04:猫の侍従・上
銀色のお話
「おかえりなさい!」
わたしは、久しぶりに見かけた彼に飛びつかんばかりの勢いで駆け寄り、その首に抱きつきそうになって……自重した。
流石に幼い頃から知った仲だといえど、恥ずかしかったのもあり。
自分を守るように背後に控えた金の騎士からの視線と、彼を伴って歩いてきたこの国の第二王子のにこやかな表情がどこか痛かったような気がしたので。
「おや……抱きしめてくれないとは、嫌われたものです……」
どこか悲しげな声音で呟く言葉に、うっとなってしまう。
「違うわ。そうじゃないけれど……ええと、おかえりなさい」
「はい。長らく留守にしてしまい、申し訳ございませんでした。なにか変わったことなどありませんでしたか?」
「大丈夫よ」
そう言うと、青年はちらりと自分の背後の騎士へと視線を向ける。
ああ、そういえばわたしの騎士となる頃に入れ替わりに出て行ってしまったから、初顔合わせかしら?
でも騎士団長である彼とは、すでに顔見知りかもしれない。
どうやって紹介しようか逡巡していると、青年が口を開いた。
「忠実しかとりえのない貴方が心変わりをしたと耳には挟んでおりましたが、そうですか……このような場所にいるとは思いませんでしたね」
「……」
騎士はただ無言で彼の言葉を受け止め、軽く目を伏せる。
「知り合い……?」
「顔見知り程度ですけれどね。騎士団長の噂は、我々側仕えのものたちの間でもよく耳にしておりますから」
恐る恐る尋ねると、そう返答が返ってきた。
なんだろう、それにしてはなんだか多少言葉が刺々しい気がしないでもないような。
けれど久しぶりに見た彼の姿に、わたしは嬉しさのほうが勝ってしまい、そんな不審などすぐに飛んでしまう。
「おじ様のお加減は?」
「お嬢様……ご心配おかけして申し訳ございません。おかげさまで病の床にあった父の峠は超えました」
「おじ様は大丈夫なのね。よかった!」
彼――銀色の髪をした美しい姿の青年は、わたしの側仕えとして努めてくれている。
彼はわたしの側仕えであると同時に、地方領主の息子である。
半年ほど前に、彼の父親である領主が流行病に伏せてしまったとの報せがあった。
彼はわたしのそばを離れるわけにはいかないと、見舞いなどには行かなかったがふた月ほどまえにその病状が悪化。本人は戻りたく無いと言っていたが、わたしがおじ様が心配だからと彼を説き伏せ、一度領地まで戻ることになりわたしの側を離れることになった。
そして、その入れ替わりのようにわたしの護衛として金色の騎士が紹介されたのだ。
「不在の間ご不便をおかけしました。これからは益々の誠意を持ってお仕えさせて頂きます」
「そんな、今までだって十分だわ。特に不便だなんてこともなかったけれど……」
「いいえ。そういうわけにも参りません……ああ、ほら。綺麗な御髪がほつれております。毛先も少し……傷まれていますね。……全く、どうせ私が居ない間はあまり他人に世話をさせなかったのでしょう?」
「うっ……」
見抜かれている。手入れをサボっていたことなどが一発で……。
「殿下、申し訳ございませんがしばしお嬢様をお借りいたします。このような状態で放っては置けませんので」
「……ああ、うん。そうだね、積もる話もあるだろうから僕は今日はこのへんでお暇させてもらうとするよ……でも、明日はちゃんとお話しようね」
王子は黙ったまま侍従に視線を投げて寄越すが、柔らかい笑顔のまま微笑む相手の様子にひとつ首をふり、わたしのほうへ向き直った後ににこりと笑う。
わたしは銀色の侍従を目で示しながら、こくりと頷く。明日は美味しいお茶とお菓子を用意してもらおうと心に決める。
「もちろんです。彼も戻ってきたことですし、明日は美味しいお茶とお菓子でティータイムでも致しましょう、殿下」
「うん、楽しみにしてる。また来るよ、愛しの君」
冗談のように軽い調子でそう言うと、首をこてんと傾けて楽しげにクスクス笑う。まるで兎のようなその愛らしい仕草に見惚れていると、ぴょこんと扉の向こうへと消えてしまう。背後に控えていたわたしの守護騎士が軽く礼を取り、王子の後を追うようにしてついていく。きっと殿下のお付きの騎士がいる控室まで送るのだろう。殿下はわたしと会っている時に護衛が側にいることを嫌う。なので、護衛として城から付いてきた騎士達は控室でいつも待たせていた。わたしの側には実力者の騎士団長が常にいると説き伏せて。
わたしの周りにいても王子が気にしない例外は、わたしの世話係の侍従と、護衛の騎士団長と、あとは少し口の悪い宰相くらいである。
あまり外出が許されていないわたしではあるが、王子の“寵愛“を受けているわたしに近寄るものは多く居た。
……事実は、寵愛など受けているわけでもなくてただの話し相手としてここにいるだけなのだが。
そうした者達は、気がつけばいつのまにかいなくなっていた。
人見知りなところがあるわたしは、周りに人がいなくなったのはただ単に飽きられたのだろうとほっと息をつくくらいだったのだけれど。
「邪魔者もいなくなりましたし……」
「……え? 何か言いました?」
「いえ、独り言です」
笑顔でそう言い切られては、返す言葉もない。
見慣れた彼の笑顔……なのに、どこかいつもの彼の笑顔では無いように思えたわたしは、その端正な顔をしげしげと眺めた。
彼はわたしの不躾な視線を気にした様子もない。不思議そうにふわりと首を傾げる時に、はらりと彼の銀の髪が揺れて輝く。
「……大丈夫? 何か嫌なことでもあったの?」
彼の紫水晶の瞳がまん丸く見開かれる。普段は長いまつげに邪魔されて見えない彼の縦長い瞳孔が、光に照らされてきゅっと細まる様に萎んだ。
「いいえ。どうしてそう思われました?」
「なんとなくかな。おじ様が大丈夫だという話を信じていないわけじゃないけれど、どこか暗かったから……」
「お嬢様……申し訳ございません。その様なことが顔に現れていたなどとは。本当に、なんでもないのですよ。ただ、少し離れていた間にお嬢様が手抜きをされていたんだなと思うと、私の教育が至らなかったばかりに不甲斐ないと……」
「ううぅ」
彼の瞳がいたずらっぽく細められて、口元には自然な笑みが浮かんでいた。ただし、いじわるな時の微笑みだったけれど。彼が目を細めて笑うさまは、上品な猫を連想させる。猫を飼ったことはないけれど、城でたまに見かける美しい毛並みの猫と彼の様子は、どこか似ているように思えた。
「冗談ですよ。そう落ち込まないでください」
「むぅ……」
「ですが、侍女を遠ざけるのならばせめて最低限のお手入れは行われますよう」
「……はい」
わたしの反応を楽しんでいるようかのように、容赦なくわたしの不備について指摘する様子には、先ほどまで感じていた影を感じない。そこにいるのは幼い頃から知っていたわたしの友人でもあり、世話係として今も側にいてくれる銀の髪の侍従だった。からかわれているという点では釈然としないが、彼の楽しそうな笑顔に免じてよしとする。
「いじわる……」
「これは心外ですね。あなたのことを大切にしているからこそ、あえて言うのです」
わたしの侍従である彼がいてくれる時は、色々な世話は彼がみてくれていたので他人だと落ち着かないのである。それ故彼以外の世話係だと自然と遠ざけてしまい、結果色々なことが疎かになってしまっていた。それをわかっていてあえて指摘してくるのだから、いじわるだと言っていいはずだ。
「……ふむ。お肌の手入れなどもあまりしていないようですし、今日は残りの時間をかけてきっちりと仕上げましょうね、お嬢様?」
「一日……これから、いちにち……」
どこか嬉しそうにそういった彼は、小間使いを呼び出してこれからの予定を全て取り決めていた。その様子をぼんやりと眺めながらも自分の逃れられない定めを想い、がっくりと項垂れるのであった。