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女神のティア  作者: 詠城カンナ
第一章 王女と王子
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(6)



 息が荒い。久しぶりに全力疾走をした。まったく自分の主は人使い――もとい獣人使いが荒いと、エダはげんなりして思う。

「ちょ、もう、休もうよぉ!」

 限界に声をあげれば、こちらは汗もかかずに振り向く彼女が、怪訝そうな顔をした。

 どうして獣人の王たる者のくせに、そんなに体力がないんだ――彼女の瞳が暗にそう言っているのを解し、エダはぷくりと頬を膨らませる。

 ――僕は、アジェみたいに『力の枯渇』を考えないわけじゃないんだから……そう思うものの、少年はなんとか口から出かかる言葉を飲み込む。代わりに大きなため息とともに肩をすくめ、くいと顎で示す。

「彼女だって、疲れてる」

 きっぱりとそう言えば、アジェは少年の示す先にいる、自分が半ば強引に手を引いて走らせていた少女に目をやった。彼女は今にも倒れそうなほどよろよろで、息も絶え絶えだ。

 しまった、と口を動かしうなだれるアジェに、今度こそ、エダは盛大なため息をこぼすのだった。




 ひとまず休もうという流れになった。アジェの先導で色街を抜けて森のなかを走っていた彼らは、そのまま木の幹に身体を預けて腰を下ろす。

 ひどく呼吸を乱していた『彼女』――アリス王女も、今は落ち着きを取り戻し、その瞳にわずかな戸惑いと不安をひめながらも、背筋をぴんと伸ばして座る様は可憐ながらも実に威厳があった。

 エダはふと、疑惑が確信に変わったのを悟る。

 アリス王女は見ず知らずの人間に連れてこられたにも関わらず、逃げることはおろか取り乱す様子もない。むしろ、フードを脱いだ美青年のようなアジェをじっと見つめ、言葉を待っているようだ。

 つまり、彼女たちは顔見知りらしい。

 アジェは鋭いともとれる王女の視線を感じながらも、うろたえることはしない。だが、代わりに自身の指先を見つめ、なにかを考え込んでいるようだった。

 エダはため息を飲み込む。たえられない。

 もとより堅苦しい雰囲気は苦手なのだ。アジェがなにか話し出すまでしばし時間がかかるだろうと悟った彼は、それならばと愛くるしい笑顔を張り付け毅然とする王女に向かって口をひらいた。

「どーもどーも、はじめまして! 僕の名前はエダっていいます」

 手を差し出し握手を求めてみる。軽くウインクしたのはご愛敬だ。

 アリス王女は一瞬その丸い目をぱちぱちまたたかせたが、やがてどこか警戒の色を浮かべると、冷ややかに言った。

「あなた、そんなに簡単にわたくしに名前を教えていいの?」

 きょとんとするエダ。わけがわからない。それに、せっかく笑顔を向けたのに。

 少女はさらに冷たい声でつづける。

「わたくしはアリス王女よ。わたくしには力があるのよ。アリス王女には、名前を使って人を操る力があるのよ」

 そんなことも知らないの、とあきらかに自分をこども扱いする彼女に、エダは心なしかぴくりと眉根が寄るのを感じた。

 しかし、まだ堪えられる。

「へぇ、そう」

「信じていないのね」

 エダが肩をすくめて愛想もなく言うと、アリス王女はやや機嫌を損ねたらしい。

「わたくしには力があるの。絶対的な力が」

 少女の瞳がランと光る。

「あなたなんて簡単に殺せちゃう。わたくしには力があるから。名前だって知ったんだから。みんなみんな、消えちゃえばいいのよ――」

 ぐっと結ばれた少女の唇。エダは堪えきれないとばかりに笑った。

 びっくりしたのだろう。急に笑い出した少年に、アリス王女は目を見開く。

「あーあ。本当におもしろいね。まぁいいや。もうすこし君の茶番劇に付き合ってあげる」

 エダはくすりと笑む。そのまま琥珀色の瞳を妖しく光らせて少女の顔を見た。

「で、君の本当の名前は?」

「なにを――」

「たしかに君は今、アリス王女らしいね。力もそれなりにあるみたいだし?」

 クスクスと笑う少年。

「でもさ、知ってる? アリス王女って、力を得る代わりになにか大事なものを失っちゃうんだって」

 ――君はなにをなくしたの?

 少年の笑みは艶やかだ。目を奪われるほどうつくしく、愛らしく、そして恐ろしい。

 その恐ろしさはまるで芸術品のようだ。うつくしいなかに漂う不気味さ、神秘にひそむ触れてはならないその恐ろしいうつくしさ――。

 少女は思わず、生唾を飲み込んだ。

「別にね、言いたくないならいいんだよ? たださ、僕、わかっちゃったから」

 にっこりと深くほほえむ彼はやはり愛らしい。

 それなのに。

「ねぇ、力を奪って、その地位について、どんな気分なの……偽物のアリス王女?」




 追っ手がかかるかもしれない。いや、かかるだろう。

 そう思い、人目を引きたくなくて森へ逃げ込んだ。簡単には捕まるまいと、エダを信じて獣の群がると言われる道を走った。そしてそれは成功したらしい。

 獣道を走って進んできたにも関わらず、一行は獰猛な野獣になど会わなかったのだから。

 さすが、獣人のなかの王――孤獣。

 エダの気配を感じてか、獣は隠れてしまったように出てはこない。

 そんな獣人であるエダも疲れはするらしい。彼に諭され、息も絶え絶えな『彼女』に気づいて休憩をとり、今は腰をおろしているところだ。

 なにやらエダが得意の笑みで『彼女』に話しかけたらしい。先程まで痛いほど感じていた視線が外され、アジェはほっと息をつく。

 指先をくるくる回しながら、じっと見つめて考える。これから、どうしよう。なぜ、『彼女』は逃げ出したのか。

 そうして思うのだ――ああ、もしかしてまた自分のせいなのか、と。

 どうしたらいいのだろう。きっと今頃、『彼』はひどく心配しているのだろう。あれほど『彼』は『彼女』を愛していたのだから。

 せっかく幸せになれると思ったのに。それを願っていたのに。

 なぜ逃げ出したのだ。なぜ『彼』から離れたのか。

 ああ、自分はまちがったことをしてしまったのか。人を不幸にしてしまう、自分は。

 とりあえず彼女の真意を聞かなければ――。

「……エダ?」

 ふいに顔をあげる。『彼女』に話を聞くためにそちらに顔を向けたアジェは、しばし硬直した。

「――なっ、なにをしているこの畜生!」

「えっ? は? なに、アジェ、言葉遣い汚いよ? 落ち着いて、ちょっと待とうよ!」

「待てるか馬鹿者! そこに直れ!」

 アジェは目を見開き、怒りに顔を真っ赤にさせてわなわなと震える。そのまま勢いよく腰から剣を取り出し、悪党抹殺という雰囲気を込めて柄を握りしめた。

 エダはあわてる。だが、アジェの怒りは収まらない。

 それもそのはず、アジェが見たのは、愛らしい顔を妖艶に歪め、可憐な乙女にのしかかる少年の姿だったのだから。

 一瞬言葉を失ったものの、我にかえった彼女はすぐさま立ち上がり怒鳴ったというわけである。

 押し倒されていた少女は、エダがよけたにも関わらず身動きしない。それがさらにアジェの不安と怒りを煽った。

 彼女の豹変ぶりに驚きあわてたエダは、しかし次第に腹が立ってきた。

 気に食わない。自分以外に興味を示す彼女も、自分以外のために感情を剥き出しにする彼女も。

 すっと目を細め、少年は愛らしさを隠し、変わりにずっと大人びた、それでもやはりうつくしい顔でアジェを見やった。

「落ち着け。俺は危害を加えてはいない」

 いや、実際は危害を加える気は満々だったのだ。『彼女』はたしかに美人とされる部類の娘であったが、エダにはその容姿など魅力には感じられない。なにしろ、彼自身がだれもが見とれるほどうつくしく、そして彼にとっては今目の前にいる、一見青年にも見える彼女こそが魅力的だと思える対象なのだから。

 少年の冷めた表情と声に、幾分冷静さを取り戻したのだろう。アジェは肩に込めていた力を抜き、眉間に寄っていたしわをそのままに口をひらく。

「……では、なにを……?」

「言っとくけどさ、僕は今、おねーさんのモノなんだよ?」

 その意味わかる? と小首をこてんと傾けて問う少年は、先ほどの冷たい雰囲気など皆無だった。つまり、いつものエダだ。

 問われた意味がいまいちわからず、さらに眉間にしわを集める彼女に苦笑し、エダはそっと近寄ってアジェの眉間に触れた。

「……なにをしている」

「んー、しわを伸ばそうと思って」

 ぐっ、ぐ、と軽く指に力を込めているエダは、そう言うとからりと笑う。あまりの邪気のなさに、アジェは毒気を抜かれてため息をついた。

 やがて眉間のしわ伸ばしに満足したのか、ふいにエダの指が名残惜しそうに離れた。

「……悪かった。勘違いをした」

「ん、いいよ」

 あながち勘違いでもないのだが。エダはそんな言葉を飲み込むと、いまだ寝転がって動かない少女へ目を向けた。

 ブロンドの細くふんわりとした髪が、広がって垂れている。うつくしい。うつくしく、けれどエダには汚く残酷に見えた。その髪は蜘蛛の糸で、その中心にいる彼女は獲物を狙う醜いイキモノ……。狙われているのは、それこそ本当にきれいなコバルトブルーの瞳にダークグレーの髪を持つ中世的な雰囲気の女性。

 はじめて『アリス王女』を見たとき、人形のようだと思った。人形のように愛らしく、だれもが目を惹かれるのだろう。人間ならば。

 そして『アジェ』もまた人形のようだ、とエダは思う。『アリス王女』とはまたちがった『人形』だけれども。

 一方はだれからも愛でられるような、かわいいかわいい残酷な人形。もう一方は、多くから畏れ疎まれるような、無表情で愛嬌のない、冷たい瞳の人形。

 エダが好むのは、もちろん後者だ。そして、その『うつくしさ』は所詮、ただの人間には――いや、ただのイキモノには理解できないのだろう。

 ひとりほくそ笑むと、少年はちょこんと首を傾げてから、アリス王女の状態について説明するために、うつくしい彼女に向かって口をひらいた。






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