(7)
「彼女はね、自分の殻に閉じこもってしまっているんだよ」
ニコニコと、さも楽しそうに声を弾ませながら少年は言った。
「きっと己の醜さを知るのが怖くて仕方がなかったんだろうね」
クスクスと声をもらすエダに、アジェは眉間にシワを寄せた。
わからない。目の前の少年を信用していいのかわからない。けれどアジェには、彼を疑うということ事態がまちがっているのだと思えた。それがなぜなのかも、わからないが。
エダはんーっと唸り、やがてぱっちりとした眼をかすかに光らせた。
「あれ? わかんないかなぁ~。おねーさんさ、まだ僕に嘘をつく気?」
なんだ、それは――そう問おうとひらいた口は、すぐに少年のそれでふさがれる。絡めとるように彼女の口内を蹂躙した少年は、妖艶な笑みを浮かべてやっとアジェを解放した。
いきなりのことに頭はついていかない。はじめてではない行為だったが、以前は生気を吸うためのものだった。しかし、今のそれはあきらかにちがう。言うなれば、恋人たちの交わすそれのような、熱情的な、激しさと甘美さを備えていた。
思い至った途端、アジェは合点のいかない不思議な感覚に襲われる。怒りでも呆れでもない。恥ずかしいだとか、そういう感情の起伏ではない。ただ、彼女が抱くのは、違和感に似た、名前のつかないものだった。
それがわかったのだろうか。しばしアジェの変化をうかがうようにしていたエダであったが、口の端を引き上げる。琥珀色の瞳を軽く細めるものの、その顔に本当の笑みはなかった。
「……気に入らない」
にっこりと口角をあげながらも、少年の目にはあきらかな嫉妬が燃えていた。
「僕以外で感情をあらわにするアジェが、すごく気に食わない。僕より特別なものがあるアジェがすごく気に食わない。僕のキスに戸惑わないアジェが、すごく気に入らない」
普段から饒舌である少年であったが、しかし。
まだ付き合いも浅いし、なにより彼は獣人だ。よくわからないものなのだな、とアジェは思い、さてどうしたものかと首を捻る。
倒れて動かないままのアリス王女も心配だし、これからのことも考えねばならないのに。とにかく、エダの機嫌をなおさなければと、アジェはようやっと口をひらいた。
「……戸惑っては、いた」
「嘘」
考えて言った言葉だ。そう、自分は戸惑っていたはずだ。されどそれもあっさりとエダには否定される。
「嘘ではない。驚いた。わけがわからなかった」
「でも、アジェは動揺しなかった。ちっともその気にならなかった」
じっと、怖いほど真面目にこちらを見つめたまま少年は言う。
アジェはバツが悪そうに眉間にしわを寄せる。そんなことを言われたとて、仕方がないのだ。自分にはどうしようもないのだ。だって、わからないんだから。
しばし思案するように押し黙っている彼女を見つめていたが、少年は大げさにため息をつくと、もういいよ、と肩をすくめた。
「おねーさんにはまだ無理かぁ。ま、いいや」
頭の後ろで腕を組むと、少年は「嫉妬も執着も久しぶりだしな」などとつぶやきながら、ニンマリと笑む。そしてやはり訝しげにするアジェには構わず、さっさと説明のつづきをしようと向き直るのだった。
「アジェ、もう嘘はなしにしよう?」
少年の声は響く。彼の琥珀色に見つめられ、アジェは逃れられないな、と感じた。
「ねぇ――本当のアリス王女」
+ + +
時をすこしばかり遡ろう。
そのころ、人が歩くために造られた舗装された道を進んでいたはずの彼は、いつの間にか行く先々が伸び放題な草木で覆われているのにようやっと気づき、にわかに顔をしかめる。それでも無理やり進んでいくと、ついには自身の背丈にまで草が伸びていて道をふさいでいるものだから、彼の苛立ちは増すばかり。
「なんでっ、こんなにっ、歩きづらいんだっ!」
歯ぎしりしながらも、ぶんぶん腕を振って進もうとする。道は舗装されていたはずではないのか? なぜこんなにも歩きにくいのか……まるで獣道ではないか。
もともと怒りの沸点が低い彼は、とうとう先ほどから黙って後ろをついてくる彼女を振り返った。
「なあ、カトリーナ。俺たち、迷ったんじゃないのか?」
息も荒く言い放つ男に、カトリーナはちょっとだけ眉をひそめたが、すぐに口をひらく。
「驚くことに、迷ってはいないんだけれどね」
「じゃあ、なんでこんなに荒れているんだ。これじゃ、道なんて呼べないじゃないか」
「そりゃあ、道じゃないもの」
ぽかんと口をあけ、ディオンは肩をすくめた彼女をまじまじと見つめる。
なんだ、それは。
「道をね、すすすーっと逸れていったのよ。まっすぐ歩けばいいだけだったのに」
指を立てて、つつ、と動かしながらカトリーナは言う。舗装された道を歩くだけ、そんなこともできないのか、と。
途端、ディオンはかっとなった。それもそうだろう。彼女は彼が道を違えたにも関わらず、それを面白おかしくながめながらついてきたのだ。
だが、とカトリーナは口をひらく。
「本当にびっくりした。だって、道を逸れたのに、行きつく場所にちゃんと向かっているんだから」
馬鹿みたいに天才ね、と再度肩をすくめる彼女は、はたして、褒めているのだろうか、けなしているのだろうか……あきらかに後者だということは、言うまでもない。
ディオンはしばし眉根を寄せる。そうして不意に、なにか解したのか、ひとつため息をこぼして歩みを再開させた。
これは彼らにしかわからない変化なのだ――カトリーナがカリカリしていることも、その様子と理由に気づいたディオンが知らぬふりをしたことも、そしてその彼のやさしさをカトリーナ自身わかっていることも、だから先ほどまでとは幾分雰囲気がちがうということも。
カトリーナは歩きながら赤毛を結い直し、気合いを入れようと試みる。足手まといにはなりたくない。せめて、目の前をゆく相棒が、不必要だと思わないくらいにはなりたいのだ。捨てられたくはないのだ。
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、ふいにディオンは足をとめた。ハッとして、彼女も耳をそばだてる。
「――西か?」
あきらかに先ほどまでとはちがい、表情に真剣な光が帯びていた。ディオンは問に頷くカトリーナに、先を促した。
「……西に五十歩、北に三十歩の位置……気配は――三人」
目をとじ、探るように、ひとつひとつ言葉を落としていくカトリーナ。辺りはしんと静まりかえり、鳥のささやきさえ聴こえはしない。そんななか、ディオンはさらに言葉を紡ぐ彼女をじっと見つめている。
「……ひとりは、意識がおぼろ……たぶん、獲物」
「厄介な『ヤツ』はいるか?」
カトリーナは目をあける。風がひとつ、ざわめいた。
「――否、みんな人間」
一瞬見えた彼女の瞳は、その髪色と同じ、燃えるような赤だった。ディオンは表情を和らげ、彼女の細い手首をつかむ。
「行くぞ!」
ぐいと引っ張られ、驚きに見開くカトリーナ。けれどその口元は緩やかであった。
ご愛読&お気に入り登録、誠にありがとうございます!
不定期更新なのに読んでくださってくれる方がいて、もう感動してます。
ありがとうございます!
読者さまもじわじわと増えていたり減っていたり、うれしいです(笑
すこしでもお楽しみいただければな、と思います。
さて、なかなか進みません……申し訳ない!
獣人なのに獣人っぽくない!つまり、耳とか!笑
もうすこししたら、ちゃんと出します頑張ります!←
これからも時間潰しにでも目を通していただければ幸いです。