(3)
アリス王女――スワズレッド王国の王妃にして、国の宝とされる存在。彼女には不思議な力が宿り、この世界を破壊することも創造することもできる神のような存在。
この国には、王家の掟がある。その禁忌は決して破ることは赦されず、何者にも侵し難い絶対なルールであった。
建国してからずっとつづいている伝統――アリス王女制度。彼女の絶対的な力の前には、どんなことも無に等しい。強大な力を秘めた存在、それがアリス王女だった。
アリス王女に選ばれた少女には、力が与えられる。そして同時に、その凶悪にすらなりうる力を封じるため、少女からは『なにか』が奪われる。その『なにか』はいわゆる力のストッパー。アリス王女は『なにか』を奪われる代わりに、地位と名誉、そして無限の愛と強大な神の力を与えられるのだ。
アリス王女は民から尊敬され、王からは愛され、幸せに暮らす。大事に大事に育てられ、守られて生きていく。
不幸や不満など、生じるはずもない。
「……それなのに、今回彼女は城を逃げ出した。どういうことだろう……」
アジェはまったくといっていいほど話のわかっていなかった少年に、アリス王女のこと、そして男たちから「アリス王女を色街で見かけた輩がいる」という情報を聞いたということを教えてやっていた。
いまいち城を抜け出して色街へ赴く経緯が見えず、眉根を寄せて唸るアジェに、エダはあっけらかんとした調子で言った。
「脱走したい気持ちなら、わかるなあ! それにそういう理由って、たくさんあるじゃん」
「だが、彼女は城の外へ出たことがない……なぜ色街なんかに……」
「駆け落ちじゃない?」
ヒューッと口笛を吹いて、肩を揺らす少年。アジェは目を細めて、そんなふざけた態度を取る少年を極力視界に入れないように努めた。
「そんなはずはない。ありえない。言っておくが、アリス王女の夫となられるロナウド王子に敵う男など、そうそういないだろう」
「へえ。そんなにいい男なの?」
エダははじめて興味を示す。若干身を乗り出し、アジェの顔をしげしげとながめた。
「申し分ない。ルックスも性格も上等だ。民で彼に憧れぬ女はいない」
淡々と述べる彼女に、エダの眉はぴくりと動く。
様子が変だ。というか、怪しい……アジェは思わず顔を歪める。
実際、ロナウド王子の見目麗しさは国でも有名な話であった。他国からは是非妃にと、求婚を求む姫君たちが絶えないらしい。
彼の父でもあるスワズレッド国王は、なかなか子供に恵まれず、息子はロナウドただひとりであった。加えて国王自身にも兄弟はいなかった。そのため世継ぎもなんの争いもなく決まり、ロナウド王子も王になるべく日々励んでいた。
スワズレッド国はここ数世代に渡って大きな戦争はなかった。民は善王をたたえた。国は平和だったのだ。
そうして人々は言う――ああ、これもすべて、アリス王女のおかげだ、と。
それはただの神話にすぎぬのかもしれない。アリス王女がいれば、国はいつまでも平和などということは、どう考えても現実離れしている。だが、とアジェは考える。
――ロナウドが王になれば、アリス王女の力など関係なしに、きっと国はすばらしく栄えるであろう、と。
「おねーさんが、そんなに異性に対して語るなんて思わなかったなあ」
ふと我にかえれば、挑戦的なまなざしをした少年が目の前にいた。アジェは顔をしかめて見つめかえす。
「なにを……」
「ねえ、おねーさんもそう思う? その王子さまって奴が、だれにも敵わないって」
アジェは目を見開いた。
そうだ。そういえばこいつは、王家に捕われていたのだ。王を殺した、ということは、ロナウド王子の父を殺したということ。まだ町で戴冠式の話は聞いていないが、近いうちにロナウドが王となるのだろう。
この少年は、恨みをもつのだろうか。王となったロナウドをも殺そうとするのだろうか。
アジェは無意識に、生唾を飲み込んだ。そして震えた――恐れからではない、怒りから。
「妬けるなあ」
だがしかし、少年は彼女の予想を裏切り、瞳を楽しげに揺らして言った。
「この俺様より美形だっての? 本当に?」
口の端だけで笑う少年は、今まで見ていた彼とは別人のようだった。その眼は誘うように、色香を放っている。
それに今、彼は自分のことを『僕』ではなく『俺様』と言った。はたして、この無垢そうに見える少年の裏にはなにがひそんでいるのかと、アジェはなんとなく興味をもってしまった。
エダはアジェの顎に手をかけながら、じっとそらすことなく、その色の瞳を向けて不敵に笑む。だがしかし、しばらくしても女の顔に戸惑いやら恥じらいといった感情が微塵も表れないのを見て、大袈裟にため息をこぼした。
「おねーさんさぁ、もうちょっと反応してよ。ときめきとか、しないわけ? 僕、自信なくしちゃうな」
「なにを……」
「たとえば顔を赤らめるとかさあ! 僕の顔が間近にあってもそんな無反応なの、おねーさんくらいだよ?」
頭大丈夫? とかわいく首を傾げて言う少年に、アジェは殴ってもいいだろうかと悩んだ。
もともと反応が薄いのは生れつきだ。だが、周りの人間からそれをとやかく言われたことはない。――いや、ひとりだけ。たったひとりだけ、彼女に「笑顔」を要求した者がいた。
「……わたしはまだ、うまく笑えてはいないな……」
「ちょ、ちょっと! アジェってば、すんごく失礼な人間だね! 普通、人の話の最中に物思いに耽らないでしょ」
我にかえれば、まだ幼さを見せる少年が口を尖らせて、アジェの身体をバシバシとたたいていた。あわてて謝ると、ようやく攻撃をやめてくれる。
「いいよもう。どーせ、アジェは普通のヒトじゃないんだし」
「……どういう意味だ」
眉をひそめる彼女に、エダはお返しとばかりに深く笑んだ。
「言葉通りですよ」
次回から文字数増やします。
そして動きも出てくるかと思います^^
のろのろ不定期更新ですみませんが、よろしくお願いします!