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女神のティア  作者: 詠城カンナ
第三章 盗賊と花嫁
19/25

(1)



 ――アジェ、アジェ、アンジェイーリア。


 いつも、夢のなかの彼女は笑っていた。信じられないくらいやさしい声音で、柔らかいまなざしでこちらを見つめて言うのだ。

 ほわほわの空間に包まれている。羽衣に抱かれて、あたたかい吐息を頬に感じて。

 耳に響くのは、あまい声。名を呼ぶのは、いとしいヒトだと知っていた。

 彼女の真似をして口に出してみても、舌はもつれてうまくしゃべれない。だから、「アジェ」になってしまう。そうすると、彼女は苦笑まじりに頭をなでてくれる。

 あったかい……胸に迫る想いを、『アタシ』は知らない。もうすこしでつかめそうなのに、いつも零れる水のように手から落ちていく。

 だからきっと、『アタシ』は『ワタシ』になったんだ。だから今、『ワタシ』は『アタシ』の欠片を求めるのだ。

 それがなんなのか、まだ、わからないけれど。

 でも、ちょっとはわかる。知識として、似通ったキモチを知っている。それが欲しくて、旅をすると決めたのだ。


 ――アンジェイーリア――


 彼女の口にするそれが自分の名前だと知ったのは、いったいいつのことだろう。






+ + +


「遅いお目覚めだねぇ」

 耳元であまくささやくのは、例の男だ。

 はじめ、アジェはバッと目を見開いて硬直したが、頭が覚醒するとすぐに、ギロリと背後の男を見やる。

「なんだ、エヴァージオ」

 腰にまわされた腕をひねりつつ、ため息まじりに尋ねる。彼は決まって笑みを深めて、さらに抱く腕に力を込めるのだけれど。

「つれないなぁ。俺様がせっかく、目覚めのキスでもしてやろうと思ってんのに」

「いらん。もう醒めた」

 むしろ、冷めた――アジェはエヴァージオの腕を解いて立ち上がり、ぐんと伸びる。

 天を仰げば、明るい、空。




 ふたりはハビヤの村を目指し北進していた。進めば進むほど風は冷たく、治安はよいとは言えぬものへとなっていた。

 宿をとるよりむしろ、野宿したほうが安全かもしれない。この間など、泊まった部屋に人が忍び込みあわや大惨事となるところだった。というのも、旅人の財布目当てに働いていただろう盗っ人であったが、気配に敏感なアジェがすぐさま飛び起き一網打尽にし、ついでとばかりにエヴァージオまでもが『お仕置き』をしてくれたのだ。

 過剰防衛――一見、どちらが悪なのかわからないほどだったため、あわや大惨事となりかけたのである。

 こんなこともあった。ただ道を歩いているだけで人にぶつかられるのだ。アジェを顔立ちのよい青年だと判断した人攫いの男たちが、奴隷に売ろうと目論むのだ。結局はこてんぱんにやっつけてしまうのだが、不思議なことにエヴァージオといるときは起こらない現象である。彼曰く、「威嚇してるからね」だそうだ。

 とにかく、フードを深くかぶり、ふたりはなるべく厄介事にあわぬようにとひたすら目立たないよう努力して旅をつづけていた。



「あとどれくらいなんだ」

 アジェは荷物を背負い直しながらエヴァージオに問う。彼も背嚢に水筒やらを詰め込み出発の準備をしていたが、アジェの問いかけにきょとんと首を傾げた。

「なにが?」

「なにがって……ハビヤの村だ」

 いったいなにを目指し歩いてきたというのだ。アジェはすこしばかり脱力して答える。

 合点のいったエヴァージオはぽんと手を叩き、カラカラと笑った。

「忘れてた! うん、ハビヤの村だな……うん、今日着くよ」

「は?」

 あっけらかんとして言い切った男に、ほうけたあと殺意がわいた。

 こいつ……『忘れてた』ということは、今尋ねなければハビヤを素通りしていたのではあるまいな?

 静かなるアジェの苛立ちに、エヴァージオはあわててご機嫌を取るため腕を腰へまわし、ひしっと抱き着く。

「ま、落ち着け。さっさと行くぞ」

「……ああ」

 怒るだけ無駄……アジェはむしろ、『怒り』という感情を久しぶりに実感できたことに意識を向け、彼を無視することに決めた。


 とにもかくにも、ハビヤの村――盗賊の縄張り、目前である。



 ここに来るまで、ハビヤの噂はおもしろいくらい入ってきている。それこそ、盗賊村と揶揄されるくらいには被害があるらしい。村人のなかには引っ越しを決め込んだ輩までいると知り、ただ事ではない状況にアジェは眉をひそめた。

 恐怖政治さることながら、盗賊たちは実にうまく村を牛耳り、最近ではその周囲の村にも手を伸ばしていた。はじめは用心棒をしてやるからと甘言を募り、村人が気づいたときにはすでに根深く入り込んでいるのだ。

 村の奥には丘があって、その向こうに大きな洞穴が隠れている。そこを隠れ蓑とし、盗賊たちは村におりてきては金目のものをあさり、人々を脅して回った。

 そしてもうひとつ大事な噂があった。困り果てた村人および周囲の村の人々は、王へ嘆願状を出すとともに、ひとつの『募集』をしたのだ。

「勇者?」

「そ。悪党の盗賊を成敗してくれる勇敢な者を求むってさ。見事平安を取り戻してくれた勇者には、村から謝礼金が出るらしい」

 肩をすくめ、挑戦的なまなざしをアジェへよこしてエヴァージオは言った。言外に、「アジェが勇者に名乗りをあげれば?」とでも言っているようだ。

 そんな彼を見て、なんだか変な気分になる。

 アジェは自分のおかしな違和感から顔を背け、さてどうしようかと首を傾げる。

「だが、そんなことをして村人は盗賊らに目を付けられたりしないのか。勇者を募っているということは反抗的な村人もすくなくないのだろう?」

「ま、覚悟の上でってことなんじゃない? 従順にして細々と生きながらえるも、革新して滅亡するのも、村人の決めることだし」

 俺らにはなにも言えないよ、と興味なさげに欠伸まじりにエヴァージオは答えた。

「おまえが立候補しないのか」

「俺が? 勇者に?」

 ぱちくりと瞬きし、ついで彼は哄笑した。

「無理無理! というか、絶対ヤだ」

 人には勇者を薦めるくせに、仕方のない男である。アジェは文句を言うことすら億劫になって、それ以上口をひらくことをやめた。とにかく無視で、ひたすら足を動かすことだけに専念する。

「もー。アジェったらスネんなよー」

 背後でケタケタ笑いながらついてくる男に、アジェはそっとため息をついた。

 やはり、変な気分だ。


 気さくで、愛嬌があって、自由奔放でつかみどころのない不思議な男――


「……似ているのか、ちがうのか」

「なに?」

「いや」

 無意識に口走ったつぶやきに驚いたのはアジェ本人である。そして、似てる似てないと判断できるほど、自分は『彼ら』のことを知らないのだと思い知った。




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