第五話 二つの声
ライブハウスの中は、熱気で少し息苦しかった。
狭い店だ。
ステージから壁まで数メートルしかない。
それでも今日は人が多い。
立ち見まで出ている。
ここは彼女たちがデビュー当時から世話になっている店らしい。
武道館が決まったあとでも、時々こうして戻ってくる。
昔からのファンに向けた、小さなライブ。
私はステージ袖に立っていた。
手のひらが冷たい。
「顔硬いよ、由紀」
横で美咲が笑った。
ギターを肩にかけながら軽くストレッチしている。
「こんなに人いるの久しぶり?」
「……はい」
正直に答える。
路上ライブでは人は止まり始めていた。
でも。
ライブハウスの客は違う。
ここにいる人たちは全員――
このバンドのファンだ。
「大丈夫」
美咲は軽く私の肩を叩いた。
「うちらも昔ここからだから」
そのとき。
「そろそろ」
涼の声。
ベースを抱えながら、落ち着いた表情で言う。
「沙耶も準備できてる」
私は驚いて顔を上げた。
「歌えるんですか?」
「少しだけ」
涼は静かに言った。
「完全じゃない」
「だから今日は」
少しだけ微笑む。
「二人」
私の心臓が跳ねた。
その瞬間。
ステージの向こうから歓声が上がる。
照明が暗くなる。
美咲が深く息を吐いた。
「行くよ」
真琴がドラムスティックを鳴らす。
カン、カン。
その音で、空気が一瞬で変わった。
そして。
四人がステージへ出ていく。
歓声が爆発した。
「おおおおお!!」
「沙耶ーー!!」
私は袖からその光景を見ていた。
胸が少し苦しくなる。
ここは、彼女たちの場所だ。
イントロが始まる。
美咲のギター。
涼のベース。
真琴のドラム。
そして――
沙耶が歌い出した。
かすれている。
でも。
声は強かった。
客席が揺れる。
私はその声を聞きながら思った。
やっぱり。
この人はすごい。
一曲目が終わる。
歓声。
沙耶がマイクを握る。
「久しぶり」
声は少しだけかすれていた。
「今日は特別」
客席がざわつく。
「一人じゃない」
その言葉で。
私は名前を呼ばれた。
「由紀」
足が震えた。
でも。
逃げるわけにはいかない。
私はステージへ出た。
客席がざわめく。
「誰?」
「新メンバー?」
その声を聞きながら、マイクを握る。
沙耶が横で笑った。
「緊張してる?」
「すごく」
「いいね」
沙耶は楽しそうだった。
「じゃあ行こう」
イントロ。
私は歌い出す。
最初のフレーズ。
客席が静かになる。
そしてサビ。
沙耶の声が重なる。
二つの声。
重なった瞬間、音が広がった。
バンドの音が膨らむ。
美咲が笑いながらギターをかき鳴らす。
涼のベースが低く響く。
真琴のドラムが叩きつけるように鳴る。
その中心に――
私と沙耶の声があった。
曲が終わる。
一瞬の静寂。
そして。
歓声。
「うおおおお!!」
拍手が止まらない。
私は息を切らして立っていた。
沙耶が小さく笑う。
「いいじゃん」
横を見ると。
真琴がこちらを見ていた。
数秒。
そして。
小さく頷いた。
「……合格」
それだけだった。
でも。
それで十分だった。
ライブはそのあとも続いた。
最後の曲。
演奏が終わる。
歓声の中で。
沙耶がマイクを握った。
「今日は来てくれてありがとう」
拍手。
「知ってる人もいると思うけど」
少し間を置く。
「私たち」
「武道館やります」
店が揺れるほどの歓声。
そして。
沙耶は続けた。
「それでね」
私を見る。
「新メンバー」
客席がざわつく。
沙耶は笑った。
「でも」
「発表は武道館」
歓声。
「だから」
少しだけいたずらっぽく言う。
「今日のことは秘密ね」
ライブハウスは拍手に包まれた。
その夜。
私は初めて思った。
もしかしたら。
本当に。
ここまで来れるかもしれない。
――武道館まで。




