(6)
後半、拷問を示唆する表現があります。苦手な方はご注意ください。
エヴァージオは苛々していた。余裕がなかった。それでも手加減は忘れなかった。
だから半殺しにしたのは許してほしい。
「まったく……やりすぎだぞエヴァージオ」
腰に手をあてため息をもらすアジェ。エヴァージオは子犬のように小さくなりふるふる震えていた。
だって仕方なかったんだ、と言い訳したところでアジェはいっそう怒る。だからこれ以上怒りに触れぬよう厄介な口をとじた。
ダグラスはやれやれと肩をすくめ、周囲に広がる死屍累々の屍――エヴァージオ曰く半殺しなので正確には屍ではないが――を越えふたりに近寄る。
「おぅおぅ。ひでぇ仕事だなぁ」
「うるっさいなぁ! だいたいアンタの計画が穴だらけなんだろ! アジェを危険にさらしやがって!」
「そ、それは……すまん」
「すまんじゃねぇよ! だいたい察しろ! アジェのこのカワイイ顔を! あんな男どもに触られたと思うと――クソッ! 殺したりねェ」
ぶん、と腕を振るって地面を殴りつけるエヴァージオは、ダグラスには思いっきり強気なようだった。
エヴァージオの苛々の原因――すべては、作戦の結末のせいだった。
奴隷と新入りに扮したアジェとダグラスが洞窟へ入ってしばらく。せっせと罠の準備をし終えたエヴァージオは寝そべって様子をうかがっていた。とはいっても洞窟のなかは暗く、なかの様子はよく見えなかったが。
どれくらいたったろう。遅いなぁと寝こけるエヴァージオの耳に、数人の足音が聞こえた。しめしめ、とニンマリ笑顔で、エヴァージオは木陰からそっと足音の主たちをうかがう。
その瞬間、エヴァージオは目を見開き言葉を失った。
先頭を歩くのはアジェ。後ろ手に縛られたままだ。小奇麗だと変な気を起こす輩もいるだろうからと、表向きは「奴隷っぽくしようぜ!」という意見で、エヴァージオはアジェの髪に水をぶっかけ、顔に土をつけてみたのだが、効果はなかったらしい。
アジェの後方を歩いてくるのは五、六人の男、盗賊たちだ。皆が皆、アジェにいやらしい視線を寄越している。これからどんなふうにいたぶってやろうかと脳内で想像し、じっくりと彼女を舐めまわすように見やっていた。
とうとう、待てなくなったのか、ひとりの男がアジェの肩に手をかけた。
「もうそろそろいいだろう?」
言って、他の男たちもニヤリとして近づいてくる。
アジェが抗議の声を上げる前に――エヴァージオは行動に出ていた。
ひ、と短い悲鳴とともにアジェの肩に触れていた男が沈む。真上からなにかが降ってきたと認識するまえに意識を失っていた。
何事かと目を走らせる男たちを、エヴァージオは次から次へとなぎ倒し、地に伏せていく。
最後のひとりは向かってくることすらできず震えていた。
「助けを呼べ」
びくびく震えて腰を抜かす男に、エヴァージオはどすのきいた低い声で命じる。
「さっさと叫べ! 仲間を呼べよ!」
その怒声に怯え命じられるままに男は「たっ、助けてくれー!」と声の限り叫んだ。何度か繰り返させたところで、洞窟のほうから「なんだ?」と声が聞こえ、こちらへ向かってくる気配がする。
「ご苦労さん」
エヴァージオはにこりともせず言うと、男の顔面を殴りつけた。
呆気にとられるアジェの腕を引いて茂みの影に誘導する。その際すばやく手の拘束を解いてやった。
しかし、苛立ちは募るばかりだ。
エヴァージオは怒っていた。腸が煮えくり返りそうなほど、苛立っていた。
屈辱に近い感情かもしれない。目の前で自分の女が汚されたような、そんな想いだった。
それなのに。
当のアジェはわかっていない。無表情のまま「どうかしたのか」と聞いてくる。
エヴァージオは己の頭のなかで、ブチン、という音を聞いた。
「あのさぁ、アジェ」
頭も視界も真っ白だ。
「アンタを組み敷いていいのは俺だけだ」
彼女の腕を頭上でまとめて捕え、耳元にささやく。
息を呑む彼女の気配を察し、すこしばかり溜飲を下げたところで腕を離した。
足音が複数。先ほどより多い人数の盗賊たちのお出ましだ。
「憶えておいてね?」
エヴァージオは『罠』を発動させた。
それからはあっという間だった。
先に打ちのめしていた男たちのもとへ駆け寄る盗賊たちの姿を見とめるなり、留め具を括りつけていた縄をひっぱり、落とし穴の蓋をはずして集まった奴らを落下させる。その悲鳴につづいてやってきた盗賊たちにも、第二の落とし穴を発動。洞窟に残った数人はダグラスが始末した。
落とし穴では気を失っていない者もいる。放っておけばいいものを、エヴァージオは自ら穴に飛び込み、意識のありなしに関わらず男たちをこてんぱんにし、穴の外へ打ち捨ててゆく。
死屍累々の丘が築き上げられたころ、ようやくダグラスが合流したが、すでに手に負えない状況であった。
ぼーっと遠い目をしてその様子を見つめているアジェに気づき、ダグラスは「大丈夫か」と声をかけた。まさか彼女が欲を吐き出す道具として扱われるとは思わなかった。いや、その可能性を考えなかったわけではないが、献上品として差し出せばまずは頭に会えると踏んでいたのだ。そうしてひとりになったところを始末するつもりが、盗賊たちは頭の許可なく事に及ぼうとした次第。
もともと村で女性の被害はなかったから油断していたのかもしれない。己の計略の浅はかさに後悔と申し訳なさでいっぱいのダグラスであったが、アジェに気にした素振りはない。
というよりも、己がそう言った目で見られたとは気づいていないようだった。
「なにを謝る必要がある? あいつらはストレスの発散に奴隷に暴行を加えようとしただけだろう?」
邪気のない顔でアジェは言った。
「まぁ、エヴァージオが相手してくれたようだし……盗賊たちも本望だろう」
たぶん彼女は盗賊たちのしようとしていた行為を『殴る蹴るの暴行』だと考えているようだが、ダグラスにその勘違いを正す気力はなかった。
嬲り殺しをたっぷり堪能したエヴァージオは、しかし怒りは収まっていないらしい。
アジェに触れた罪は重いと訴えダグラスの制止を聞かずなおも鉄槌を下さんとしたところ、アジェの一括でようやく収まった。彼女自身はエヴァージオの怒りの原因を正しく理解していないようではあるが。
「まったく、これでは顔の原型をとどめていないではないか」
「だって鼻は高いし目元がちょっと整ってたから、アジェが惚れたらいけないと思って」
「こいつは? なぜ髪をむしり取った?」
「だってならず者のくせに髪質がよかったからアジェが気を惹かれたらヤだと思って」
「じゃあ、こいつの靴をはぎ取っているワケは……?」
「背が低いくせにシークレットブーツで長身に見せて、アジェがときめいたらイケナいと思って」
はぁ、とため息をつくアジェ。目の前の男は小さくなってうなだれているが、ここで甘やかしてはいけないと思った。暴れん坊の獣の飼い主気分である。
「まぁまぁ、そこまでにしてやれよ。こいつはおまえを心配してたんだ。それに、もともとの落ち度は俺にある」
見かねたダグラスが口を開く。エヴァージオが不憫でならなかった。
「エヴァージオも、そこまでにしてくれ。今回は俺の作戦があまかった。だからあとで好きなだけ俺を殴らせる。盗賊たちは領主の警備隊に生きたまま引き渡さなきゃならねぇんだ。抑えてくれ」
ダグラスの真摯なまなざしに、エヴァージオも幾分落ち着きを取り戻したようだ。チ、と舌打ちはしたものの、それ以上暴れる素振りは見せない。
ほ、とダグラスは胸を撫で下ろす。
昨日手合せしたときは酔っていたから記憶は曖昧だが、一筋縄ではいかない奴だと思っていた。そしてたしかに、その印象を裏切らない男である。
三人は手分けして盗賊たちを縛り上げ、一息つく。これであとは盗賊の頭だけだ。アジトへ戻ってきたところを捕まえれば、終わり。事件は収束に向かうものと思って疑わなかった。
ひとまず捕えた盗賊たちは村の警備隊へ預け、牢に閉じ込めた。
一方、三人は洞穴で頭を待つ。
夜になっても、頭は姿を見せなかった。
そして、翌日になっても。
+ + +
ぐ、と奥歯を噛みしめ、女は悲鳴を呑み込んだ。頭から冷水を浴びせられ、何度も叩かれた頬が痛い。
「しぶといねぇ。僕は好きだよ、そういうの」
髪を掴まれ、顔を無理矢理上げられる。それでも声ひとつもらさなかった。
「ホント、ぞくぞくする」
目が合った。彼女は自分を拷問する男をにらみつける。それが男を悦ばせるとも知らず。
「ハハハ! 本当に最高だよ。主さまには感謝しなきゃ」
薄暗い牢屋は石造りで、ひんやりとした空気が肌に差し込む。けれど切りつけられた腕や脚、縛られている箇所は熱をもち、じんじんと痛む。
はじめに激しく暴れ抵抗したせいか、もはや体力はない。果てしない責苦には耐えるつもりだが、彼女の気がかりは自分のことより『彼』のことだった。
「ねぇ、アレもってきて」
男は彼女の顔を地面に押し付け、近くにいた部下らしき男に命じる。
ややあって、部下が持ってきた小瓶を受け取ると、男はニンマリと笑みを深めた。
用意された桶には水がいっぱい入っている。そこに小瓶の中身を三滴ほどたらし、かき混ぜる。
「ねぇ、小ウサギちゃん。コレ、なんだかわかる?」
わかるわけないだろう、と不気味なほどやさしい笑みを浮かべた男をねめつける。しかし次の瞬間、彼女の鼻はとある特有の匂いをかぎ分けた。
ハッと目を見張り、動揺は隠せない。
そんな彼女を満足そうに見やり、男は口の端を上げる。
「さすが、腐っても獣人の端くれなだけはある、ということか」
男の笑みにくらりと眩暈がする。
「推察どおり、《獣人縛り》――君をめちゃくちゃにしちゃうお薬だよ?」
男はうっすらと頬を上気させ、彼女の後頭部に手を添えた。部下たちに命じ、彼女を動かぬよう押さえつけることも忘れない。
《獣人縛り》――《獣人殺し》の前に発明された、獣人を従える道具のひとつだ。獣人が不快だと感じる匂いを発し、手足を痺れさせるというものだが、効果は弱く、あまり使用されることはなかった。
ニンゲンたちは愚かだから気づかない。しかし、獣人たちは知っている。
鼻孔から入る匂いは『不快』だと感じるだけで済む。しかしそれを口から摂取した場合――たちまち効果は比べ物にならぬほどあがり、傀儡とする毒となる。
獣人たちは本能で察知し、本能で隠ぺいした。ニンゲンたちが気づかぬように。
だから、この薬がこの場にあることも、この男が持っていることも、彼女にとっては驚愕する想定外な悪夢でしかなった。
「い、いや!」
はじめて彼女の瞳に恐怖が宿る。これを口にしてどうなるかなんて、想像もつかない。けれど本能が激しい拒絶を示しているのだ。
どんどん桶は近づいてくる。彼女の恐怖は、怯えは、まるで美味であるかのように男は笑う。
「もっともっと嫌がって。これを飲めば嫌がることも忘れちゃうんだから」
「なぜ……なぜ……獣人なのに――」
同族が《獣人縛り》を用いる理由などおそろしい事に決まっている。
絶望に震える彼女に、男はくすくすと笑ったあと、ゆっくりと目を細め、己の耳に触れる。
「そうだね。すべては主さまのため、僕の欲望のため……」
薬入りの水を徐々に近づけ、爛々と狂喜の色に瞳を染めて男は言う。
「獣人が獣人を使役する――素敵なことだろう?」
言って、彼女の頭を水に突っ込んだ。
暴れる身体を押さえつける。突然のことに息をしようと、彼女は口をあけかけ――あわてて閉じた。
たとえ死のうとも傀儡になるつもりはない。
ガバリ、と顔を水から上げられた。一気に呼吸する。
「ふふ。ぐちゃぐちゃに歪んだ顔も素敵だよ。あとで烙印も与えてあげる」
まるでそれが至上の幸福のように男は言う。黄褐色の瞳を歪に細め、ぺろりと彼女の首を伝う水を舐めた。
瞠目する彼女に、男は構わず舌を這わせる。
「ね、気持ちいいだろう? 僕に《獣人縛り》は効かないんだよ」
文句を言いたいし、殴りつけてやりたいのに、呼吸をすることで精いっぱいで、彼女はされるがままだった。
「君の名前を教えてよ。たっぷり可愛がってあげる。供給者も僕が務めてあげるよ」
言われ、かすみそうになった意志に再び炎が宿る。
彼女は赤い目を揺らめかせ、男をにらみつけた。
「だ……れが、き……さ、まに……などっ!」
途切れ途切れだが、彼女の云いたいことはわかったらしい。「ふぅん」と不敵につぶやき、容赦なく、再び彼女を薬入りの水へ沈めた。
「まぁいーや。君の名前も、供給者も、すでにこちらの手にあるんだから」
無情にも、空気を求める彼女を男は笑う。
「ねぇ、気分はどう――カトリーナ?」