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離した手、繋いだ手

作者: 葉月
掲載日:2026/06/08

 この村には、とある言い伝えがあった。白い百合の花を見つけた者は、死者に会えるという――



 気がつくと、山の中にいた。見覚えがあるような、ないようなそんな場所だ。


 人はいるはずなのに、山の中はひどく静かだった。風が木々を揺らす音はする。葉の擦れる音も、遠くで虫が鳴く声も聞こえる。


 けれど——人の気配だけが、妙に薄い。足音も、話し声も、どこか現実味がなかった。



 何をしようとしていたんだっけ。



 思い出そうとしても、頭にモヤがかかっているようでうまくいかない。どうしてここにいるのかも、なかなか思い出せない。



 ——白い百合を、見つけなきゃ。



 ふいに浮かんだ言葉に、頭の中のモヤがすっと晴れる。


 そうだ。百合。あの花を見つければ、死者に会える。死んでしまった友人に。そこまで思い出して、ようやく歩き出した。


 歩きながら思い出す。友人に会いたい理由。彼女に謝りたい。あの時は、手を離してごめんねと。後悔が、胸の中に渦巻いている。



 山道を進むうちに、いくつもの人影を見かけた。みんな地面を見つめ、必死に百合を探しているようだった。目的は同じはずなのに、誰も周りを見ようとはしていない。



「あなた、百合は見つけられた?」



 不意に声をかけられ、顔を上げる。見知らぬ女性が、近くに立って私を見ていた。



「いえ、まだ……」


「私、全然見つけられないの」



 こちらを見ているはずなのに、何故だか視線が合わない。女性は私の返事を聞いていないかのように、話を続ける。



「ずっと探しているのに。あの人、もう私のこと忘れちゃったのかしら」


「あの――」


「あなたも」



 声が重なる。



「忘れられていないと良いわね」



 一瞬、目が合った気がした。しかし、それもすぐに逸らされる。



「じゃあ、私は向こうを探すわね」



 女性はそう言って、振り返ることもなく去って行った。呼び止めようと思ったが、声は空気にほどけて消えた。


 その女性は、大切な人に忘れられてしまったのだろうか。だから、会いに来てもらえないのだろうか。



 忘れられるという言葉が、胸の奥に深く沈んでいった。



 しばらく歩いていると、ふと周りの景色に目がいった。見覚えがあるような気がする。


 その感覚を頼りに道を進むと、少し開けた場所に来た。木々の隙間からは、淡い光が差し込んでいる。


 月明かりだ。



「ここ……」



 私は、この場所を知っている。ゆっくりと足を踏み入れると、胸の奥がかすかにざわついた。


 誰かの手を掴んでいた。必死に、離すまいと。でも、離してしまった。その先のことは、上手く思い出せない。


 周囲には何もない。しかし視線を落とすと、白い花が一輪咲いていた。



 ――百合だ。



 月の光を受けて、淡く光っている。ただ反射しているだけのはずなのに、妙に目を引いた。



「……見つけた」



 そう呟いた瞬間、背後に人の気配を感じた。



「やっと来てくれたんだね」



 その声に、胸の奥が静かに波打つ。それは会いたかった人の声で。振り返ると、そこには記憶の中より少し大人びた友人が立っていた。



「……久しぶり」



 口をついて出たのはそんなありきたりな言葉。謝りたかったはずなのに、どう切り出せば良いか分からなかった。


 友人は小さく頷き、足元の百合に目を向ける。彼女もまた、言葉を探しているようだった。



「ちゃんと咲いて良かった」


「え?」



 聞き返しても、彼女はそれ以上何も言わない。静かな沈黙が落ちる。



「……ここ、覚えてる?」



 先に口を開いたのは、彼女だった。



「あの日、この場所であったこと」



 胸の奥が、ざわつく。必死に手を掴む彼女の顔が浮かんだ。私を呼ぶ声。ほどける手。



「……覚えてる」



 そう答えると、彼女はうつむいた。恨み言を言われるかもしれない。罵られるかもしれない。


 でも、震える声で紡がれた言葉は、全く違うものだった。



「……ごめんね」



 どうして。何で彼女が謝るのか。顔を上げた彼女は今にも泣きだしそうな顔をしていた。その顔が、最後に見た彼女の顔と重なる。



「私、ずっと後悔してた。あの日、あなたの手を離したこと」



 ちがう。手を離したのは私だ。


 あの日、彼女が崖から落ちそうになって。



 その時、私の脳裏にあの日の出来事が浮かぶ。繋がれた手。二人の手の先にあった、彼女の必死な顔。このままでは、二人とも落ちると分かっていた。



 ――だから、振りほどいたんだ。



 指先から力が抜ける。感じる浮遊感。そのまま、重力に任せて落ちる体。泣きそうな彼女の顔が遠ざかっていく。必死に私のこと名を呼ぶ声が反響した。


 そう、落ちたのは。



「……私だ」



 やっと、記憶がつながった気がした。彼女を助けたかった。だから手を離した。そう、その選択に後悔はない。



「あなたが無事で、よかった」



 そう言うと、彼女は本当に泣き出した。



「助けてくれて、ありがとう」



 風が吹く。百合の花が揺れて、白い花弁を散らした。気が付けば、一輪だったはずのその花は、辺り一面を白く染め上げていた。



「ねえ、百合って知ってる?」



 涙をぬぐいながら、彼女は足元の白い花を見つめながら静かに言う。



「死んだ人に、贈る花なんだって」



 ――ああ、そうか。


 胸の奥に、すとんと落ちる。



「だから、ここにあったんだ」



 自分のために。



「毎年、来てたの。ちゃんと、咲くようにって」


「そっか」



 私が、落ちた場所。そこに咲いた白い花は、月の光を受けて、静かに揺れていた。



「……きれいだね」



 そういうと、彼女は小さく笑った。



「ありがとう、私を導いてくれて」



 彼女が私の手を取る。その手はとても温かくて、そのまま強く握り返した。


 風が吹いて、百合の強いにおいが辺りに香った。その中に、自分の輪郭が溶けていく。少しずつ、少しずつ。



「……もう、行くんだね」


「うん、会えて良かった」


「私も」



 手を握る力が強くなる。今度は、離さない。たとえ、行く先が違っても。



「さようなら」



 彼女は、小さくうなずいた。視界が、白い花弁で覆われていく。それでも、手の感触だけは、最後まで残っていた。



 風が吹く。白い花弁が、静かに舞った。



 その村には、とある言い伝えがあった。命日に白い百合の花を手向けると、死者がそれを辿って会いに来てくれるという。


 ――本当かどうかは、誰も知らない。

叙述トリックに挑戦してみました。

やっぱり難しいですね。

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