだ。まあ、携帯を家に忘れた…って可能性はあるけど。
さて、次の目的は、街中に出る事。とりあえず、井家袋にでも行ってみようかな。例の夢は東井家袋のサンシャインシティだったし、その辺りは夜でも栄えてる。女子高生とかもたくさんいると思う、噂話の現象を調べるには持ってこいだ。
問題は、どんな言い訳で家を出るか、なんだよねぇ。明日が土曜日で学校が休みなら「八雲の家に行ってくる」で万事オーケーなんだけど、まだ平日だもんなぁ。こっそり出たら、お母さんもお姉ちゃんも心配するだろうし、コンビニとか言って、長い時間帰らないのも不自然だ。困った…。
この件から手を引いてって相田さんと津島さんに言ってしまった以上、彼女たちを引き合いに出すのも出来ない。
いっそのこと、素直に買い物に行ってくるって言おうかな。例えば、文房具が切れたとか…。それが一番手っ取り早い気がしてきた。よし、そうしよう。
あたしは部屋着から外出着に着替えると、鞄にタブレットを入れ、薄手のコートを着て一階へ向かう。リビングからはテレビの音と、相変わらずのお姉ちゃんの大爆笑が聞こえる。ほんと、どんだけバラエティやらお笑い番組が好きなんだろ。
リビングのドアをちょっとだけ開けて、顔を覗かせ、お姉ちゃんに声を掛ける。
「お姉ちゃん、ちょっと文房具切らしたから、買いに行ってくるね」
お姉ちゃんはテレビから視線を外さずに手をひらひらと振った。
「あんまり遅くならないうちに帰ってくるのよ~」
あれ、それだけ?これは、信用されてるのか、放任なのか…。ちょっと悩んだのがバカみたいだ。まあお母さんがいたら、こうはいかなかったんだろうけど。
「は~い」
あたしは軽く返事をすると、そそくさと玄関へ向かい、お気に入りの革のブーツに足を通した。
時間は七時過ぎ、そして四月中頃だ。息こそ白くはならないものの、外はまだかなり冷える。あたしは身体を温める為にも、ジョギングがてら櫻台駅まで走る事にした。さすがにヒールのあるブーツなので、いつものように走る事は出来ないけど、それでも五分少々で駅に着く事が出来た。
東井家袋までは、西武井家袋線で一〇分、井家袋駅でメトロに乗り換えて、二分だ。この時間は新塔京中央から郊外へ向かう下り線がラッシュで混む事はあっても、上り線はそうではない。あたしは難なく椅子に座る事が出来た。
車両内を見渡すと、学校帰りなのか今から何処かへ遊びに行くのか、結構女子高生が乗り合わせていた。そのうち、数名が左肩に例のオーラを背負っている。中にはウチの制服を着ている生徒もいて、その女の子たちは、なにやら服の話やら旅行の話やらで盛り上がっていた。
あたしは足を組み、頬杖をついてその光景を見守る。呑気なもんだなぁ。その左肩に憑いてるオーラの本当の意味を知ったら、恐らくそんな風に笑ったりは出来ないだろうに。
あたしは窓の外に視線を戻して、高速で暗闇の中に流れていく街の灯りを眺めた。
パンっ!
突然耳に中に入ってきた聞き覚えのある音に、あたしはハッとして車内を見回す。
すると、先ほどは左肩に赤いオーラを背負っていた成城高校の生徒から、それが綺麗サッパリなくなっていた。
勿論、誰もその音にも、現象にも気が付いていない。その女子高生たちは、相変わらず他愛もない話に花を咲かせている。
あたしはよく目を凝らしてその三人の生徒を見てみた。その中に、見覚えのあるような生徒が一人混じっている。
あの子は…今日の帰りに、校門で八雲と話していた子ではないだろうか。遠目だったからあんまり確証はないのだけれど、雰囲気が似ている。髪型も。
あたしは睨み付けるようにその子を見る。すると偶然なのか、その子とふっと目があった。すぐに視線を外すその子。リボンの色を見る限り、今年入学してきた新一年生のようだ。更に目を凝らすと、その子の身体全体から、うっすらとではあるが青色のオーラが小さく立ち上るのが見える。
…間違いない、今オーラを散らしたのは、あの子だ!
あたしがずっと視線を外さずに睨んでるのが解ったのだろうか、その子はあたしに背を向けてしまった。なんか、自分がやりましたよ~って言ってるようなものなんだけど。
あの子は、どこの駅で降りるのだろう。もし井家袋で降りるのなら、そのままこっそり後をつけてやろう。八雲との接点もありそうだし、津島さん以外の、あたしと同じ力の持ち主だ。必ず、何かがあるはず。
でもあの子、どこかで見た事あるような…。今日の夕方だけじゃない、ずっと前にどこかで…。
"……ちゃん、おやっさんを、もうゆっくりさせてあげよう?"
不意に、頭の中を言葉が過ぎった。そして、鈍く走る頭の痛み。あたしは唸って、右手でこめかみを押さえる。
…今、誰の名前を呼んだ?おやっさん…って…誰だっけ…。
こんな現象、何度目だろう。確か夢の中でも、こんなことがあった。あたしの、忘れている"何か"なんだろうけど。それが解らないのが、思い出せないのがもどかしい。
車内アナウンスが流れ、電車は井家袋駅に到着した。結局その子は、終点である井家袋まで電車を降りなかった。そのまま、何事もなかったかのように友人の女の子たちと電車を降りる。あたしは一呼吸置いて電車を降り、その子の姿を目で追った。
いた!
その子は友人たちと別れ、一人中央階段を昇ろうとしている。あたしは一〇メートルくらい離れて、その子の尾行を開始した。
なんか、テレビの刑事ドラマみたいだ。なるべく自然に、気が付かれないように、そして時折物陰に隠れたりもする。
その子はポケットから携帯電話を取り出すと、何処かへ電話を始めた。さすがに内容までは聞き取れないけど、ちょっとだけ顔に焦りがあるように見える。まあ、あたしに付けられてる事は解ってるだろうし、誰かにそれを報告でもしてるんだろうか。
ん、報告…?
あたしは、鞄から急いでタブレットを取り出し、電源スイッチを押した。休眠モードだったタブレットが息を吹き返し、ディスプレイにずらりとアプリのアイコンを並べる。そして、GPSアプリのアイコンをタップ。先ほど登録したばかりの、八雲のアドレスを呼び出し、地図で確認する。
謀ったかのように動き始める、八雲の携帯電話の位置。このタイミング、きっと電話の相手は八雲だ。
ふっと視線を上げると、さっきまでいたその子の姿が消えていた。しまった!あたしは駆け出すと、その子のいた場所まで移動し、周囲を見回す。
しかし、もうどこにも、その子の姿を見つける事は出来なかった。ちょっとタブレットを弄ってた瞬間を狙われるなんて、不覚!
あたしは肩を落とし、溜め息をついた。とりあえず、駅を出てみよう。なんにせよ、
あの赤いオーラを散らせるだけ散らさないと。街中なら、すれ違いざまとかに湯津爪櫛を左肩へと滑り込ませるくらいはできるはずだ。もうメトロには乗らずに、サンシャインシティまで歩いていこう。道中にも、散らす機会はきっとあるはず。
あたしは髪から緑色のオーラを放つ湯津爪櫛を外し、左手に握る。そして東口から駅を出て、ネオンが光るビル群の中を、サンシャインシティ方面へと向かった。
しばらく歩き、ふっと気が付く。
どんどん、街中を歩く人の数が少なくなってきている。あたしは立ち止まって自分の周りを歩いている人々を数えるが、十分に両手で足りてしまった。もうすぐサンシャインシティに到着する。時間は、まだ八時ちょっと前。この時間で、不夜城塔京を闊歩する人々の人数が一〇人に満たないって、明らかにおかしい…。
"……、お前も……たちと一緒にいけ!すぐに人払いの…を張らせる。"
再び脳裏に響く声。そして頭痛。あたしは耐えられずに頭を押さえ、その場にうずくまった。
人払い?人払いの…何?
あたしは歯を食いしばり痛みに耐えながら、その言葉をキーワードにして自分の記憶を探る。同じ現象が、この短時間で二回。もうすぐ、何かが解る、いや、思い出せそうな気がする!
頭を押さえつつ顔を上げ、目の前にそびえ立つサンシャイン60を見る。夢の中の記憶は、このサンシャインシティが舞台だった。力なく立つあたしの身体、それにまとわりつく真っ赤な巨大なオーラ。刀を構える八雲、彼に重なる、あたしの姿をした緑色のオーラ…。
キーワードはまだある。あたしが稲田姫であること、この竹櫛が、湯津爪櫛…稲田姫そのものであること。八雲が素戔嗚であること。そして、八岐大蛇という存在…。
今度は、言葉だけでなく映像が蘇る。
あたしの足下に這う、赤いオーラを纏った一メートルくらいの蛇。
"この大蛇さえ倒せば、あたしの身体はあたしに戻ってくるのかな"
ああもう、訳わかんない!
蛇を倒すだの、あたしの身体があたしに戻るだの、一体どういうことよ!
あたしは激しく痛む頭を押さえながら、ゆっくり立ち上がった。目を開けると、周囲に残っていた一〇名ほどの人もいなくなり、しんと静まりかえっている。
「…え…、なにこれ…?」
電車が走る音も、車のエンジン音すらも聞こえない。雑踏の喧噪すらもない。完全なる静寂の世界だった。あたしはきょろきょろと周りを見るが、視界に入る全てが同様だ。
「なんで、誰もいないの…?ここ、ホントに井家袋?」
あたしは呟き、よろよろと歩き出す。止まっているタクシーの中には、運転手さんはいないし、バスもだ。普段ならば乗り口の前に列を作る人々がいるのに、それすらもない。
今この空間には、あたし一人…。
いや、視界の隅に、一人だけ影が映った。
あたしはその人影に視線をずらし、確認する。
ぱっと見、それは少女のようだ。高校生くらいだろうか。ただ普通と違うのは、左肩に宿る巨大な赤いオーラ。それは人の形をしていて、まるで操り人形のように、その少女の身体を繰り動かしている。少女の目は血走り、口元からは泡を吹いているようにも見えた。
そう、あの夢の中の、あたしの身体のような…。
その少女は、ゆっくりと足を引きずりながら、あたしに近づいてくる。
「か…神憑……?」
自然と、あたしの口がその単語を呟いていた。
聞いた事のない…、いや、もう何度も耳にしたその単語。
その言葉を少女が聞いたのか、拳をぎゅっと握りしめ、ものすごい勢いであたしに走り寄ってくる。
……逃げなきゃ!
あたしの心の中の何かが、そう警告を発した。あたしは痛む頭を押さえ、身を翻して後ろに走り始めた。




