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女神のティア  作者: 詠城カンナ
第一章 王女と王子
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(8)


 喉がからからだ、と感じたのは、彼が自分の目の前まで迫っていると気がついたときだった。

 琥珀色の瞳をじっとこちらに向け、少年は触れるか触れないかの、ぎりぎりの距離を保っている。アジェは動けなくなって、しばし、なにも考えることができぬまま、時が過ぎるのをやり過ごしていた。


「……な、なに……?」

 ようやっと出た声は掠れていた。おもしろいくらい自分が揺らいでいるのがわかる。

 エダはくいとアジェの顎に手をかけて、彼女のコバルトブルーの瞳をじぃっと見つめる。

「そんなに動じちゃってさ。さっきとはえらいちがいだね」

 クスクスと声をもらす少年。ささやかな怒りが瞳の奥にちらついている。

 しかし、すぐにそれは拗ねた表情によって押し隠された。

「僕をだれだと思っているの、おねーさん?」

 手をアジェの頬にかけ、撫でる少年は年下とは思えないほど大人びた、高慢な表情をする。

 彼のくるくる変わる表情や感情の起伏に、アジェはすこしばかり憧れを抱いたのかもしれない。胸の奥が、きゅっと音をたてた気がした。


 そう、アジェには秘密があった――国中で、最強の力を誇ると謳われるアリス王女が、自分であったという秘密が。


 それがいともたやすく、出会って数日しか経っていない少年にバレるなどとだれが考えただろう? 無論、バレるような行為はしていない……いや、したかもしれない。けれどあれは一度だけ。

 アジェは頭に浮かんだ、はじめてエダと出会ったときのこと――彼の囲われていた檻や拘束具を一瞬で破壊してしまったこと――を忘却の彼方へと無理矢理押しやり、頭をふる。

 あの行為を目の当たりにすれば、彼女がただの人間ではないことくらい察しがつくというものだ。だが、相手はあの伝説とまで言われた孤独の獣王・孤獣なのだ。気にすることはないだろうと勝手に思い込み、完璧に油断してしまっていた。

 苦虫を噛み潰したような表情で、アジェはおどけた少年に目をとめる。

 バレてしまっては仕方がない。

「……わたしを、どうにかするつもりか?」

 慎重に、言葉を紡ぐ。エダは果たして、自分が『アリス王女』だとすれば――いや、もうすでに自分は『アリス王女』を辞めたのだが――なにかがかわるのか?

 脅しだろうか。もしや、ロナウドに迷惑がかかるようなことは起きないだろうか。

 しかし、そんな考えは杞憂に終わった。エダの一言によって。

「僕が知りたいのは、どうしてアジェが旅に出たのかってこと。それから、どうしてこの女の子が『アリス王女』の代わりになっているのかっていうこと。それが知りたいな。あとはどうでもいいよ」


 なるほど、孤獣が好奇心旺盛という噂は事実らしかった。





+ + +


「……まず、なにから話せばいいのか」

 とりあえずと木の元へ腰をおろし、アジェは口を切った。傍らにはアリス王女――もとい、ラシルという名の少女が寝息を立てている。向かえに座ったエダは、そんな少女には目もくれず、ただコバルトブルーの瞳をじっと見つめていた。

「全部知りたい。アジェのことは、なんでも知りたい」

 ああ、でも、と彼はつづける。

「とりあえず、僕が推測したことを話そうか? そのほうが、アジェも説明がすくなくて便利でしょう?」

 にっこりと笑う少年は、年相応に無邪気だ。それなのに、彼の笑顔にはどこか逆らえない、ただの子供とは思えない悠然とした雰囲気がある。

 アジェは承諾の意味も込め頷いたが、ともにため息のようなものが出てしまったことは仕方がないであろう。



「じゃあ、言うね。まず、アリス王女は退屈でした――」

「は?」

 いきなり間抜けな声が出た。自信満々に語るエダは、「邪魔しないで」と彼女を諌め、つづける。

「退屈で退屈で仕方のなかったアリス王女は、ある日気づきました。このままでは、自分の意見もなにもないままにロナウド王子と結婚になる、と」

 ロナウド、とエダの口からその名が出たとき、アジェの身体が一瞬こわばった。エダは無視して再度口をひらく。

「そんなとき、ひとりの女の子がいました。彼女はアリス王女のお付きの侍女でした。侍女は、秘かに思っていたのです――自分のほうがうつくしいと、ロナウド王子に寵愛されるべきだと」

 物語を語るような口調でつづけるエダの目は、どこか冷ややかだ。笑っているのに、目がすわっている。

 アジェはなぜだかわからぬまま、彼の話を聞いていた。

「アリス王女は名案だと思いました。だから、『力』の一部を侍女に与え、アリス王女とさせたのです。自分は晴れて自由の身を手に入れました、とさ」

 めでたし、めでたし、と語るエダ。しかし、唐突にアジェは気づいた――ああ、この男はすべて知っているのだと。

 いや、それには語弊があるかもしれない。知っているというより、気づいたのだ。悟ったのだ。

 わざとらしい推測を連ね、アジェに否定させる――どこまでも、嘘はつけぬだろう。

「わかった。話そう」

 いったん目をとじ、アジェは応じた。嘘をついてごまかす気は、なかった。



 エダが推測だと言って語った内容は、根本的には当たっているのかもしれない。結局ラシルは王子の寵愛を受けたかったわけだし、アジェも自由を手に入れたのだ。

 ただちがうとすれば、アジェには『退屈だ』という概念がなかったことだ。それに、ロナウドとの結婚に不満はなかったし、自分がだれとどうなろうが構わなかった。

 アリス王女――そう呼ばれて生きてきた。物心ついたときには、すでに母や父という存在はいなかったように思う。ただ、王女、王女と周囲から言われ、ぼんやりと生きてきたように思う。心には、なにもなかった。


 たったひとつ、響いた言葉をのぞいては。


「わたしが、旅に出ようと思ったのは……ある事件がキッカケだった」

 アジェは語り出す。遠い過去のような思い出を、頭の引き出しから探った。

「きっかけ?」

「そう。けれど、もうずっと幼いころから気づいていたんだけれど――」

 そこでアジェは言葉を切る。物思いに耽ったわけではない。ぴりぴりと肌を刺す気配を感じたからだ。

 エダはもっと前より気づいていたのだろう。驚きもあせりもなく、飄々としている。

 そして、声があがった。

「ハイハイ、ストープっ」

 ひらひらと手を振りながら木陰から現れたのは、茶色っぽい黒髪の男だ。にこやかな笑みを絶やさず浮かべて口をひらく。

「お取り込み中に悪いんだけど、さっさと獲物ちゃんを渡してもらうぜ」

 言うなり、男はいきなり笑みを柔らかいものから鋭いものに変え、スルリと腰の剣を引き抜いた。

 アジェは警戒しながら構える。『獲物』とは、どうやらラシルのことらしい。今は彼女が『アリス王女』だ。彼女を狙うなら、男ひとりで襲うはずはないだろう。警戒の色を強めたアジェであったが、エダはニタリと場違いな笑みを浮かべた。

「いいねぇ。今日はとっても面白くなりそう……半獣人なんて、めっずらしぃ~」

 歌うような少年の声は、その場によく響いた。

 瞬間、剣を構え余裕そうにしていた男の顔がさっと青ざめる。と同時に、叢からもうひとつの影がうごめいた。

 エダはニヤリと口角をあげると、舌舐めずりをして目を細める。

「本当、アジェのそばは退屈しなくていいよ」





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