(1)
こんがり焼けたトーストを口いっぱいに頬張りながら、彼は「おかわり」と完食した皿を亭主に差し出す。つづいてカゴにのった林檎を引っつかむと、愛くるしい笑顔をふりまいてかぶりついた。
「おいし~! 久々に生きてるって気がする」
亭主は半ば呆然としながら少年から皿を受け取り、本日五度目のおかわりに料理を盛りつけてやった。
ここは裏通りの酒場だ。普段は廃れかけた場所独特の雰囲気がある。表通りは華やかに活気づいているが、裏通りでは人相の悪い連中が、見た目を裏切らない働きをしてくれるおかげで、一般の人間は寄り付かなくなっている。
ここへ来るのは、表に顔を出せない人間などのワケアリな連中で、子供などが来ていい場所ではなかった。だいたい、ここは酒場だ。成人前の子供がひとりでいていいはずはない。
もちろん亭主だってそれくらいは知っている。しかし少年がひとりで店に入ってきたとき、彼は驚きすぎて注意をするのを忘れてしまったのだ。
それにしても、少年は愛くるしい容姿をしている。髪はボサボサだが、櫛を通せばさらりとして艶が出るにちがいないし、肌は陶器のようになめらかだ。「ぷはっ」とワインを飲み干し、幸せそうにほほえむ様は、まさに天使――
「――! ちょ、ちょっとお客さん!」
亭主はあわてて妄想をやめ、少年に声をあげた。
「あ、あんたまだ未成年だろ?! ワインなんて飲んじゃいけねーよ!」
すると少年は一瞬きょとんとしたが、すぐに怪訝な顔をつくって口をひらく。
「年でいえば、僕だってもう成人に等しいんだから。馬鹿にしないでよね。それに、ワインをくれたのはおじさんじゃない」
亭主はハッとする。ここは酒場だ。「飲み物ちょうだい」と言われても、酒しかない。どうやら自分は少年を見つめすぎて、気づかぬうちにワインを渡してしまったらしい。
はぁ、と彼はため息をこぼし、少年に言った。
「まぁ今回はいい。俺のミスだ……が。金はあるんだろーな? そのワイン、特上なんだぜ。それにあんた、食い過ぎだろ」
頬をぷーっと膨らませ、少年は丸々した目をまたたく。
「知らなーい。そのうち来ると思うから、連れに聞いてよぉ」
言うや否や、彼は再び食事に戻る。いったいこの華奢な身体のどこに、こんな大量な食べ物を流し込めるのだろうと、訝らずにはいられないほどだ。
亭主は尽きないため息をこぼす。
と、そのとき、入口のベルが鳴り、新たな客の来訪を告げる。今度はちゃんとした客だ。三人のいかつい顔をした男たちであった。
「よお。久しぶりじゃねぇか」
亭主が声をかけると、客のひとりが太い眉をあげて応じる。
「ああ。ちょいと仕事ができてよお。今日は金が余ってんだ。たくさん飲んでくぜ」
「それにしても、外はえらい騒ぎだ。おやっさん、知ってるか?」
「おかげでこの裏通りにも監修の目が入りそうだぜ」
もうふたりの客も話に加わり、それぞれカウンターの席につく。
「ああ、知っているとも。例の事件だろ。ここいらじゃ、専ら話のネタはそれに尽きないがね」
「そうそう。アリス王女が城から逃げ出したんだろ?」
「金持ちの考えることはわかんねぇな……おい、あの客はなんだ?」
「お城が退屈で逃げ出したんじゃねぇか? ……それにしても、美人だな。まだガキか?」
「きっとそうだろ。そのせいで、城からの捜索兵がこの辺りをうろつくようになるのも時間の問題さ……チッ。男か。女だったら抱いてやったのによお」
客らが少年の存在に気づき、いやらしい笑みを浮かべはじめたのを見て、亭主は深いため息をこぼす。そう、あの少年はきれいすぎだ。なにか問題が起こるのではないかと、かすかな不安がよぎる。
「おい、お客さんよお。頼むから、そういうのは店の外でやってくれよ」
「まあまあ。わかってるって」
亭主の出した酒をぐいと喉に通し、男たちは満足そうな笑みをもらす。
「なあ、もしアリス王女を見つけたら、なにか謝礼金みたいなもんはくるのかな? ……それにしてもよく食うな、あのガキ」
「あったりめぇだ! 一生働かなくていいだろうぜ……でも、男のくせに色っぽいな」
「いらっしゃい」
また店のベルが鳴ったので、亭主は入ってきた客に言葉をかけた。今日は客がよく入る。まだ昼間だというのに。
「そういや、あれだ。王子さまが躍起になって捜しているって話だ……なあ、声かけてみるかあ?」
「大変だよな。わがままな女を妻に持つとさ……あれだと、男でもいけそうだな」
ニタニタと笑みをもらす男たちは、そっと席を立とうとした――だが。
「おい」
先程入ってきた客が、そのとき声をあげた。怪訝な顔をする男たちに向かって、旅人のような客は、懐から出したコインをはじき、見事男の手におさめる。
「……その話、詳しく聞かせてくれ」
客はフードの奥から、コバルトブルーの瞳を光らせ、そう言った。