(4)
空は赤くなりはじめていた。色街が徐々に活気づく頃合いだ。
エダは物陰に身をひそめて『彼女』を待つアジェの後ろ姿をぼんやりながめながら、ふと物思いに耽っていた。そう、あれは王家直属のハンターに捕らえられたときのこと。
お世辞にもハンサムとはいえない、太った王だった。欲望によって曲がったような鼻が特徴的で、エダは捕われの身であるにも関わらず、つい笑ってしまった。
王は捕らえた獣人をしげしげと見やると満足そうな顔で家来に告げた。「これであやつの分は埋まる。我が国ももうすこし生きながらえることができる」と。
エダはすぐに、なにかあると思った。だからしばらく観察することにした。
王はさらにつづける。「愚息はすぐに殺してしまえ。あの女も殺してしまえ」そうしてあわてて、欲望にまみれた笑顔で家来たちに命じたのだ。「だが、力は殺すな。生きて捕まえろ。そうして余の后に迎えてやろう」と。
エダは首を傾げる。獣人殺しの手錠が気持ち悪くて仕方がなかったが、それよりも、この人間が自分を捕らえてどうするつもりなのか知りたかった。
王はふいに檻に入った獣人を見ると、ニヤニヤ笑いを強めてつづける。「そうだ。后に迎えたあとで、あの女とこの化け物を交配させてやろう。きっと産まれてくる赤子は、凄まじい力を秘めているにちがいない……」彼は汚らしい指を獣人の頬にのばしてニタニタと笑みを広げる。「そうすれば用済みだ。女も獣も邪魔なら殺せばいい。よし、そうしよう……」
ハッと息をはき、エダは目をとじて肩をすくめた。所詮、人間の考えることなんてこんなものだ。力を持つ獣人を従えようとするだけなのだ。
馬鹿らしい。それに、苛々する。
手首にひしめく重たい手錠にチラと目を走らせ、エダは再度ため息をこぼした。
――邪魔だ。
そうして、呪いをかけはじめる。欲に溺れた人間に、最大級の嫌がらせをしてやるのだ。死をもって、自分を捕らえた罪を償わせてやるのだ。
このとき獣人の少年は、囚われてからはじめて深い笑みを見せた。
「エダ」
ふいに名を呼ばれ、少年の意識は覚醒する。ずいぶん呆けていたようだ。
「なに? お目当ての人?」
途端にぱあっと顔を輝かせ、エダはアジェの背中に飛びつく。その勢いにやや前のめりになったものの、彼女は踏ん張って身体が傾くのを防いだ。
「ム。アジェってば、力あるんだね。やんなっちゃう」
押し倒そうとしていた少年は不敵ともとれる笑みを浮かべていたのだが、今のアジェには構ってなどいられなかった。あとでたっぷり叱ってやろうと心に決め、されど今はそれどころではないのだと少年に向き直る。
「あの娘を捕まえてこい」
「どーれどれ? あ、あのかわいい子?」
アジェの視線を追うまでもなく、エダには『彼女』がわかった。
ふんわりした淡いピンクの、この場にはそぐわない上品なドレスを身に纏った少女がいた。ブロンドのゆるくウェーブのかかった髪は腰まで流され、丸い大きな瞳はまだ幼さが残る。けれど白い肌と赤い唇が印象的で、この色街では――否、城下ではどこだって場違いな格好なのだが――いやでも目立ってしまう。
エダは任せなさいとばかりに、軽くウィンクした。
「気をつけろ」
「ん、もちろん!」
走り出した後ろから、やや気にかけたような声を聞き、エダはちょっぴり優越感を覚えた。彼女が心なしか心配してくれるのは、身を案じてであろうか? それとも単に、少年という存在自体が――というより彼の性格が――心配なのだろうか? どちらにしろ、エダは前者だろうとしか思わなかったのだが。
エダは足をゆるめ、しかし軽快に進む。
『彼女』は目立つ。あきらかに周りの人たちは、彼女を色街特有の目で見ている。陰で数人の男がなにやらニヤニヤしながら話しており、今すぐにでも『彼女』に声をかけそうだ。
そして案の定、エダには汚らしいとしか言いようのない、欲望を隠そうともしない笑みを浮かべた男たちが数人、『彼女』を囲った。
腕をつかまれパニックに陥ったのだろう。『彼女』は「やめてください!」や「わたしは人を捜しているんです」や「気安く触らないで!」などと、余計に男たちを煽るような声をあげ、さらには目にたっぷりと涙を浮かべた。
「大丈夫、怖くないよ?」
「そうそう、気持ちイイだけなんだからさ」
ゲラゲラと笑いながら、男たちは連なる店のどこかへ『彼女』を引き入れようとする。ここは色街なのだから、そこいらじゅうに並ぶ店はすべてそういった関係のところだ。場所に困るはずもない。
『彼女』の瞳が恐怖に震える――エダはここぞとばかりに舌なめずりし、颯爽と『彼女』の前へ飛び出した。
「待て待ておまえたち! か弱いいたいけな乙女になにをする!」
手を振り上げ、娘を庇うようにそう言えば、すぐに男たちは反応した。
「なんだおまえは?」
「ガキは引っ込んでろ!」
そんな罵倒を浴びながらも、少年は意に解さないように、柔く笑って彼女を和ませる。男たちに捕らわれていた腕を開放し、安心させるようににっこりすれば、たちまち彼女は顔を赤らめた。
「ふざけるな!」
逆上した男たちは鋭い拳を幾度となく少年へ撃ちこむ――がしかし、彼はひらりひらりとかわしていき、ついには可愛い顔からひとにらみを投げつければ……たちまち男たちは震えあがり、「おぼえてろよ!」と泣きながら退散するのであった……。
「――うーん、完璧!」
脳内で繰り広げられる妄想にゴクンと唾を呑み込み、エダは満足気に目を細める。そしていざゆかんと、涙をこぼす少女の前へと出て口をひらいた。
「待て! 貴様ら、そこを動くな」
エダは手を振り上げて口をひらいたまま、その口から出ることのなくなった言葉を呑み込む。少女を守るように出て行った姿はむなしく、どこからか冷たい風が吹いてきそうだった。
いざ! と勢いもよく少女のもとへ出たエダであったが、考えたせっかくの台詞が言われる前に、茶色っぽい黒髪の男が現れたのだ。彼は唖然とするエダをよそに、「待て! 貴様ら、そこを動くな」と言うや否や、男たちの前に立ちはだかって、鋭く大きな剣をかざしていた。
「この方に触れた罪は重いぞ! だいたい、女の子はやさしくが基本だろうが!」
「なんだおまえは?」
「邪魔するな!」
エダの台詞を悉く奪っただけでは飽き足らず、どうやら彼は少女を護る騎士役までかっさらうつもりらしい。顔を真っ赤にして、手に手にナイフやらの武器を持った男たちと戦う憎き男の姿をながめながら、エダは肩をすくめて両手をあげた。
「オーケー。それじゃフェアにいこうよ」
だれも聞いちゃいない。ナイトは今、男たちを懲らしめる真っ最中なのだから。
けれどそんなの、エダには関係なかった。
「僕はまだ子供だし? いいよ、別に。剣でカキーンなんて、カッコいいことできないし。うん、でもいいよ、別に。アンタはそのむさくるしい男たち相手に無駄な汗を流せばいいんだ。そして僕はこの可愛らしい女の子を慰める係りに徹しようじゃないか!」
言うや否や、くるりと少女へ振りかえり、安心するようなあまい笑みを顔にはりつける――が。
「なにをブツクサ言っている。来い!」
頭をガシリと捕えられ、エダは笑顔もむなしく、『彼女』とともにアジェに連れられ、騒がしくなった色街を後にした。
「さあ、もう大丈夫ですよ、お嬢さ――ん?」
男たちをやっつけ、緑の瞳を細め、キラリと光る白い歯を見せて笑い振り向けば……
「バカ」
なんとも冷ややかな目をした女がいた。先ほどの、ブロンド色の髪をした上品な娘ではない。彼女は赤みがかった髪をひとつに結い、クリーム色の軽装に身を包んでいる。肌は色白で、薄い唇はぎゅっとひき結ばれていた。
騒がしくなった色街。こんなところで騒動を起こすとは、まったくバカであると思いながら、彼女は野次馬どもを一瞥し、退散させる。それにしても、目の前の男にはため息しか出ないから驚きだ。
「ディオン。さっさと支度して」
ナイト役に徹していた男をディオンと呼び、ふぅとため息をこぼす。そのままこげ茶の瞳に軽蔑を込めて男に投げかける彼女の名は、カトリーナ。
せっかく助けようとした娘がいないことに愕然としていたディオンも、彼女の一言でやれやれと舌うちまじりに立ち上がり、ぐんと伸びをした。
「獲物に逃げられちゃ、意味ないよ。バーカ」
「うるさいな! って、え? あのかわいい娘、獲物だったのか?」
「……知らなかったの?」
さらにあきれ果てるカトリーナ。まったく、相棒は惚れやすいバカである。
めずらしく、カトリーナは柔い笑みを見せ、歩き出す。
ディオンもそれをあわてて追い、ふたりは色街の闇へと消えた。