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女神のティア  作者: 詠城カンナ
第二章 仮面と魔法
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(4)


 アジェを仮面の男の館へ案内したあと、鴉の獣人・クロウは夜空へと飛び立った。曰く、命令を実行できぬ奴隷は用なしで、ご主人さまからのお仕置きが怖いから逃げるのだとか。

 先刻まで殺そうとしていた人物に笑顔で「気をつけろよォ」なんて言ってのける様はさすが獣人とでもいうのだろうか。終始飄々とした態度に翻弄されながらも、アジェは今は構ってられぬとばかりに適当にあしらい別れを告げた。

 先ほどから、どんどん胸が苦しく迫るような痛みを訴えている。

 いやな予感に苛まれ、ただ心はエダを呼んでいた。



 館はしんと静まりかえっていた。きしんだ扉はすぐに閉まり、アジェを内へと追い立てる。

 大理石のぴかぴか光る廊下を歩く。ふいに引かれるように、ひとつの部屋の扉を躊躇なくあけた。

 薄暗い部屋だ。緋色の椅子があり、木のテーブル上には飲みかけのワインがグラスに注がれたまま置かれている。

 アジェは眉をひそめた。

 急かされるように部屋をあとにし、勘の告げるままにエダのもとへと足を進める。はじめて訪れた場所にも関わらず、迷いなく歩を運ぶ。そこに疑いはなく、ただ自分の直感を信じればいいという漠然とした思いがあった。

 階段を駆け上がり、長い廊下をよどみなく行く。いつでも攻撃できるよう常に剣の柄を握りしめ、息を殺して館内を探った。

 二階、いちばん奥の部屋から、コトリとかすかな物音がした。研ぎ澄まされた感覚は、迷うことなく道を示す勘は、きっと『アリス王女』の力なのかもしれない。

 アジェは気配のする部屋の前までくると足をとめた。

 はやる気持ちを押しとどめ、沈黙のうちに深呼吸する。冷静さを欠くわけにはいかないのだ。

 ドアノブへ手をかけ、ゆっくりと回す。息をつめる。


「やあ、ようこそ――我が研究室へ」


 そこにいたのは、ひとりの男。足元にうごめく影。床に散らばる、何体もの、影。

 部屋にある明かりは、燭台の炎のみ。やはり薄暗く、しかしぼうっと浮かび上がる男の顔がアジェにははっきりと見て取れた。

 顎のラインできちっと切りそろえられたニビ色の髪に、やや丸顔であろうか、それでも顎はすっと尖っているように見える。男は橙色の仮面をしていた。

「おまえが《仮面の主人》か」

「いかにも。マーカスという名だが……今じゃあまり呼ばれなくなったな。ああ、君のほうが『お嬢さん』だったんだね」

 唸るように問えば、男は動じることなく答え、さらに名乗る。

「さて、君にいくつか質問があるのだが……ここがどういった部屋か、わかるかい?」

 両手を広げ口元に笑みを浮かべながら尋ねる仮面の男。

 彼の足もとに散らばっているのがなんであるか、アジェにはすぐにわかった。薄暗いにも関わらず、夜目の利く眼はそれをきちんととらえた。

「わかりたくもない」

 冷たく言い放つ。怒りがふつふつとわきあがる。

 部屋には様々な拷問具があった。鞭、手錠、檻……散らばる影の正体は、無残な死骸だった。

「ここはワタシの研究所だよ。力にあふれているだろう?」

 うっとりと話し出す《仮面の主人》――マーカス。

 たしかに部屋には濃厚な香りが充満していた。獣人の腐臭を消し去るほどの、濃くあまい、鼻をつく香りが。

「さあ、部屋へお入りよ。ワタシは待ちくたびれたんだ!」

 入るよううながし、マーカスはクスクスと笑い出す。

「カラスは裏切り者だからね。あとでお仕置きしなくっちゃ……君が生きていたことは誤算だったけれどね、でも、『彼』の言葉どおりちゃんと生きてここまでこれたことは、まぁ、うれしいことだよ」

 一歩足を進めれば、獣人たちの死骸が目に入る。

 犬、蛇、狐、魚……様々な種の死骸が散らばっている。見るも無残で、どれがどれだかわからないのがほとんどであるが、特徴がそのまま残っていた獣人は、かろうじて種が判別できた。蛇の獣人は半分獣化したままで、瞳孔は開かれ長いチロチロした舌が口からたれている。狐の獣人は頭が獣、下半身は人間のやはり半分獣化した途中の姿で、ぴくりとも動かず冷たく横たわっていた。白目を剥いたモノ、痙攣を繰り返すモノ、身体の一部が除かれているモノ……血が蔓延り、人型の皮膚や獣型の毛にこびりつき、あまい香りに混ざって鼻をつく腐臭が漂っている。

 むごい、と単純に思った。これはもはやイキモノの成りの果てではない。

 顔をしかめたアジェに、マーカスは満足そうな声をもらす。

「どうしてワタシが獣人の研究をしているか教えてやろう。力が欲しいからさ!」

 聞いてもいないのに、彼はぺらぺらとしゃべり出す。

「獣人は未知の力を秘めているのだよ。魔法のような、凄まじい力さ! 人間はたしかに《獣人殺し》を手に入れたけれど、それも完全じゃないだろう? 求めるのは絶対的な畏怖の力……そうだな、たとえば『アリス王女』みたいな、そんなあやふやな力もいいかもしれない」

「……胸糞が悪い」

「ふふ、汚い口のきき方……調教してあげようか?」

 《仮面の主人》の年ころは把握できない。声から老齢しているのかと思えば、時折こどもっぽい笑い方をする。

 不可解で不愉快極まりない――アジェは低い声で問うた。

「無駄口をたたきにきたわけではない。エダをかえしてくれ」

 アジェの言動が予想外だったのか、男はしばしきょとんと首を傾げる。

「ほぅ。『謝礼金』を受け取りにきたのではないのか?」

「そんなものはいらない。さっさと――」

「無理だ、アレはワタシが買ったのだ」

 アジェの言葉を遮り、言うなり、マーカスはどさりと巾着袋を投げてよこす。コインの落ちる音が響いた。

「どういう、つもりだ」

「賢いと思ったのに、意外と馬鹿なのか? 金だよ。『謝礼金』さ。『彼』はワタシのものだ」

 用事は終わりとばかりに男は手を振って帰宅をうながす。

「たしかに君はおもしろい。『彼』の言ったとおり、生きてここまでやってきた。だからさらに『彼』を追い込むために使ってやろうと思ったけど……でも、なにより金目当てじゃなかったみたいだし。がっかりだよ」

 それじゃあ使えない、とため息まじりにもらす男に、アジェの眉根はさらによる。

「でもまぁ、それもどうでもいいや。彼はたった今堕ちたところだしね」

 クスクスと口の端をひくつかせて小気味よいと微笑するマーカス。いちいち癪にさわる男だが、しかし――今、彼はなんと言った?

「『彼』をかえして? って、取り戻すつもり? 冗談はやめてくれよ。ワタシは『彼』が、自分よりも金が選ばれたことに絶望するのを見たかったんだ。ほら、その瞬間の表情を想像すると、ぞくぞくするだろう?」

 もしも、男のさす『彼』が『エダ』を示しているならば。

「それに、君は人間、しかも女――ゾッとするから、さっさと出て行ってくれ」

「……エ、ダは……」


 どくん、と心臓が唸る。

 そうだ、こんなことをしている場合ではない。エダはどこだ。彼の姿が見えない。


「ああ、『彼』?」

 マーカスの顔に再び笑みが見える。

「とっても頑固だったよ。本来はきっと力の強い獣人なんだろうね……まだ種は特定させてくれないけれどさ」

 すっと彼は身体を脇にどけ、部屋の奥を見えるようにした。と同時に、パチンと指を鳴らす。それに呼応するように、部屋の明かりがぼんやりと灯った。

「知ってたかい? 獣人との『契約』にまつわる『法則』。君、きちんと与えてなかっただろう?」

 男の足もとに散らばる獣人の死骸。エダは、獣人……。

 ぐるぐると頭をめぐる単語に、アジェは吐き気がした。

「遅かったねぇ……もうすこしはやければイイ瞬間を見られたのに……」

 部屋の奥には、大きな檻があった。いつか見た――はじめてエダと会ったときと同じ光景がよみがえる。

 手錠をかけられ、吊るされた少年。衣服はぼろぼろで、腕は力なくたれている。細く白い首には、赤い首輪がはめられていた。


「ほら――堕ちた」


 うなだれる頭。白い肌には(アカ)い線がいくつも走っている。

 赤い首輪がドク、ドクと脈打つようにおぼろげな光を放っているのに気がついた。

「そ、んな……エダ……」

 どうしてこんな姿に? 孤獣は無敵ではないのか?

 がくりと膝をつき、目を見開く。

 マーカスは構わずぴくりとも動かない少年へ近づき、彼の顎に手をかけ顔をあげさせた。

「ほら、大丈夫だ。きれいな顔には傷一つないんだから」

 アジェの目の前で、《仮面の主人》はうっとりと、愛おしげにエダの頬をなでる。

 エダは完全に気を失っており、真っ蒼な血の気のない顔でされるがままだ。

「この首輪なんて最新式なんだ。死ぬぎりぎりの位置まで獣人の生気を吸いつくす……素敵だろう?」

 脈打つように光る赤い首輪。それが示す意味を知り、アジェは怒りに震えた。


 ――ふざけるな。


 マーカスはやや乱暴にエダの前髪をつかむと上を向かせたまま、アジェに向き直る。

「これからオタノシミの時間なんだ。今まで『痛み』をあげたから、今度はたっぷり『快感』をあげなくちゃいけないだろう?」

 ニタリ、と口元が笑う。仮面に隠れた瞳が愉快そうにこちらを見ているのを知り、アジェは憤怒にぼんやりした頭のなかで悲鳴をあげた。


 ――さわるな! その手で、エダにさわるな!


 目をとじる。押さえられぬ怒りに、自分がこんなにも感情的になれることを知った。

 マーカスはアジェの変化に気づいていないのか、高らかに笑いながらつづける。

「君にも聞くよ。なにが望み? 金? 力? それとも愛?」

 目をひらく。ただ、まっすぐにエダを見つめた。

 漆黒の髪をもつ、うつくしい少年。その琥珀色の瞳は、決して濁って欲しくない。


「わたしは……わたしが欲しいのは――カナシミ」


 瞬間、わずかにエダが身じろぎしたのを、アジェの瞳はとらえた。

「カナシミ……?」

 呆気にとられたのか、マーカスは言葉を繰り返す。彼の瞳は興味がわいた、という色で満たされていく。されどそれすらアジェの気を引くには至らない。

 彼女の視線は、目の前の少年から外れない。


「ぁ……アジェ……」


 ぽつりと少年からこぼされた言葉。朦朧とした意識のなかで、けれど彼はほほえんだのだ。

 果たしてそれがどのように作用したのかアジェは知れない。ただ、もう抑えることができなかったのはたしかだ。


「――エダ――」



 一気に昇りつめた力が、解放され――爆発した。




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