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女神のティア  作者: 詠城カンナ
第一章 王女と王子
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(10)



 大勢の足音が聞こえ、気配がする。アジェはその場に硬直し、しばらく無言を貫いた。

 頭のなかではめまぐるしく思考が消えては浮かびを繰り返している一方、まったくと言っていいほどなにも考えられない。

 どうする。彼と会うのか? どの面さげて、会えるというのだ。

 今の状態はどうだ。ラシルは気を失い、小さなこども――エダと自分だけ。言い訳はできるか? 彼だけならまだしも、ハンターを含めた大人数がいるというのに。

 ハンター、という単語が頭に引っかかり、アジェはハッとして顔をあげる。どうにか鈍った頭をフル回転させ、浮んだ心配事を少年に突き付けた。

「エダ! ハンターがいるって……」

 おまえは逃げなくていいのか、という問いは、彼のあきれるほど清々しい笑顔の前に消え去った。孤高の獣人の王を心配するなど、ばからしいということか。

 けれど、エダは顔を見られているはず。王さま殺しとして手配されていてもおかしくはない。ロナウドとて、父を殺されたのならば恨みもあるかもしれない。

 ニンゲンとは『そういうもの』だろうと、アジェは思い至った。

 やはり、彼と――せめて、彼だけは逃がすべきだろう。

「エダ……?」

 急いた気持ちを押しとどめ呼びかける。思いの外近くにあった端正な顔が、ゆっくりと笑みを深めた。

「大丈夫、なんの心配もいらないよ。アジェはただ、覚悟だけしておいてね」

 契約したこと、忘れちゃだめだよ――ささやくように声を落とし、少年は足音の方へと顔を向ける。アジェも自然とそちらへ顔を向けた。

 そうこうしているうちに、時間切れになってしまったらしい。すぐそこまで気配はやってきた。


 覚悟、とはなんだろう。彼に会う覚悟なら、たった今できた。


 ガサリと音をたてて、とうとう『彼』が現れた。

 なつかしい、という思いに一気に支配される。胸の奥をなにかが駆け巡った気がして、アジェはあわてて奥歯を噛みしめた。

「ア、ジェ……?」

 彼のかすれた声がした。ロナウドは色の瞳を見開き、しばし硬直する。

 アジェはすこしだけ苦笑を浮かべ、さっとその場にひざまずいた。

「お久しぶりです、殿下」

 思ったよりも動揺せずに言えた。自身を奮い立たせ、アジェは思い切って顔をあげる。

 見目麗しい、ひとりの青年がそこにいた。青い瞳は宝石のように汚れがなく、やや儚げな顔立ちが彼の物腰の柔らかさを引き立てる。茶色の髪をひとつに緩く結っており、上品な深緑の衣を身に纏って立つ姿は、一級品の貴族そのものだ。

 ちくり、と痛む胸を無視して、アジェはわざとほほえみらしいものを浮かべた。

「あ……アジェ! 本当に君なのか?」

 半ば呆然としていたロナウド王子だったが、ハッと我にかえると興奮気味に声をもらす。そこには喜色以外のなにものもなく、本当に純粋にアジェとの再会をよろこんでいるのが手に取るようにわかった。

 アジェも普段は動かない表情の筋肉がかすかに動いたのを感じた。今、自分はうれしいのだと他人事のように思う。

 大勢の足音がしたのに、現れたのはロナウド王子ひとり。エダはそっと気配を消して身を隠している。

 ふ、と息をはく。向き合う覚悟を決めて。

 ロナウドを見つめたまま、アジェは眠るラシルの顔を見えるよう引き寄せた。

 次の瞬間、がらりとロナウドの表情が変わった。彼の視線の先を追えば、横たわる少女の姿。

「ラシルっ!」

 すぐさま駆け寄りロナウドは少女の肩を抱き寄せる。

「大丈夫です。気を失っているだけですから」

 アジェも隣へ腰を下ろしとりあえず状況の説明をする。ディオンやカトリーナたちとの戦闘のことは省いて、ただ偶然見つけたラシルを保護したということにした。それから逆に、どうして彼女が城を抜け出したのかを尋ねる。

「アジェ……君がラシルを見つけてくれたんだね? ありがとう」

「いえ……わたしは、なにも」

 ロナウドは質問には答えず、思いつめたように眉根を寄せ、それでもラシルの無事に安堵の息をこぼした。礼を言われたが、中途半端にアリス王女の力を与えてしまったことでラシルは不安定になったのだ。むしろこちらが謝らなければなるまい、とアジェは奥歯を噛む。

 それに王様のこともある。いつまでも黙ってはいられない。

「殿下、あの……」

「アジェ、父が死んだんだ」

 アジェが口をひらくのとほぼ同時にぼそりとロナウドが言った。

「臣下の話では獣人を捕まえ奴隷にしようとしたらしい……ばかなことを」

 アジェは目を見張る。ロナウドの青い瞳には怒りや悲しみよりも哀れみがありありと浮かんでいたのだ。

「殿下は……その獣人を恨んではいないのですか」

「恨む? なぜ」

 半ば自嘲的にロナウドは吐き捨てる。

「父は狂ってた。力ばかりを求め、ラシルを苦しめようとしていたし、君にだって酷を強いていただろう?」

 今度は悔恨の色が浮かんだ瞳でロナウドに見つめられ、アジェはたじろぐ。助けてあげられなくてごめん、と悲痛につぶやく彼に、こちらが申し訳なくなるくらいだ。

「わたしは、殿下がそばにいてくれたから苦しいことはありませんでした。だから気にしないでください」

 もとより感情の起伏のすくない自分だ。ロナウドが気にすることなどなにもない。

「今度は彼女のそばにいて、幸せになってください」

 ラシルを見やってそう言えば、彼女を抱くロナウドの腕に力がこもった。

「もう城には戻りたくないのか……?」

 青いきれいな瞳がまっすぐにこちらを見た。一瞬だけ揺さぶられたような気がする。

 だけど。

「おねーさんは僕と一緒にくるのー」

 口をあけたちょうどそのとき、見計らったかのように間の抜けた声がした。エダだ。

 今まで木々の一部のように気配を消していたから、唐突に現れたように見えただろう。ロナウドはぎょっと目を見開いている。

「君は……?」

「彼はわたしとともに旅をしている者です」

 今度はアジェが口をひらく。どうやら王を殺した獣人の顔をロナウドは知らないらしい。なにか考えるよりも先に、アジェの口は勝手に動いていた。

「そうそう。僕らふたりで仲良く旅をつづけたいの。だからぁ、アンタは邪魔しないでよねー」

 ツンとして言う少年に、ロナウドは苦笑を浮かべ、「わかったよ」と承諾した。あからさまなこども扱いに、エダがむっとして頬を膨らませた、そのとき。

 ふいに身震いして、ラシルが目を覚ました。

 瞬間、悲鳴をあげる。

「い、いやあー!」

 突然のことで、ロナウドもアジェも目を見開いて固まるが、エダはちがった。すっと泣き叫ぶ少女の額に手をかざしたかと思うと、にっこりとほほえむ。

「大丈夫。ほら、目の前を見てごらん? 君を害する人じゃないでしょ」

 声はひどくやさしい。誘われるまま、ラシルは悲鳴を呑み込み、そっと辺りを見回す。

「どうして城を抜け出したの?」

 ぼんやりとしたラシルの瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。まるで術にかかったかのように、彼女はしゃべり出す。

「あ、謝りたかった……わ、わたくしが……わたしが、幸せを奪ったから……」

「幸せを奪ったの?」

 穏やかなやさしい声のままエダは問う。こくり、とラシルの首が縦に振られた。

「醜い、嫉妬だった……そんなに高貴な身分じゃないわたしが……本物のアリス王女に、敵うはずないもの」

 語られるラシルの声は素直で、アジェもロナウドも微動だにせず耳を傾ける。

「で、も、あきらめられなかった……だって、本当に愛しているんだもの……! 失いたくない!」

 唐突に、少女の瞳にめらりと炎が宿る。ブロンドの髪を振りまわし、激しく声を荒らげた。

「彼女がいる限り、わたしは彼女の代わりでしかない! 羨ましい……彼の隣にいることが当然だという証が欲しい……だれにも渡したくないの!」

 だけど、とラシルは再び静かな声音で話し出す。

「力は、いいものではなかったわ……『アリス王女』になったって、結局わたしは『わたし』でしかなかった。だから謝りたかったの。居場所を奪ったわたしを、許してくれるなら」

 ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙を流す少女に、アジェは言葉を失った。たぶん、勘違いでないなら、彼女はアジェに謝るために城を抜け出してきたのだ。そして今なお、ロナウドを想うあまり嫉妬に苦しんでいる。

 結局、彼女に力を与えて自己満足していただけなのだ。

 ラシルの腕をとり、アジェは彼女と視線をあわせた。おぼろげに揺れていたラシルの瞳が、徐々に定まりコバルトブルーの瞳をとらえ、見開かれる。

「ラシル、すまない。わたしはあなたを苦しめた」

「ア、アリス王女……さま……」

 いいや、と首を振る。

「わたしはもうアリス王女を辞めるんだ。けれど、あなたもアリス王女であろうとする必要はなかったんだ」

 ぐ、と握る腕に力を込める。

「あなたは謝る必要がないよ。結果的にわたしは自由を手にし、今幸せなんだから。たぶん、城で過ごすよりずっと快適に生きているよ」

 普段のアジェには見られぬほど柔らかい表情で語る。伝えたかったから。

「ロナウド殿下はあなたを愛しているよ。彼はあなたが『アリス王女』であろうとなかろうと、愛しているよ」

「そんな……嘘よ」

「嘘じゃないよ」

 力強い声で、今度はロナウドが口をひらいた。アジェと視線をあわせて頷くと、そっとラシルの手を握る。

「僕の心を乱すのも、よろこばせるのも、君だけだ。ずっとそばにいてほしいんだ……ラシル」

 青い瞳がまっすぐに少女へ向けられた。

 彼の言葉が本物であると、アジェにはわかっていた。

 いつも穏やかでやさしいロナウド。けれど、ラシルのことを話すときは顔がこれでもかとばかりにほころぶし、声には隠せない明るい色が浮かぶ。彼女を見つめる瞳は、いつにも増してきらきらとしているのだ。そして同時に、その青い瞳に揺らめく情熱的な感情も、うらやましいほどはっきりしている。

 アジェは目を細めた。たぶん、今まででいちばん『人間らしい表情』をしていることだろう。


 そっと、そっと足を後退させる。静かに、気配を消して、ふたりから離れる。

 くるりと踵をかえす。隣でエダがくすりと笑うのを感じた。






+ + +


 その後、抱きしめ合うふたりの男女を捜索隊が発見し、めでたく城へと帰還した。

 ロナウドが王位を継ぎ、ラシルという少女とめでたく結ばれるのは近い未来の話。ロナウド新国王の発表で『アリス王女』は守り神という形で存在し、神殿を建ててまつられるようになるのも、そう遠くない未来の話。


 夕暮れ、少年が琥珀色の瞳を細めて言った言葉を、アジェは感慨深げに思い返す。


「おねーさんの初恋はさ、ロナウド王子だったんだね」


 そうか、と納得した。あれは恋だったのか、と。

 そして、ヒトのように恋をできた自分に驚き、すこしだけうれしくなったのは秘密だ。

「じゃ、行こっか」

 にっこりと笑みを浮かべて手を差し出す少年。きょとんと首を傾げたアジェの手を、彼は仕方ないなと肩をすくめて強引に握った。

「それでさ、アジェ?」

「なんだ」

 エダは、コバルトブルーの瞳を心行くまでながめてから口をひらいた。

「本当の名前は、なんてゆうの?」

 一瞬言葉をつまらせたが、すぐにアジェは答えた。彼になら、教えたいと思ったから。


「アンジェイーリア」


 道行くふたつの影が伸びていく。行き先は未定。それでも、ふたりの道ははじまったばかりだ。


 



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