―契約―
ついつい、妄想が勢いづいて書いてしまいました笑
タイトルは一応、仮で。
後で変更するかもしれません。
終わりを二通り考えてまして、また話の傾向も少女向けにするか少年向けにするか、二通り考えてまして、どちらにするかはまだ未定です。^^
どちらにしろ、少しでもお楽しみいただけるよう頑張ります。
不定期更新になるかと思いますが、お付き合いくだされば幸いです。
では、どうぞ。
「おにーさん」
鈴の音のような声がした。思わず足を止めて聞き惚れてしまうほど、軽やかで澄んだ声だ。
「おにーさん、僕のこと、買わない?」
声はまた言った。静かな深森に響く、小さなうつくしい鈴のように――そしてそれは、どこか艶やかに。
アジェはようやっと自分に言われているのだと気づき、足をとめた。見れば、錆びかけた鉄の檻に、ひとりの少年がにこにこしながら入っている。十三、四歳くらいだろうか。手には厚い手錠をかけられ、首には赤茶色の首輪をされて鎖に繋がれていた。
「ね、僕、なかなか綺麗な顔してるでしょ? 買ってよ」
少年はあまえるように小首を傾げて言う。その愛らしい唇が語る誘惑に、アジェは顔をしかめた。
そう、少年はとても魅力的だった。
ほっそりとした身体。どこまでも深い漆黒の髪に、それとは対照的な透き通る白い肌。唇は薄い紅色で、少年ながらもどこか艶やかな雰囲気を醸し出している。なにより人を引き付けるのは、その瞳なのかもしれない……。琥珀色をした瞳は、強い光をもってらんと輝いていた。
アジェはふっと軽く息をはくと、檻の隙間から手を入れて、少年の汚れた頬をごしごしと擦ってやる。今はうつくしい黒髪もボサボサに肩まで伸び、ボロボロの衣服をどうにか身にまとっている状態ではあるが、きれいに洗ってやればずっと秀麗になるはずだ。
しかし……とアジェは思う。この少年は今の状態でさえうつくしい。いや、むしろ、着飾らないほうが映えるのかもしれない。
「おにーさん、旅の人でしょ」
少年はうれしそうに笑う。
たしかにそうだった。アジェは深緋のマントを着込み、重たい荷袋を肩にかけ、腰には護身用の剣をさしている。まさに今、この深い森を夜までには抜けようと、足をはやめて進んでいる最中であった。
「ねえ、おにーさん。本当は僕、すっごく高いんだ。有能だしね。だけど、今悪い奴らに捕まって逃げられないんだよね」
べっ、と舌を出し、少年は首輪を指して肩をすくめる。
「この首輪、《獣人殺し》の薬が入ってるんだ。だから力が出せないんだよね~」
「獣人? 種は?」
アジェは思わず尋ねていた。少年はふいに口の端に高慢知己な笑みを浮かべる。
「――孤獣」
孤獣――獣人種のなかで、もっとも珍しい最強の種。この国では人間のほかに、獣人という思考を持った生き物がいた。彼らは獣顔負けの能力を持ち、人も舌をまくほどずる賢い。高い知能をもった動物だ。
しかし、当然世界の支配者たる人間は彼らの存在を恐れた。《獣人殺し》と呼ばれる薬を開発し、それを服用させたり接触させることにより、彼らの強大な力を封じることに成功した。獣人には地位はない。奴隷や観賞用として人間たちに飼われることが主になりつつあった。
しかし、何故よりによって伝説の獣人種・孤獣が捕まっているのだろう? アジェは少年が逃げたいがために嘘をついているのだろうと考えた。それに、「買って」だなんて信用できない。檻から出した途端、彼に殺されないとも限らない。
しかしそのとき、アジェの心を読んだかのように、少年が口をひらいた。
「よく見てよ。その紋章!」
少年が示しているのは、檻をのせた荷馬車に描かれたマークだ。両翼で王冠を抱いた鳥が、水色で描かれている。
「王家……?」
「そ。王直属の獣人ハンターによってたかって襲われちった」
アジェのつぶやきに、少年は黒髪をかきあげて「ついてないよねぇ」とこぼす。
きょろきょろと辺りを見回し、見張りを捜してみたが見当たらない。アジェは頭を捻った。普通、こういう強大な力を持った獣人を野放しにはしないのではないか。
そんなアジェの考えにもお構いなしに、少年はおもしろそうに笑ってつづけた。
「でね、僕、あんまりにも理不尽で頭にキちゃったから……王様、殺したの」
くすっと妖艶な笑みを消さず、少年は琥珀色の瞳をいたずらっぽく揺らす。
「《獣人殺し》だって、孤獣が本気を出せばあってないが如し。僕を捕まえてご機嫌な王様にムカムカしてきてさ。思わず、呪ってやったんだ……」
つまり、王が呪い殺され、指揮する人間も動揺し、この獣人を恐れ、みな逃げ出した……そういうわけだ。
楽しそうに声をあげる少年。しかし、次の瞬間にはその愛らしい唇を尖らせた。
「でもぉ。そのお陰でこの様。あんまり頭に血が上ってたから、呪いの代償のこと考えなかったんだ」
「代償?」
「そ。僕、すっかり疲れちゃったから、人の生気吸わないと、もう力出せないんだよね~。あーあ。力使い果たすまえに、この首輪壊しちゃえばよかった」
あーあ、とうなだれる姿は、まるで幼い子供のようだ。この少年が人の命を奪ったなんて、信じられる人間はいないのではないか。
「おにーさん、買ってよ。僕と契約しようよ……大丈夫。僕、裏切らないよ?」
アジェは少年の琥珀色の瞳を見つめた。
生まれて十八年、こんなにうつくしいと思えるものに、果たして自分は出会ったことがあるだろうか。
「おにーさんの目、きれいだね。それ、何色?」
「……コバルトブルー」
琥珀色の瞳は妖しく笑う。
「いいね。それで髪はダークグレーでしょ? ……うん、すっごくイイ」
なにがいいのかわからない。しかし、アジェは少年の笑みを見れただけで、なにか埋まるような錯覚を覚えた。そう、この心の穴を埋めてくれるような――。
途端、アジェはふっと笑った。
「――!」
驚きに目を見開く少年。それはそうだろう。アジェは笑ったかと思うと、いきなり右手をさっと横に振り、それだけで檻を壊してしまったのだから。
ガラガラと崩れる檻から少年が出る。アジェは近づくと、指を捻っただけでその首輪を外してしまった。
「契約などいらないよ」
いまだ驚きを隠せずにいる少年に、アジェは無表情のまま言葉を落とす。
「わたしが欲しいのは悲しみだ。おまえにそれが叶えられるとは思えない――去れ」
今度は呆然とする少年を残し、アジェはすたすたと歩きはじめる。その顔にはもはや、笑みも歪みもなにもない。
少年はその、颯爽と歩く後ろ姿を見つめる。すらりと背が高く、長いマントが揺れるたびに、肩にかかったダークグレーの細い髪もゆらゆらと揺れる。鼻筋は通り、眉はきりりとし、凛とした端正な顔立ちをしていた。きっと明るく笑えば屈託のない笑みが見れるのだろう。
だがしかし、その旅人の眼には暗い影がひそみ、けれどどこか光を欲しているように見えた――だから、彼は声をかけたのだ。
「本気……?」
少年はぽつりとつぶやく。その口にはすでに、呆然とする色はない。ただ妖しく、心底愉快そうな笑みを広げるだけだ。
ニッと口角をあげると、少年は旅人に向かって走り出した。
「おっにぃっさーん!」
そうして、思いきり彼の背に飛び込もうとした。何事かと振り返ったアジェは、自分に向かって飛び込んでくる少年に唖然とする。あまりの勢いに、ふたりはそのままバランスを崩して倒れ込んでしまった。
「……痛ぅ」
「あれっ」
顔を思いきりしかめるアジェに対し、少年はきょとんと首を傾げる。アジェに馬乗りになっている形の彼は、そのまま無遠慮にも下敷きにしている人間の身体をぺたぺたと触り出した。
「あれれっ」
「……なに」
「まさか~! もしかして、おねーさん?」
少年は旅人のマントの上から丹念に胸の存在を確認すると、びっくりしたように目を見開いて聞いた。
アジェは深くため息をはく。
「そうだけど……それがなにか――ッ!」
今度はアジェが目を見開く番だった。あろうことか少年は、喋っていた途中のアジェの唇を、自らの柔らかい唇で塞いだのだ。
「~ンぅッ!」
そのうち、身体から力が抜けていく。頭はぼうっとし、目はとろんとする。足の先から指先まで痺れてくる。呼吸も荒い。
まさか、これは――
意識を手放しそうになったそのとき、ようやく少年は唇を解放した。
「ごちそうさま」
額をくっつけながら、彼は上機嫌でにっこりと笑う。
アジェはまだ力の入らないダルい身体に鞭をうち、少年を押しのけ、上半身を起こして言った。
「……せ、生気を吸ったな……?」
「もちろん」
ふふ、と笑いながら、少年はアジェの頬に指を滑らせる。
「男の人とのチューには抵抗あったからさ。自由になったら殺して心臓まるごと喰べちゃおうと思ったんだけど~」
少年の手が、アジェの心臓のあたりをうろつく。
「でも、なんか変なこと言うし。まぁいいやと思って、おにーさんとチューする決心したんだけどなあ」
アジェの顎に手をかけ、「おねーさんだったんだね」と彼は不敵に笑う。
「僕、ついうれしくって、止まらなかったぁ。ごめんね」
「ふざけるな」
少年の手を払い、アジェは声をあげる。けれどそんな彼女の顔にすら、怒りの表情はなく、無に近い。
「わたしの邪魔をするなら、わたしは――」
「まあまあ。契約しましょうよ、おねーさん」
いたって余裕の笑みで少年はつづける。アジェのダークグレーの髪に軽くキスを落として。
「僕の名前はエダ。貴女に素敵な悲しみを贈りましょう」