06:狐の商人・上
久しぶりの投稿です(こればっかり言ってる気がしないでもない)。
「あれあれぇ、こんなところに居るなんて。どうしたの君、迷子?」
「え?」
静寂の中でいきなり響いた声に、びっくりとしてふと顔を上げる。誰だろう? 見たことのない人。
茶色い……というよりは日にさらされて色が抜けたと思われるような黄色いざんばらの髪を無造作に後ろで一つにまとめた男は、不思議そうな表情を浮かべてわたしをみている。
どこかのっぺりとしているような顔立ちはこのあたりではあまり見たことがない。思わずまじまじと見返してしまうが、にこにこ笑ったまま動じない。
眺めていてわかったのは、この闖入者は青年というにはやや幼くみえる。たぶん、顔立ちと表情が彼を幼く見せているのだと思う。
人好きのしそうな表情を浮かべてはいるけれど、細い目の内側に灯る光は好奇心に輝いていた。
(迷子?)
と、ここまできてやっと彼が言った言葉を思いだした。
けれどわたしの他に誰か近くにいただろうか? きょろきょろと辺りを見回す。
どうしよう。誰か迷いこんでしまったのならば、帰り道を教えてあげないと。この庭は広いから。
けれど男の視線はわたしを未だ捉えているようで。
わたしがあたふたしている様子をおかしそうに見続けている男の視線でやっと彼の言う迷子が自分のことだと理解した。迷子じゃないですけどね。
「わ、わたしがですか?」
言外にまさか、という意味を含ませて問う。
「そ。すごいね君。どうやって入り込んだの?」
どうやって? 毎日この庭には散歩に来ているから、無断で入り込んだわけではないのだけれど。
ううん、少し説明しにくいかな。どうしよう?
今現在わたしが何をしているのかというと。
昨夜遅くまで銀月が色々と手をかけてくれたので爪は磨かれ、髪は艶やかになり、肌は潤ったので体調という面ではとても調子がいいのだろう。
けれど、長時間何かを塗りこまれたり揉まれたり浸されたりするのはとても大変なことで。美容の最中は動くのすらままならなくて、とても疲れた。
美容的には色々良いことをしたのだろうが、精神的にはぐったり。疲れ果ててベッドに入り込むなり泥の様に眠ったのだけれど、起きてもすっきりとしなかった。
それに加えて、不思議な夢をみたのだ。
夢の中で、上品で綺麗な猫が擦り寄ってきて、じゃれついてきたのでしばらく遊んでやると、膝の上で丸まってくつろぐのでずっと撫でていた。
親愛の印なのか、猫にしてはつるりとした舌で舐められたりもした。その時に、どこかで嗅いだことのある甘くてしっとりとしたくせのない香りがしたような気がする。もちろん、夢の中でのことだけれど。
次に感じたのは息苦しさで、いつの間にか仰向けになっていたわたしの上で、猫は楽しそうしっぽをゆらめかせつつのっしりと腹のあたりに座り込んでいた。
そうして動かないわたしの上で胸元のあたりまでとてとてと体重を感じさせずに歩いてくると、伸び上がって懸命に私の頬を舐めはじめる。温かい吐息がかかり、くすぐったさや気恥ずかしさで抵抗しようとするが猫は楽しそうに目を細めて、ニィと器用に笑う。
唇も舐められた時、一層甘い香りが強くなった気がした。
ゆらめくしっぽが腕やお腹にあたってくすぐったくて、どうにか猫をわたしの上から退かせようとするのにどうしてか体は動かない。
その間にも香りはどんどん充満していき、甘くて甘くて、その香りに呑まれてしまいそうだった。
夢なのにどうにもできないもどかしさと戦いながら、目が覚めるまでずっと猫と戯れていた。というよりも猫に遊ばれていたといったほうが正しいのかも。特にふわふわとした尻尾で下腹部をゆったりと撫でるのはくすぐったく、なぜかざわざわと落ち着かない気持ちにさせられてたまらなかった。
はっと起きた時には、寝汗でもかいたからなのかほんのり体が上気していた。
休んだはずなのに疲れが抜けていなくて。むしろ余計に疲れている気がするのは気のせいかな……? と思いつつも、あんな夢の後では寝直す気にもなれずにどこか気怠い気分を紛らわそうと考えを巡らせた。
夢の中の出来事のはずなのに、部屋の中でまで甘い匂いが漂っている気がして気分が落ち着かない。
しばらくうんうんと唸って考えついたのは、お気に入りの庭の草花で癒やされようということだった。
だから庭のなかでも更に人が来ないであろう場所で、ひっそりと癒やされようと思った。
わたしが今いるのは、白百合殿下の私有の庭だ。ここは、彼が許可を与えたものだけしか入ることが許されていない。彼のあざなの通り、白百合をはじめとした様々な花が植えられていて、とても美しい。
彼は白い色と赤い色を好むというので、この庭ではその両方が多く植えられていた。
とりわけ私が気に入っているのは、王子が品種改良を施したという薄紅色の花だ。小さくて、とても愛らしい。
まだ陽ものぼりきらない時間。本来なら出歩くべきではないのだけれど、気が滅入っていたわたしは外にでることに決めた。
いつもは出歩く際についてくる騎士は、わたしがまだ眠っているだろうと思ったのか隣室にはいないようだったので置き手紙を置いてきた。
『今日は先に散歩に出かけています』
さすがに無断で出るのは気が引けた。けれどたまには一人になりたいときもある。
こう書き残しておけば、いつも散歩の共をしている彼ならどこにいるか分かってくれるはず。
まだ肌寒かったので動物の毛皮で編まれた上着を引っ掛けてそっと外にでた。
ひんやりとした空気が気持ちよく、いつもの場所に急いで、ドレスがぬれるのも構わずに地べたに座り込んだ。朝露に濡れた花々が美しかった。
そうしてぼんやりとしながら花を眺めていると声を掛けられたのだ。
誰も居ないと思っていたし、誰も来ないと思っていた。来るとすれば、迎えにきた騎士か……わたしが居ないことに気がついた侍従か、もしくは庭を見に来た王子くらいだろうか?
生真面目な騎士が来るというのが、一番ありえそうに思えたのだけれど。
それなのに、いまわたしの目の前にいるのは見知らぬ男性。
これってもしかしなくても、あんまりよくない状況なのではないか。
「いえ……迷子じゃないんです。この、花を……見ていて」
眺めていた薄紅色の花を指し示す。
「へぇ、これって……? ……ははぁ、うん、そっかそっか。なるほどぉ、君があの……」
ひとりでにウンウンと頷きながら納得する様子の男。よくわからないけれど、迷子じゃないとわかってもらえたのだろうか?
……でも、細い目を更に細めながらこちらを値踏みするような目で無遠慮にじろじろと上から下まで眺められて、あんまりいい気分がしない。なんだろう? こんな早朝から出歩くのって、そんなに珍しい?
それなら、わたしだけじゃなくてこの人もだと思うけれど。一人で早朝から出歩いて庭にいるんだから……。
て、あれ……? よく考えてみたら、どうして、知らない人がここにいるんだろう……?
王子のお客様なのだろうか? けれど、よっぽど親しい人じゃなければ庭に招いたりしないはずなのに? しかも、こんな朝早く?
昨夜の疲れか、それとも迷子と間違えられてショックだったのかはわからないが、そんなあからさまな不審な点に気付くのに遅れてしまった……。ああ、どうしよう。
「あの、あなたはどうしてここに――」
彼に問おうとした言葉を遮られ、逆に詰め寄られて、
「興味、あるなぁ」
間近に彼の顔があった。彼の体はしゃがみ込むような形ですぐそばに寄せられており、膝の上に揃えて置いていた両手を、片手で容易く押さえられてぐっと握りこまれる。
相も変わらず目にはこちらの反応を面白がるような、わたしの出方を伺うような光が宿っていた。
「え? この花は、あげるわけには……」
どうしよう、この花は王子が大切にしている花だし……手折ってわたしてあげるわけにもいかない。
あっ。
もしかして、この人は新しく入った庭師さんだろうか? そうであるならば、早朝に庭にいるのも頷ける。
そっか、ならわたしが知らなくても仕方ない。それにこの花も初めて見たのだろうから、珍しいのだろう。
でも、どうしよう。そうだとするならば……みつかってしまったのはまずい気がする。
まだ騎士や侍従であるならば誤魔化したり少し怒られたりするくらいだっただろうけど。
庭師などの下働きの人からのわたしに関することは、直接わたしにじゃなくて宰相に報告がいってしまうかもしれない。朝早くからふらふらと出歩いていたということが……しかも、一人で。
ああ、どうしよう。……お小言が怖い。遠回しに遠回しに嫌味をねちねちと……ううぅ、やっぱり迂闊だったかな……。
「ぷっ、そっちじゃないんだけど」
「はい?」
新種の花に興味があったのでは? そう問うと、間近でふっと笑う気配がした。
「この状況でさ。なんで花なわけ? それとも……わかっててとぼけてるの? だとすれば、すごいよねぇ」
この状況……状況?
ああ、これってもしかしなくても、押し倒されようとしてます? 真顔で尋ねてみると「聞く? それ聞くの?」と言われたのだけれど、違うのだろうか?
湿った地面に座るだけならばまだしも、流石に横になるのは……今更ですけど、侍従に怒られそうです。
「侍従長に騎士団長に宰相閣下、更に第二王子まで入れ込んでいる娘がいるって聞いたけど……君のことでしょ? ……僕が調べたとこによると、黒狼もまわりうろついてるらしいし……君さ、なんなの?」
なんなんでしょうね? 自分でもよくわかっていません。
その想いが顔に現れていたのか、男は面白そうに言う。
「僕さ。楽しいことが大好きなんだよね。ふふ、君の周りにいると退屈しなさそうだ」
男は細長い瞳をさらに細めて、楽しそうにくすっと笑った。
どうしよう、狐さんが印象薄いです。
猫さんは一体ナニしてたんでしょうかね?