壱 噂話(ウワサバナシ)
お待たせ致しました。
「暗闇ヲ駆ケル花嫁」第二部のスタートです。
比女と八雲の活躍にご期待下さい!
今後とも、よろしくお願いします!
※ご注意※
何度も書いて恐縮ですが、第一部をお読みになっていない方は、まずそちらからお読み下さい。完全に前作から続いているお話です。
「ねえ、名椎さん。あの噂聞いた?」
放課時間にあたしに声を掛けてきたのは、三年生になってから初めて同じクラスになった相田美保さんだった。彼女は始業式の日にあたしに声を掛けてきて、それから度々話すようになり、一週間を経過した今は、既に馬鹿にし合うほどの間柄になっていた。
あたしは決して取っつきやすい性格の人間ではないので、ここまでの仲になれたのは、誰とでも仲良くなれるという彼女の特技でもあるのかも知れない。現に、彼女はクラスの中でもかなりの人気者だ。きっと、今月が終わる頃には、お互い名字ではなく名前で呼び合うくらいになっているんだろう。
「噂って…?」
あたしは教室の自分の机に座って翻訳された古事記を読んでいた手を止め、彼女に聞き返した。
「えっとね、枕の下に彼氏から貰った物を置いて、羊を数える代わりに名前を唱えながら眠ると、彼氏の見てる夢が覘けるって言うヤツ」
ああ、それかぁ。確かにここ一週間くらいで、ウチの学校で頻繁に流れてる噂だ。勿論、あたしも知っていたけど、基本的にそういった迷信の類は信じないことにしているので、敢えて気にはしていなかった。でも女の子ってこういう噂、好きだよねぇ。女の子のあたしが言う台詞でもないけど。
「聞いたことあるよ。でもそれ、成功した人いるの?」
「隣のクラスの子が昨日の夜、試したんだって。それでね…」
相田さんが、あたしの耳に口を近づけ、耳打ちをする。
(すっごい、えっちな夢見たらしいのよ。彼氏との)
「えっ…!?」
思わず手から本を取り落とし、その本は更に机からも落ちて床に跳ね返った。あたしは彼女に習い、小声でささやく。
(そ…そういう夢が見られるっていう、おまじないなの…?彼氏がそんな夢見てたって事?)
その慌てっぷりを見て、相田さんは満足そうに「にゃはは」と笑った。
「ううん、人それぞれらしいよ。ただ、その子はそういう夢を見たってだけで。ケンカしてた夢見たって子もいるし」
「なぁんだ…。必ずその夢じゃないのね」
胸を撫で下ろすと、彼女はニヤリと笑って続けた。
「もしかして、そういう夢が見たかったの?名椎さんって意外とエッチ~」
「ちっ、ちがっ…!」
顔を真っ赤にし、全力で否定する。それを眺めている相田さんの態度を見て、図られたことを確信した。こんな手に引っかかるなんて、あたしってば単純…。目の前で、相田さんはお腹を抱えて笑っている。
「ほら、名椎さんも彼氏いるじゃない。いっつもサイドカーで迎えに来てくれる人。一度、試してみたら?」
「う~ん…」
あたしには、確かに速水八雲という大学生の恋人がいる。高校に入学してからの付き合いなので、もう二年以上一緒にいることになる。もう、どうやって声を掛けられたかとか、出会いの部分は全然思い出せないのだけれど、ケンカしたり、貶し合ったり、そして愛し合ったり。とてもいい関係が続けられている。将来、彼のお嫁さんになることがあたしの夢だけれど、そこまで彼が考えているかは不明。なかなか、自分の本心をさらけ出さないヤツだ。そういう話になるといつも茶化されて、本筋を逸らされてしまう。
でも、これだけははっきりしている。お互いに、お互いから離れたくないと思っていることだ。今のあたしは、これが分かっているだけでも十分かなと感じている。
しかし、夢の中まで会ってもなぁ…。会おうと思えば、いつでも会えるのに。四六時中一緒にいたいっていうのが、普通の女の子の考えなんだろうか。逆にあたしは、常に隣に八雲を感じているような気がして、そこまでの想いを抱いたことがない。
無碍に相田さんの提案を断るのも失礼かなと思って、あたしは床に落ちた古事記を拾い上げながらこう答えた。
「じゃあ、今夜試してみようかな」
その声に、相田さんの顔が輝いた。
「ホント!?だったら明日、夢の内容教えてよね!」
そして、声を殺して続ける。
(どんなえっちな夢だったか♪)
「だ、だから、そんな夢は見ないんだからねっ!」
立ち上がって叫んだ。周囲の視線が集中し、あたしは顔を赤くして椅子に座り直す。相田さんは笑って誤魔化しながら、手を振って自分の席に戻っていった。あたしは呆れ顔で彼女を見送ると、再び視線を古事記に落とす。
その時、丁度始業のチャイムが教室に鳴り響いた。
その日の授業が全課程終わり、放課後の部活動で思いっきり身体を動かした後、あたしは迎えに来てくれた八雲と共に、自宅まで戻ってきていた。時刻は既に、一九時を回っている。
「送ってくれてありがとね」
あたしはサイドカーから降り、ヘルメットを脱ぎながら八雲に言った。
「おう。明日はきちんと起きろよ。お袋さんに、"三年生になったらきちんと起きる"って約束してるんだから」
「わ、わかってるわよぅ…」
そうだった。あたしは短期のイギリス留学から帰ってきて、次の日の朝に八雲の目の前でお母さんとそういう約束をしたんだった。
最近、お母さんが朝に呆れ顔をするのは、その約束をあたしが反故にしてるからか~。
「まあ、朝に八雲をあんまり待たせる訳にはいかないしね」
言ってヘルメットをサイドカーに放り込む。
「あ~…それなんだが…」
「ん?」
「明日の朝は迎えに来られそうにない、すまん」
その言葉を聞いて、あたしはあんぐりと口を開けた。
「なんでぇ!?」
「いや、今夜から夜中まで、バイト入ってるんだ。朝は寝てると思う」
「えぇ~…朝まで起きてて、その足で迎えに来てよ…」
ちょっとぶりっこ気味に我が儘をこねてみる。しかし、八雲は表情一つ変えずに、
「無茶言うな。オレを寝不足で大学に行かせる気か」
と返してくる。さすがに、この手は通じないか…。さすが、長年のパートナーだわ…。
「バイトだって、お前の為でもあるんだぞ。遊びに行く金、なくなったら困るだろ」
うぅ、それを言われると超ツラい。バイトが禁じられている高校で、お小遣いでデートをやりくりするには、ある程度は相手に頼らないといけないし…。まあ、ゴネても仕方ないから、今日の所はあたしが折れることにしよう。
「し、仕方ないわね。明日は勘弁してあげる。バイト、頑張りなさいよね!」
ツンデレてみると、八雲はにやりと笑って親指を立てた。
「じゃあ、またね!」
あたしが玄関に向かって身を翻すと、後ろから少し真剣っぽい八雲の声が聞こえた。
「そう言えばお前、最近…」
「なに?」
あたしは顔だけで振り返る。
「…あ、いや。なんでもない。きちんと起きるんだぞ、遅刻するなよ」
と、ヘルメットのバイザーを下ろし、爪先でギアをローに入れた。
「もう、何度も言わないでよ。変な八雲…」
あたしは呟くと、改めて八雲に手を振り、玄関を開けて家の中に入っていく。ドアを閉め、靴を脱ぎ始めると、外から八雲のサイドカーが走り去った音が聞こえた。
いつもなら、駄弁ってすぐに行ってしまうのに、今日はどうしたんだろう。最後の様子もおかしかったように感じたし。
あたしはその八雲の言動に一抹の不安を覚えながら、リビングのドアを開けた。
「ただいま~」
すると、隣のダイニングキッチンから声がする。
「おかえりなさい、比女ちゃん」
その声の主は、お姉ちゃんの由女だった。お姉ちゃんはキッチンに立って、夕ご飯を作っている。
「遅かったのね~、八雲くんと何処か行っていたの?」
それにあたしは首を振った。
「ん~ん、部活。今年の夏大会が最後だからね、少しでも走り込まないと。八雲とは家の前でちょっと喋っただけだよ」
「そうなの~。こんな時間まで頑張ったのね~」
「うん、そう」
あたしは冷蔵庫を開け、牛乳を取り出しながら相づちを打った。するとお姉ちゃんは微笑み、再びコンロに向き直る。
姉である由女は、あたしと違ってずいぶんとおっとりした性格だ。何を喋るにしても、語尾が何故か伸びてしまう。
あたしとお姉ちゃんは、それぞれ別分野を得意として生まれたみたいだ。あたしが運動全般を得意とするのに対し、お姉ちゃんは勉強が良くできる。あたしが勉強が苦手なのに対し、おねえちゃんは運動が苦手。そして、夕ご飯をお母さんから任されるくらいの、料理好き。あたしも料理するのは好きだけど、お姉ちゃんの腕には到底叶わない。お母さんとお父さんは仕事の都合で大体夜遅いので、夕ご飯時はあたしと、お姉ちゃんの二人だけの場合が多い。見る限りに、今日もいつも通りに二人だけのようだ。
「ご飯はもうすぐ出来るから、着替えてきなさ~い」
「は~い」
あたしは返事をし、キッチンを出た。
二階への階段を昇り、自分の部屋に入る。部屋の照明を点け、ベッドの上に脱ぎ捨ててあった部屋着に着替えた。そして鞄の中からタブレットを取り出すと、机の上のノートパソコンと有線で接続して今日の課題をノートパソコンにコピーする。
昔は学校の課題とかを紙で配っていたらしいけど、今それを考えると、なんと資源の無駄使いなんだろうと世間様は思うだろう。森林伐採や、それに伴う温暖化なども過去には騒がれたみたいだけど、二〇六二年の今では、さほど問題にはなっていない。そもそも紙で出来た書籍などはすでに廃れてきていて、ほとんどがパソコンや携帯電話、タブレットなどで読める電子書籍がメインになっていた。
けれど、あたしは紙で出来た書籍の方が、風情があっていいと思っている。あたしが昼間に読んでいた古事記も、電子書籍ではなく昔ならではの書籍だ。だけど、学校から出されるこの課題だけは、何ともならない。
あたしは夕ご飯までに課題を何とかしようと、椅子に腰を掛けて机に向かった。今日出されたのは古文の課題のみだったが、あたしはそれをすらすらと読解していく。一体いつから、あたしはこんなに古文が得意になったのだろう。少なくとも去年の年末は、そんなに得意とはしていなかった…はず。
課題を三〇分程で仕上げると、それを学校のサーバーに繋いでコピーする。これで提出は終了だ。あたしは椅子にもたれ掛かって背伸びをすると、パソコンの電源を落とした。
「できたわよ~、降りてらっしゃい~」
階下から、お姉ちゃんの呼ぶ声が聞こえる。
あたしは部屋を出ると、キッチンから薫っているであろう香ばしい香りに鼻をひくつかせた。チーズの焦げた匂いだ。もしかしたら、夕ご飯はグラタンかドリアか…。
ダイニングキッチンに入ると、その予想通りに食卓の上に並んでいたのは、グリーンサラダとドリアだった。チーズの間から赤いご飯が見える。チキンライスだ。
急に空腹を感じ、あたしは食卓の椅子に座って、フォークを手に取る。食卓に並ぶ二つのドリアの量を比べると、あたしの方が一.五倍くらいある。これは、スタミナをつけて部活頑張れっていうお姉ちゃんの気遣いなんだろうか。
「いただきま~す」
あたしは手を合わせ、相当量あるドリアに手を付ける。
「そういえば、お姉ちゃん」
「なぁに?」
あたしは昼間に相田さんから聞いた噂の事を尋ねた。
「去年、お姉ちゃんが高校生だったときにさ、学校で変な噂って流れた?」
「どんな噂?」
「えっと…寝るときに、枕の下に彼氏から貰った物を置いて、名前を唱えながら寝ると、彼氏の見てる夢を覘けるっていう…」
お姉ちゃんは、サラダを口に運びながら、しばらく考えた末に否定の言葉を発した。
「聞いたことないわねぇ。比女ちゃんの学校で、そんなのが流行ってるの?」
って事は、ホントに最近流れ出した噂なのか…。お姉ちゃんは女子高の出身だから、そう言う噂は詳しいと思ったんだけど。そもそも、そんな怪しい噂、発信源は一体どこなんだろう。
「流行ってるって言うか…、うん、流行ってるのかな。結構、成功した子がいるみたいで」
「へぇ…、女の子は、そういう噂に敏感ねぇ」
って、お姉ちゃんも女の子だよ!まあ、あたしも人のこと言えないか…。でも、女の子って、何歳までが女の子で、何歳からが女性なんだろう。
「今夜試してみるの?八雲くんの夢を覘く?」
お姉ちゃんが、興味津々な表情で聞いてきた。あたしは返答にしばらく困った末、またしてもツンしてみる。。
「と、友達と約束しちゃったしね。ま、まあ、八雲の見る夢なんて、全然興味ないんだけど!」
ウソばっかり。好きな人が見てる夢って、興味あるに決まってる。あたしの夢を見ててくれればいいなんて、これっぽっちも思ってないけどね!
お姉ちゃんには、あたしがツンしたのがしっかりとバレてるみたいだった。ニコニコと微笑んで、あたしが慌てる様を見ている。
「はいはい。そう言うことにしておきましょう」
「うぐっ…」
あたしは言葉に詰まり、無理矢理残りのドリアを口にかき込んだ。
夕ご飯が終わり、お姉ちゃんがお皿を洗っている間に、あたしはいつもお風呂に入る事にしてる。
部屋着を脱いで、更に下着を取り、バスルームに入る。お気に入りのボディソープで身体を洗い、流してからどぷんと湯船に浸かった。
大きめの湯船で手足を伸ばしながら、あたしは昼間の噂よりも、先ほどの八雲の態度の方が気になっていた。あんな風に思わせぶりにするのは、どっちかというと八雲らしくない。何かあったのかな。
それに、八雲が深夜にバイトしてるとか、付き合ってから初めて聞いた気がする。確かにデートとかでも、進んでお金を出してくれることから、結構稼いでるな~とは思っていたんだけど。
しかし、八雲が話さない以上、あたしが考えても答えが出る訳もない。八雲は隠し事をするとすぐに顔に出るから、それほど重要な事ではないのかも知れない。
「あー、もう!モヤモヤするなぁ!」
あたしは湯船に八つ当たり、掌で軽くぺちんと叩いた。次に会ったときに、絶対聞き出してやると心に誓って、あたしは湯船を出て髪の毛を洗いはじめた。
「お姉ちゃん、お風呂空いたよ」
お風呂を出て、リビングでお笑い番組を見ながら声を殺して笑っているお姉ちゃんに声を掛けた。
「う、うん。あとで戴くねぇ。ぷくく…うくく」
えっと、返事するか笑うかのどっちかにしてほしい…。
あたしはその姿を見ながら、ちょっとだけ呆れて、リビングを後にした。
自室に戻り、ピンクのストライプ柄のパジャマに着替える。そしてクローゼットを開けてごそごそと漁り、最近八雲に買って貰ったベレー帽を取り出す。
「う~ん、枕の下に置くんだから、これくらいかなぁ」
呟いて、枕を持ち上げてそれの下に置いた。
でも、そういえば今日は、夜遅くまでバイトなんだっけ。そんな状況でも、この噂の効力は有効なのかな。八雲が朝方に家に帰ってから見る夢を、あたしも見られるんだろうか。そんな疑問を考えつつ、あたしはベッドに上がる。掛け布団を被り、手元に置いてあったスイッチで部屋の照明を落とした。
「えっと、羊を数えるように彼氏の名前を呟く…んだっけ。速水八雲が一匹、速水八雲が二匹…」
数え始めてから、さすがに"匹"はないだろうと思ったけど、数え始めてしまったから仕方ない。
速水八雲が一二九匹までは数えたけれど、それくらいで睡魔が襲ってきていた記憶がある。あたしは、夢の世界へと誘われた。