時の最果て
暗闇の空間に、一つの明かりが灯っていた。
古びたガス灯による明かりだ。
その弱々しい明かりで見えるのは古びた石畳と街角にあるような広場。
ガス灯の下にあるのは大きめなテーブルと椅子が4脚。
角の方には小さな噴水が見える。
そして不思議な事に、広場を囲うようにして立てられた柵の間には等間隔に宙に浮いた扉が3枚。
その向こう側は壁はなく、部屋らしきものも見えない。
そして、木で出来た小さな橋を渡って古い木の門を潜り抜けたその先には、幾本もの光で出来た柱が石畳の下から伸びていた。
それ以外何も見えない。
空を見ても、月はおろか星すら見えない。
何も、無い。
漆黒の闇。
ここは時の果ての果てにある、全ての時間が交差的に交わる場所。
未来・現在・過去、様々な時間を見る事が出来る場所、その名は『時の最果て』
『時の迷子』達が流れ着く、静かな暗闇の砦。
時間に迷った者達をここへ呼び、その者達を元の時の流れに戻す優しい場所。
そこに、たった独りだけ『時の迷子』達を導く者がいた。
全ての時を渡り、時空を渡る者。
それは美しい真青の長い髪と、深紅の瞳をした美しい少女だった。
キュゥゥゥン…
耳鳴りのような音と光の洪水を通り抜けた2人の耳に、涼やかな声が響く。
「ようやく、来ましたね…」
幾本もの、石畳の遥か下方より伸びている『光の道』の一本の前で、古びた杖を右手に持っている真青の長い髪の少女が、たった今やって来たばかりの2人の少年に微笑みながら言った。
2人の少年達はなにやら面食らっているようだが、少女は気にする素振りを見せない。「さあ、こちらへいらっしゃいな。歩いて来て疲れたでしょう? 冷たい物を用意していますから」
少女は、2人の少年の返事を待たずに、古い木の門を押し開けて木で出来た小さな橋を渡り、少し開けた広間へと進んでいく。
「あ、あの…」
坂上少年の呼びかけに、少女が振り返る。
「はい?」
「えっと…あんたが『時の賢者』なのか?」
「さ、坂上君!」
自らの実家で信仰している『時の賢者』をあんた呼ばわりされた鳴矢少年は焦った。
あまり自分自身は信仰しているつもりはなかったのだが、それでもやはり幼い時から慣れ親しんでいる。
それに、彼女は少女の姿をしていても神にも等しい存在だ。
「なんだ?」
あんた呼ばわりした当の坂上少年は全く気にしていないようだが…。
しかし、怒りに触れると思っていた鳴矢少年の予想とは全く違った反応が返ってきた。
「ええ、私が『時の賢者』と呼ばれているマリー・クリスです」
にっこりと微笑まれ、坂上少年と鳴矢少年は真っ赤になってしまった。
彼女は今まで見てきた女性の中でも飛び抜けて綺麗だった。
彼等の世界にはいない、真青の長い髪。
不思議な光を宿した優しげな深紅の瞳。
紅を差していなくとも紅い唇。
すっとした鼻筋。
細い顎。
白い肌。
彼女はどこまでも、完璧な美を持っていた。
白の様な、淡い紫の様なローブが、よく似合う。
「…すっげぇ…」
坂上少年の口から、そんな声が漏れた。
「はい?」
「お姉さん! メッチャ美人!」
かなり興奮している坂上少年に、彼女は目を丸くして笑った。
「まぁ、ありがとう」
「さっ、坂上君!」
焦る鳴矢少年。
照れる坂上少年。
そんな2人の対照的な2人に、少女は笑ったままだった。
「もぅっ! 時の賢者様に何て事言うのさ!」
「だって、本当の事じゃん?」
怒れる鳴矢少年。
飄々たる坂上少年。
少女は久しぶりに大笑いしていた。
「時の賢者様…先程は失礼しました…。ほら、坂上君も謝って」
「なんでだよ、俺は本当の事言っただけだぞ?」
「だって、失礼だろ?!」
「何がだよ、本当に美人なんだから良いだろ?」
「そういう問題じゃなくて…」
このまま延々とケンカしそうな2人の間に、時の賢者こと、マリー・クリスがやんわりと間に入った。
「2人とも、それくらいになさいな」
「ですが…」
「私は別に気にはしていませんよ?」
本人にそう言われては、鳴矢少年は引き下がるしかなかった。
渋々ながらも口を閉ざし、大人しくする。
そんな2人を見ながらクスクス笑いつつ、少し開けた広場に置かれたテーブルと椅子を指差した。
「さぁ、そこの椅子に座っていて? 今冷たい飲み物を出しますから」
「とっっ時の賢者様にそんな失礼な事など…っっ!」
泡を吹きそうになっている鳴矢少年に、マリー・クリスは微笑む。
「貴方方はお客様でしょう? お持てなしぐらいするわ」
「お前、考えすぎだって」
「君は考えがなさすぎだよ!」
またケンカでも始めそうな勢いな2人の少年に、マリー・クリスは苦笑する。
「ケンカはダメよ?」
「はい…」
大人しく従う2人に、マリー・クリスはレモネードを作って渡した。
「さぁ、どうぞ」
「いただきます」
「いっただきま~す♪」
2人は半分ほど一気に飲み、同時に笑顔になった。
『美味しい!』
2人は同時にそう言い、顔を見合わせた。
「あら、貴方達結構良いコンビね」
マリー・クリスにクスクスと笑われ、2人は赤くなる。
「でも、出会ってまだ一週間しか経ってないけどな」
「あ…そっか。出会った日に『跳んだ』から…」
すっかりお互いに慣れていたので忘れていたが、まだ一週間しか経っていないのだ。
そんな2人にマリー・クリスは微笑を浮かべる。
「そうなの? 私にはまるで長年連れ添った友人に見えますよ」
喜んで良いのか悪いのか微妙な表情を浮かべつつ、2人は顔を見合わせた。
自分の分のレモネードを作った彼女は彼らの前の椅子に腰を下ろし、杖をテーブルに立て掛ける。
「さて、落ち着いた所でお名前を伺っても宜しいかしら?」
その問い掛けに、2人はあっと目を丸くした。
「そう言えば、オレ達名乗ってないぞ!」
「す…すっかり忘れてた…」
コップを持ったまま慌てる2人の様子に笑いつつ、マリーは坂上少年の左手を差し出す。
「2人とも落ち着いて? まずは貴方の名前を伺っても?」
「坂上空也。年は17歳」
「クウヤね? では貴方は?」
ツイっと鳴矢少年の方に手を差し出して、彼女は問い掛ける。
「…鳴矢透留です」
「トオルね。直接会うのは今回が初めてだけれど…貴方が『時の子』ね」
その問い掛けに鳴矢少年―トオルは頷いた。
「はい。何度も助けて下さってありがとうございました」
「気にしなくても良いわ」
ふんわりと微笑む彼女に見惚れ、トオルはハッとして目を逸らした。
そんなトオルの様子に坂上少年―クウヤはからかいたい衝動に駆られたが、口をむぐむぐするだけで留めておく。
―人の恋路は邪魔しちゃいかんでしょw
能天気で豪快な性格なクウヤだが、一応そういう気遣いくらいは出来るのだ。
一人でご機嫌なクウヤを横目に、マリー・クリスはトオルに問い掛ける。
「所でトオル? 『時の宝珠』を持って来ていて?」
「『時の宝珠』ですか? 実家にあるはずですが…それがどうかしたんですか?」
不安そうに問い返すトオルに優しく微笑み、マリー・クリスは右手で杖に触れ、左の掌を上に向けて握り締めてテーブルの上に出し、深紅の双眸を閉ざして歌うように囁いた。
「我は時を統べる者。我が半身たる欠片よここに…」
古びた杖が強い金色の輝きを放った。
「うわっ!」
そして、消えると同時に彼女の開いた左手には元々は球体であったと分かる四分の一ほどに欠けた金色の石が現れる。
「これって…実家にあった『時の宝珠』?」
「ええ、その通りです」
それをテーブルの上に置き、マリー・クリスは杖から右手を離した。
「人の世に流れて行った私の半身の欠片です」
その言葉に、トオルははっとしてマリー・クリスの古びた杖の先を見た。
そこには金色に輝く宝珠が嵌められている。
形は球体で、欠けてはいない。
しかし、美しい金色の輝きは全く同じだった。
「この『時の宝珠』は、貴女の『時の宝珠』と同じ物なんですか?」
その問い掛けに、マリー・クリスは杖に嵌っている『時の宝珠』を外し、トオルの目の前に差し出す。
それは、半分に割れていた。
少女は痛ましそうな表情で割れた部分を見詰めながら頷く。
「欠けた部分を下にしていただけで、貴方の一族が守って来てくれていた宝珠と同じ宝珠です」
そして、トオルの『時の宝珠』と彼女の『時の宝珠』を欠けている部分に合わせて見せた。
ふたつの宝珠はぴったりと合わさり、元々同じ宝珠が割れて別れたのだと言う事を示す。
「その宝珠って、なんでそんな割れ方をしたの? 残りは?」
「ちょっっ坂上君!」
「むごっ!」
無神経にも思えるクウヤのその問い掛けに、トオルは慌ててクウヤの口を押さえた。
そんな2人の様子にマリー・クリスは苦笑しつつ、二つに分かれた『時の宝珠』をテーブルの上に置いた。
「見ての通り、私の手元にある『時の宝珠』は半分に割れた物です。そしてトオルの手元にある『時の宝珠』は四分の一に。クウヤは残りの四分の一に割れた『時の宝珠』がどこに行ったのか知りたいのですね?」
口を押さえられたまま、クウヤは頷いた。
そんなクウヤをトオルは睨み付ける。
「坂上君は関係ない事でしょ!」
「! がんごーががが…」
口を押さえられたまま怒鳴ろうとしたクウヤはその手を無理矢理引き剥がし、怒りに任せて怒鳴った。
「関係ない事ないだろ! オレだっていきなり知らない所に飛ばされたんだ、知る権利くらいはある!」
ぐっと言葉を詰まらせたトオルだったが、それでも何とか言い返す。
「キミを連れて来ちゃったのは、僕の次元転移能力のせいでしょ! 宝珠は関係ないよ!」
「宝珠を奉ってあるからその次元転移能力があるんだろ?!」
「そんなのどっちが先かなんて分からないよ!」
そんな2人の口論に苦笑しつつ、マリー・クリスは答えを提示した。
「『宝珠』は使い手を選びます。貴方の一族に代々次元を渡る力を持つ子らが生まれるのは、『時の宝珠』に愛される事によって、長年影響を受けているからです」
ほれ見た事か! と言わんばかりに胸を張るクウヤを、トオルは睨み付けた。
しかし、トオルが口を開く前にマリー・クリスは歌うように続ける。
「力のコントロールを覚えれば、貴方は今までの『時の子』等の中でも1、2を争うほどのになるでしょう」
そこで一度止め、マリー・クリスは少し迷った素振りを見せつつ続けた。
「それこそ、私の代わりになるほどに」
「…『時の賢者』様の代わり?」
「どういう事? まさか…代替わり?」
「話があるって言ってたのは…え? そういう事なんですか?」
パニックに陥ってあたふたする2人に、マリー・クリスは苦笑しながら首を横に振った。
「大丈夫、代替わりをする訳ではありませんよ。ただ、お願いがあって呼んだのです」
「お願い、ですか?」
「オレ達2人に?」
「ええ。貴方方お2人に」
ふんわりと柔らかく微笑む真青の長い髪と深紅の瞳の美少女に見惚れながら、2人の少年は自分達でも気付かぬ内に頷いていたのだった。