(5)
爆発はすべてを飲み込み――はじけた。
街は大騒ぎだ。まだ日も昇りきらぬうちに凄まじい音に目覚めさせられたのだから。
ただ不思議なことに、爆音とともに燃え上がった炎のゆらめきは一瞬でかき消え、被害は爆発元――《仮面の主人》の住まう洋館だけだった。
洋館をふっ飛ばし木っ端微塵に消し去った爆発は、原因もわからぬまま噂となって街に広がっていく。もともと怪しい洋館だったし、なにしろ《仮面の主人》の正体を知る者はいない。人々はさわらぬ神にたたりなし、の精神で、その爆発事件を口にすることを極力拒んだ。
旅人の宿・『華碧い』で、ひとりの女将がすこしだけ顔をくもらせる。
あれはめずらしい客だった、と思う。館爆発事件のあった日、客の部屋を訪ねればもぬけの殻だったのだ。宿代は前払いできちんと払っていってくれたから問題はないが、《仮面の主人》に招待されていたことを知っていた手前、行方が気になる。
「まぁ、旅人ってのは頑丈だからねぇ……」
どこかで元気にしているといいけど、という女将のつぶやきは、厚く垂れこめた暗雲に吸い込まれていった。
+ + +
わき腹が刺すように痛い。血の臭いと、雨の降る前の埃っぽい独特の臭いに鼻がおかしくなりそうだ。
傷に雨はしみるだろうか、なんてぼんやりと考えながら、アジェの意識はゆっくりと浮上する。
途端、じくじくとした痛みが鮮明によみがえった。思わず顔をしかめる。
「エダ」
呼んでも、応えはない。
とぼとぼ歩いていたが、それももはや限界だ。森のなかだということはわかっているが、今自分がどこのどの位置にいるのかすらわからない。
木の幹に身体を預け、ずるずると腰を下ろす。血の臭いに酔いそうだ。
アジェはなにが起こったのか、自覚できなかった。燃えるような怒りのままに、わき上がる力を抑え切れずに開放した――結果、爆発。
自分が生きていることが不思議で仕方がない。光が弾けたと思った瞬間、それは爆発で、目の前がまっしろになったのだ。
気づけば森のなかで、あてもなく彷徨い歩く。エダの姿を捜して。
あのとき、彼は死んでいなかった。それなのに、よもや自分の力で、その爆発で彼を殺してしまったのではあるまいか……ぞっとする思考に、アジェは首を振る。
自分がここまで感情的に物事をとらえられるイキモノだったのか、と変に感慨しく思う。怒りと恐怖と不安と焦りと……一度に様々な『感情』というものが押し寄せ心を揺さぶる。
「エダ……わたしは……」
掌に顔をうずめ、つぶやく。
マーカスが言っていた言葉が思い返される――『契約』の意味を知っているか、と。
思えば、最近のエダはたくさん食事をとらなければ充分に回復しないようだったし、体調も悪いようだった。違和感はずっとあったのに、彼はなにも言わないから気にせずに放置していた。
我儘だと思う反面、彼はひどくやさしい。
わかっていたのに、知っていたのに、アジェはうまく捕えられない違和感を気づかぬふりでやり過ごしたのだ。
目をつぶる。はやく回復して、彼を捜さねば。
アジェの治癒力は高い。『アリス王女』の力の賜物かもしれぬという考えは、彼女にはなかった。このときはただ、エダを見つけたくて、それに心を割いていた。
夢だ、と思った。
うっすら目をあける。あたたかい息が頬にかかった。
獣か、と思った瞬間――唇に熱い感触。同時に口内へ侵入するモノ。
なにがなんだかわからなかった。ただ、うまく息ができなくて。逃げれば追いかけるように深まるソレ。
ああ、これはキスなんだと理解したときには、すでにアジェの意識は深く深くまどろむ。
舌を吸い上げられ、離れた瞬間、また口づけられる。糸が引いてはまた結ばれ、何度も何度も重ねられる。
身体の力は抜けきり、思考もぼんやりする。あったかい、気持ちいい――安心する……そんな感情に支配された。
はじめは獣のように荒かったそれも、次第にやさしくあまく、濃厚になる。いたわるように、慈しむように、たしかめるようにキスされる。
そういえば、「獣人の発情期はそれぞれだけど、孤獣は万年発情期なんだよ」なんて笑って言っていたエダを思い出す。
口づけてくる相手は止める気がないのか、どんどん深まるキスに、アジェはつい、笑いたくなった。
びりびりとした快感のなかで、徐々にぽわんとした力に包まれるのに気づいた。まるで痛んだ患部を治癒するときのような、奥底からわいてくる力に似ている感覚を覚える。
「ンッ――ぇ、エダ……」
わずかな隙間のうちに声を出せば、相手が若干ひるんだのを感じた。
うす目をあける。そこに、琥珀色の瞳を見た気がした。
夢は唐突に終わった。
ちゅっ、というリップ音とともに唇が開放された。ぼんやりした意識が覚醒し出すと、これが夢ではなく現実であったのだと悟る。
アジェの頭は大混乱――というよりもむしろ、訝しげに傾いだ。
見れば深手であったわき腹の傷はきれいにあとかたもなく消えており、もはや痛みは感じない。加えて力の入らなかった身体は健康体そのもので、ぐっすり睡眠をとったあとのように生き生きと動かせる。
死にそうなほど苦しんでいたのが嘘のようだ。
自身の手をながめ、グー、パーを繰り返してから、ようやっとアジェは目の前の男に顔を向けた。
「……おまえ、は」
無言のままこちらを見つめてくるのは、二十歳くらいの青年だ。先ほどの情熱的なキスをした相手とは思えぬほどのポーカーフェイスで、瞳には冷たささえうかがえる。無表情クイーンのアジェといい勝負である。
もしエダならば、相手に「なに勝手に盛っちゃってんの?」だとか「ごちそーさま」だとか、一言くらい言ってやれただろう。されどアジェはちがう。淡々と相手を見つめ返すのみ。生憎キスに恥じらう乙女という規格を持ち合わせていないのだ。
それに、先ほどの口づけがふつうのキスではないと気づいてしまった。
「生気を……送り込んだのか」
問いかけではなく、断定。青年はこくりと頷いた。
ところで、彼の容貌はアジェを引き付けるには充分だった。
漆黒の髪、そして切れ長の瞳は琥珀色――エダを思い浮かばすには充分ないでたちである。一瞬彼をエダかと思ったほどだ。
けれど彼にはエダのもつ中性的な愛らしさが皆無だ。むしろ雄々しいとさえいえる。端厳な様はさることながら、きりりとした顔立ちとよく鍛え抜かれ引き締まったとわかる身体は精悍である。琥珀の瞳は獰猛な獣を思わせ、形のよい唇は冷たい雰囲気の彼を艶やかに魅せていた。
エダではない――エダというには可愛さの足りない彼に内心がっかりしながら、アジェは向き直って口をひらく。
「そうか、助かった。ありがとう」
男はふるふると頭を振る。気にするなということだろうか。
なぜ口をきかないのだろうと首を傾げるアジェの袖をつかみ、彼はついてこいとばかりに引っ張って歩き出す。仕方なく、アジェは成り行きに任せてみることにした。
ふたりはどんどん森のなかを進む。獣道だろう、随分と歩きにくい。男は慣れているようだが、アジェはついに足をもつらせる。
「ま、待って――エダっ」
言ってから、あわてて口をおさえる。ちがう、彼はエダじゃない。
「すまない……その――」
「エヴァージオ」
頭一つ分以上高い彼を見上げれば、琥珀色の瞳がまっすぐこちらを向いていた。
「えっ」
次に見た男の口元にはニヒルな笑みが浮かぶ。先ほどまでの印象をがらりと変えた彼がそこにいた。
「エヴァージオ――俺の名だ」
やーっと登場できました!
エヴァージオ様!←
ず〜っと登場させてあげたかった!
なぜかといいますと、キャラデザといいますか、素敵絵を描いていただいておりましたゆえ。
ほむぺにアップしておきますので、是非是非ご覧ください!
エヴァ君は唐突にふってわいたキャラでした笑
でもドンドン妄想に入ってきてしまい、すぐに構成とかできあがって……
これから徐々に確立させていきたいです!