銀の侍従の憂鬱
お待たせ(?)しました。1週開いてしまいましたが、今回は銀色様のお話。
ヒロイン相変わらず不在。
若干の性描写がございますので、苦手な方はご注意ください。
――コンコン
何かを叩くような音が薄闇の中わずかに響いた。
まだ夜も明けきっておらず、光源のない室内はまだ薄暗い。
まどろんでいた意識が一気に覚醒し、出来るだけ音を立てないようにゆっくりと身を起こす。
上半身は何もつけてはおらず、闇の中でも浮き上がるほどに白く透明な肌であった。その体は細身でありながらも、貧弱な印象は受けないくらいにしなやかに引き締まっている。
腰まで伸びた銀糸のように細く真っ直ぐな髪は月明かりに照らされてきらきらと輝いており、紫水晶のような瞳は夜の闇の中ではまるで猫のように瞳孔が縦長く、僅かな光を受けてキラリと光っていた。
まるで物語にでも出てきそうなほどに美しく、儚げで危うい魅力をもつ中性的な容姿の男性だった。
しかし、その瞳にはなんの感情も浮かんでおらず、その美貌と相まって人を寄せ付けないような雰囲気を出していた。
その男―――……密かな命を受けとある屋敷に潜入していた侍従は、今しがた音がした窓をゆっくりと見遣ってから、自身の横に眠る人物に目を向けた。
命によって籠絡せよと言われた女はいつもとは違う変化に気付く様子もなく、その素肌を晒しながら寝息を立てていた。
自分と出会って折、昼夜問わずにまとわりつき、あまつさえ何処のものとも知れぬ自分と寝所を共にする。自分が囁く甘い言葉に騙され、人目を憚らずに愛を求めては自分を欲する。自分は愛されていると信じて疑っても居ない愚かな女。
籠絡するのなど、容易かった。
日が落ち、すでに暗くなっていた人気の少ない裏通りの道。
自分は怪我を負って、何者かから逃げる素振りをして“偶然“通りがかった彼女に助けを求めた。
薄汚れてはいたが、見るものが見ればわかる上等な仕立ての衣服を着、明らかに刃物による傷を負った男。
ひと目みたらわかるほどに、ワケアリの様子であった。
普通ならば、関わりあいになどならずに捨て置くだろう。
しかし情報によると、彼女は美しいものには目がない。特に、美しい男には。
現に、彼女は“お気に入りの男“のもとへと偲んで行く所だったのだから。
目深に被ったフードからこぼれ落ちる銀色の髪。
そのフードに隠された素顔はこれ以上ないほどに整った美しさを誇る。
多少薄汚れたくらいでは霞みようもない美貌。闇夜でも輝く銀色の髪。
この容姿の使い方は、よく心得ていた。
周囲にはどういうふうに影響をあたえるか。容姿がどう捉えられるか。
自分の容姿に群がる者は多かった。それこそ老若男女問わず。
自分が微笑めば、うっとりと表情を蕩けさせ、自分が冷ややかに見つめればその顔を青ざめさせて表情を無くす。
人の心を操ることなど容易かった。
自分が浮かべた笑顔の裏に何を隠しているのかなど知ろうともせずに、ただ表面の美しさに群がる奴等。
ただ一人、あの人を除いて……。
だから、この女の求めているモノなど手に取るようにわかった。
最初は突如現れた自分に対して警戒をしていた女だったが、自分が特に優れた容姿だと知ると態度を一変させて己の屋敷へと招いた。
彼女手ずから治療を受けてから、感謝とともに躊躇いがちに自分の身上を告げた。
「事情は詳しく話せないが、私は追われているので、行く場所が無い」、と。
彼女は詳しくは尋ねなかった。喜んで自分を自身の屋敷で匿うことにしてくれた。
その対価として私の体をよこせ、そう言葉の裏に滲ませて。
それからは望む通りの言葉を吐き、甘く囁いては望むままにその体を抱いてやった。
愛されて当然との如く振る舞い、自分を我が物のように扱う、傲慢な女。
――――虫唾が走る。
愛しいあの女の為でなければ、このような苦行をどうして行えようか。
何も疑う様子もなくただ安穏と眠る女の様子を無感情に見下ろし、苛立たしげに髪を荒々しく掻き上げる。
肩にかかっていた長い髪が揺れてさらりと音をたてた。まるで銀糸のような細い髪が月明かりを反射して輝く。
切れ長の目元をすっと細めると、猫のような身のこなしで音を立てずにベッドから降りた。昨夜脱ぎ捨てた上着を素肌に羽織り、音のした窓際まで近寄る。
すると、窓の外の僅かな縁にちょこんと身を潜めるようにして鳥が一羽とまっていた。
「……」
わずかに窓を開き鳥を招き入れると、男は素早くその鳥の足にくくりつけられた書簡を筒から抜き取る。
焦らぬように丸められた紙をゆっくりと広げ、書かれた文字を目で追う。
すると。なんの感情も浮かんで居なかった男の瞳に、みるみる熱がこもり、口からは思わず熱い吐息が漏れた。
――――あぁ。
ようやく、ようやくあの人に逢える……。
「ふふ……」
この苦行も、あと少しの辛抱。
もう少しであの人に逢える……あの人のために、自分のすべきことを完璧にこなそう……。
うっとりと彼女と再会できる妄想に浸りながらも、自分の今からすべきことを頭のなかで組み立てる。
必要な物は、あと少しの情報と、ナイフと、毒だ。
手に入れるための算段と、自分がいかに自然に姿を消すかの段取りを行わなくては。
手早く了解の意を伝えるための返事を書き記し、窓際に未だひっそりと佇む鳥の足に再び括りつける。
「早く……あなたに逢いたい」
その後は、寝直す気にもなれずに窓際に椅子を置き、朝日が登り切って女が目覚めるまでただ外の景色を眺めながら、彼女とかつて過ごしてきた美しい日々に思いを馳せていたのだった。
「どうしましたの?今日は随分とごきげんですこと。何か良いことでもございまして?」
日も完全に登りきり、昼と言える時間になって女は起きた。
目が覚めればいつも当然のように横にいた自分の男がおらず、ベッドが冷えていたことを不審に思ったのだろう。
女は軽く辺りに視線を彷徨わせると、労せずに窓際で外をじっと眺めていた青年に気がついた。
貴族の朝は遅い。庶民のように日が昇れば活動を始め、日が沈めば休むといった生活はしていない。
この女も例に漏れず、いつも昼過ぎまでは寝ている。
貴族は何のかのと理由をつけて絢爛豪華な催し物をしては、夜に遊びふける。
全てがそうとは言わないが、そういう庶民の持つイメージそのままの貴族というものを体現しているものも多くいる。この女のように。
自分は起き出してきた女に悟られぬ程度に眉を顰める。
延々と折角楽しいことを考えていた気分が台無しにされたような気分だ。
「まぁ。このような格好では冷えましてよ?」
女は起き上がり自分のいる窓まで近づいて、そのたっぷりとした胸を自分の腕に押し付けるようにして身をよせる。そしてその視線はがっちりと自分の顔を眺めて、うっとりと紅潮していた。
お気に入りの青年が屋敷にやってきてからは外に出かけることも少なくはなったが、それでも夜遊びも、男遊びもなくなりはしなかった。
この女はよそで気に入った若い男がいるとその毒牙にかけては可愛がる。
しかし、翌日に自分の元へきては「やっぱりあなたが一番よ」と、よりいっそ自分を求めるのでいい迷惑だ。
彼女の感心を引くことが自分に与えられた役目とはいえ、毎夜相手させられてはうんざりもする。
女はその肢体をするりと自分の腕の中に滑りこませると、ねだるように唇を突き出す。
それに応えるように軽くついばむと、機嫌よくさらに体を密着させてくる。
(鬱陶しい……)
内心のそのような感情は表には出さず、顔には女が湛えた美貌を優しく綻ばせるように微笑みを形作る。
「奥様……。たまにはこうして朝日を眺めるというのも、美しいものです」
「うふふ、朝日を浴びた貴方のほうがよほど美しいわ。まるで光の化身のよう……。儚くて、この場ですぐにでも消えてしまいそう。……美しく愛しい貴方。貴方は、わたくしのものよ……」
「もちろんです、奥様」
「まぁ。ふたりきりの時は名前で呼ぶことを許したでしょう?」
「申し訳ございません……―――」
女の名を呼ぶと、さらに気を良くしたようにころころと笑う。
その耳障りな声を聞き流すように顔には笑みを貼り付けたままでいると、女はひたすら自分への賞賛と執着や肉欲といった戯言を繰り返していた。
あとすこしの辛抱と、その後に待っている彼女との再会を思うと、表面上だけではない本心の笑みが口元には浮かんでいた。
その様子にずっと垂れ流し続けていた妄言が止み、ただひたすらぼうっと女は見惚れていた。
自分が思いを馳せるあの人に何一つとして似たところがない女。
女の顔を優しく見詰めるように……だが実際には女の顔など見えておらず、自分の空想の中の彼女へと微笑みかけるようにしながら、愛の言葉を紡ぎだす。
「愛しています……」
彼女との早い邂逅を夢見ながらも、冷めた目でこの眼の前の女の最後にはどういう結末が相応しかろうと思案していた。
自分がそのようなことを考えているなどつゆ知らず、女は呆けたまま「わたくしも愛していますわ」などと言っていたが、自分はただただ女が死ぬ最期を想像し、うっすら微笑みを浮かべるのだった。
次回は銀色は合流!のつもり。犬以外のヒロインの絡み書けてねぇ……。次回はヒロインでてきます……。