(2)
村に入り、ひとまず村人から話を聞いてみようということになった。時間帯も酒を出す店が活気づく頃合いであったので好都合だ。アジェとエヴァージオはフードを目深にかぶって酒屋へと足を進めた。
しかし、予想を裏切り酒屋には客人がいなかった。寂れたカウンターに店主がひとり、これまたよれよれのエプロンを身につけてグラスを吹きつつ、店に入ってきた客人にびくっと肩を縮めた。
「なにかあったのですか」
店主の大袈裟なまでのびくつきように、アジェは思わず声をかけていた。
「あっ、ああ……なんだ、旅人さんか……」
客が思っていた人物像とちがったのだろう、アジェの声を聞き、店主は幾分ほぐれた表情で答えた。
「いや、なんにもねぇんだ……なーんにも、な」
席をすすめつつ、浮かない顔で「なにもない」と言われたとて信用できない。アジェはわずかに眉間をよせたが、とりあえず聞きたいことを聞いてしまおうと思い立った。
「ちょっとお尋ねしたいのですが。ここいらで最近、旅人などやってきましたか?」
さっそくアジェが尋ねると、酒屋の親父はチラと視線をこちらへ寄越してから、すぐに逸らして「人探しかい」とぼやく。あきらかに厄介ごとはごめんだという様子だ。
アジェは構うことなくつづける。
「琥珀色の瞳に漆黒の髪をしたかわいらしい少年は見なかったか。いや、ちょっと生意気な美少女でもいいのだけれど……」
「なんだそれは。男か女かはっきりしろ」
ちんぷんかんぷんな言い草に、思わずといった調子で店主は突っ込むが、アジェはいたって大真面目である。胸を張って答えた。
「もちろん男だ! ……が、あるいは女かもしれない」
「はぁ?」
「だから、見る者によっては少女に見えてしまうということだ!」
ぷるぷると肩を震わせ、必死で笑いをかみ殺すのはエヴァージオである。店主が不憫で仕方がないが、アジェは必死なのだ。
結局エダの目撃証言はないままで、アジェはがっくりと肩を落とした。
ひとまず軽食と飲みやすい酒を注文し、一息ついたところでアジェはエヴァージオに視線を送る。
ひとつ聞きたいことは聞いた。あとは村の様子を探らなければならない。
と、ふいに彼は器用に片眉だけ引き上げてから、手に顎をのせたまま顔を店主へと戻す。
「ねぇーえ、オジさぁーん」
わざと間延びした口調で、エヴァージオはまるで翌日の天気を尋ねるがごとく問いかける。
「お客さんすくないみたいだけど、繁盛してないの?」
「きょ、今日はたまたま……いつもはもうすこし出入りもしてるさ」
あきらかに店主の態度はおかしい。しかしエヴァージオは質問を重ねることはせず、ふーんと鼻先で笑ってからチラと店の掲示板に埋め尽くされている貼り紙に視線を移す。
「ところでさぁ、あれは今も募集中?」
青年の視線につられ、アジェも店主もポスターに顔を向ける。でかでかとした文字で、『求ム、勇者!』と書かれている。
なるほど、本当に勇者を募集していたのかとアジェが納得していると、店主は間抜けな悲鳴をあげてあわてて貼り紙を引きはがした。
あきらかにおかしい。様子が変だ。
怪訝そうな顔をした客に途端に顔を真っ青にして、店主は気の毒なほどうろたえる。
「こっこれは――お、俺は関係ねぇ!」
ついには、なにも言ってないのに弁解しはじめた。
「すべて悪いのは奴らだ! 俺は知らねぇ! 全部、ジュゴンの掟に逆らったから――」
「ジュゴン?」
反応したのはエヴァージオのほうだ。ぴくりと眉をあげ、聞き返す。
「おっさん、それはまさか、涙のジュゴンか?」
急に興味を持ちはじめたエヴァージオに、アジェも耳を大きくさせて話をうかがう。が、それに横目で気づいたエヴァージオは店主のまえに手を出して制止させる。
「いや、いい。飯食ったら、俺らはさっさと出ていくとするさ」
「あ、ああ。それがいい……」
相変わらずこちらと目を合わせぬまま、店主は激しく首を縦に振って言った。どことなく、話題がそれたことにほっとしている様子である。
気がかりなふたりのやり取りにもちろんアジェは納得いかなかったが、エヴァージオのことだ、なにか考え合ってのことだろうと、この時は口をつぐむことにした。
しかし、店を出てしばらくしても彼は無言のままだ。果ては、さっさと村から出ていこうとする始末。
これにはさすがにアジェも目を見張り、問い詰める。
何度目かの応答の末、ようやっとエヴァージオが渋々と重たい口をひらいた。
「厄介なんだ」
彼は困ったように肩をすくめ、つづける。
「ジュゴンだけには関わりたくなかった。あいつが絡むといいことないよ」
「その、ジュゴンとやらは知り合いなのか?」
彼の知人だったのならば大問題だ。というより、エヴァージオという男にも知り合いという人間がいたことに不思議な驚きをもってアジェは尋ねる。
「知り合いっつーか……会ったことはないけど、あいつのことはよく知っている」
若干歯切れが悪い。アジェが素直に理解不能だと片眉を歪めてみせれば、エヴァージオはやれやれとため息をついてから口をひらいた。
「ジュゴンは有名なんだ。厄介なのはなによりその能力」
がしがしと後ろ頭をかいて、彼はアジェを見る。完全に面倒くさい、とその表情が言っている。
だが、ここで従うアジェではない。いいから言え、と眼力で先をうながしてやった。
エヴァージオは大きなため息を再度つく。本当は言いたくなかった。だって、ジュゴンの能力を知れば、彼女は絶対に興味を示すだろうから。
「ジュゴンは呪禁を司る獣人――能力は、涙を与えることだ」
ほら、やっぱり。
エヴァージオはコバルトブルーの瞳にきらりと光った好奇心の光を見とめ、心中で三度目のため息をこぼすのであった。
ジュゴンの獣人。上半身は人間のそれと変わらず、下半身は魚のそれと違いない。彼女たちの種族は見方を見せることは稀で、絶滅危惧種とまで言われている、孤獣の次に数のすくない類だ。
ジュゴンとは、呪言であり呪魂。呪禁の掟に縛られた、涙を与え富をもたらす獣人。
彼らの長は気性が荒いと聞いている。彼の娘である深窓の姫ならぬ海底の姫に手を出せば、ただ事ではすまないだろう。そして『涙』を限りなく出せるのは、その姫しかいないと聞いている。
悪い予感しかしない。それでも、アジェの表情を見れば引き返すことなどできないのだと、エヴァージオは腹をくくるしかなかった。
+ + +
「にゃーんですってぇ~?」
おかしなイントネーションで少女は聞き返す。自身の足元には頭を地につけへばりつくように土下座している男がいるが、そんなことなどお構いなしにつづけた。
「勇者? あたしに反旗を翻そうってにょぉー?」
ぴくり、と彼女の頭に生えたクリーム色の耳が揺れる。細められた瞳にはわずかな怒りが滲んでいた。
ぐっと拳をつくり、だれにも聞こえぬ低い声で一言。
「赦すまじ人間ども」
次の瞬間には顔中に笑みをたたえ、再び変な喋り方で周りを囲む男衆に告げた。
「みんにゃー! お仕事だにょーぅ!」
それに応えるように、荒々しい面子が雄叫びをあげ、手に手に武器を握りしめ立ち上がる。少女は満足げに頷き、目を細めた。
「楽ょしい楽ょしい、狩りのはじまりにゃー」
洞窟中に、山賊たちの歓声がこだました。
久しぶりの更新になりました。
かなり前に書いてから進まず、やっと書きすすめられた感じです。
ちょっとスイッチが入ったので。
さて、エヴァージオ君が思いの外チャラ男っぽくなってしまったので、あと何章かで修正できれば……いいな、と思っております(笑)
他のモブっぽいキャラにもいろいろ裏設定があるので、いつか活用できればなぁ、と思っております。